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モスビーがいなければ「ナイツ」はなかった【第1回】

 「野球芸人」第1回のトータルテンボス・藤田憲右さんに続いて登場するのは、ナイツ・塙宣之さん。

 大の巨人ファンとして知られる塙さん。ナイツのお家芸とも言える「ヤホーで調べました」の漫才ネタは、実は「野球」がヒントになっていたそうです。

 そんな塙さんに全4週に渡って、野球と漫才について語ってもらいます。初回は「野球との出会い」について。

きっかけはモスビー

 ナイツの塙宣之です。寄席などではよく、プロ野球をネタにした「野球漫才」をやらせてもらっています。

 僕は子供の頃から野球が大好きで、「野球がうまい人」っていうのはそれだけでヒーローでした。だからプロ野球選手は今もすごくリスペクトしています。おかげさまでイベントや番組などでご一緒する機会も多いんですが、巨人の坂本勇人選手のように10歳近く年下の選手でも敬語で話しちゃいますね。

 僕も少年時代は野球をやっていましたが、運動神経が良くないこともあって「ここでは天下は取れない」ということはすぐにわかりました。じゃあどうしたらいいんだ? と考えて、野球のデータとか選手名とか、そんなのばっかり勉強するようになったんです。

 それと、野球中継を昔からすごく観ていました。あまりに観てるから、テレビ中継でもピッチャーの投げた球種が一発でわかりますよ。たまに解説者が「今はフォークですね」と言っても、「いや、今のは縦のスライダーだし」と思っていると、リプレイが流れて「あ、スライダーでしたね」と訂正が入ることがよくあります。もう、見方が素人じゃないですよね(笑)。

 そもそも僕は、野球がなかったら、というか、モスビーがいなかったら漫才師にもなっていないんですよ。モスビーというのは、クロマティの次の巨人軍・背番号49の選手です。活躍したのが92、93年の2年間だけなんですが、「モスビー効果」なんて言葉ができたり、「ズームイン朝」で「今週のモスビー」というコーナーがあったりと、結構人気があったんですよ。

 僕は当時中学生で、みんなから「塙って面白い」と言われ始めた頃だったんですが、林間学校で急に何かネタをやらなきゃいけない状況になったんです。そこでモスビーのモノマネをしたらすごくウケて、それが自信になったんですよね。「モ・ス・ビ?! モ・ス・ビ?!」とコールが沸くようになって、中学時代は人気者でしたね。

野球部が大嫌い

 高校時代は帰宅部だったんですが、吉本のお笑いオーディション(「お笑いめんたいこ」)で優勝して、それがキッカケで、地元のテレビ番組に出たこともありましたね。

 当然、学校からも文化祭で何かやってくれと言われたこともあったんですが、頑に断っていました。当時は高校が嫌いだったんですよ。なんで嫌いだったかと言うと、皮肉なことに「野球部が大嫌い」だったんです。今考えれば、僕の心が狭かっただけなんですけどね。

 高校受験での第一志望が、夏の甲子園で大逆転優勝した「佐賀北」だったんですが合格できず、龍谷高校に入学したんです。

 でも、そこの野球部が嫌な奴ばっかりだったんですよ。授業で野球をするときに、なんか不合理なルールを押し付けられて、僕も正義感が強かったせいか「おかしいだろ!」って言ったら、目の敵にされたりして。またその野球部が強かったから女子にモテる奴ばっかりで、それがまた腹が立ったりして。

 ちょうど自分が高校3年のときに龍谷高校野球部が甲子園に出場したんですけど、僕は応援に行きませんでした。学校の9割近い人間が応援に行って、もちろん僕も野球大好きですから、メッチャ行きたかったんですけど、でも「俺は行かない!」って。もうね、これは今でも後悔してるんです。だって、自分が現役のときに甲子園ですよ! バカですよね? それにね、野球部の面々も、今会うとみんなスゴくいい奴らなんです(笑)。単純に、当時の自分がそういうノリに付いていけなかっただけなんですよね……それにしても甲子園、行きたかったなぁ。

結成! ナイツと浅草マンキース

 大学では落語研究会に入り、その落研で一学年下だった土屋と、大学卒業後に「ナイツ」を結成しました。でも、芸人になりたての頃は時間があったので、浅草マンキースという野球チームを結成してよく草野球をやってましたね。

 もう、僕があまりにも野球が好きだからチームのことは全部やる! と言って、選手、監督はもちろん、ユニホーム制作、ホームページ、グラウンド申請、審判の手配、etc.と、全部自分一人でやってました。今考えたら、頭おかしいですよね(笑)。

 ホームページは、当時同じバイトをしていた「バイきんぐ」西村さんに教わって、結構本格的に作ってました。打率とかの成績を全部計算して「個人成績」としてまとめたり、「選手名鑑」のページを作って、<年俸>の欄にはそのときのリアルな年収を書いたり、<受賞歴>の欄には「漫才新人大賞受賞」とか(笑)。

 ホームページはもう長いこと更新してないんですが、当時はほとんど空欄だった「受賞歴」も、今ならもう少しは埋められますかね。

 その頃、一番試合をしたのが「ホワイターズ」という漫画家さんのチームで、監督が『あしたのジョー』のちばてつや先生。ちば先生が打席に立つと、「インコース投げちゃだめだぞ、特に手には絶対当てんなよ!」とピッチャーに言っていたんですが、逆にそれがプレッシャーになったのか、一度頭にぶつけちゃって……大変失礼なことをしました。でもちば先生、当時で60歳後半だったのに、ものすごく巧かったですよ。『ついでにとんちんかん』のえんどコイチ先生もいたりして、面白かったですね。



塙宣之(はなわ・のぶゆき/写真左)
1978年生まれ、千葉県出身。漫才コンビ「ナイツ」(マセキ芸能社)のボケ担当。内海桂子の弟子として寄席にも登場し、「浅草の星」と呼ばれる。2008年M-1グランプリ3位、2011年THE MANZAI準優勝。実兄は芸人のはなわ。大の巨人ファンとして知られる。

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