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【意外と知らない!?】連続試合出場記録・歴代の鉄人トップ10と記録ストップの「理由」とは?

文=落合初春

鼻骨を骨折しながらも試合に出場し連続出場記録を伸ばし続ける阪神・鳥谷敬
 5月24日の阪神対巨人、鳥谷敬(阪神)が顔面に死球を受け、鼻骨を骨折。滝のように鼻血を流すハプニングが発生した。

 鳥谷といえば、歴代2位の連続試合出場を続ける鉄人。記録継続が危ぶまれたが、翌25日の試合ではフェイスガードを装着して代打出場を果たし、甲子園のファンを安堵させた。

 ここまで打撃好調だっただけに影響が不安だが、連続試合出場は続くことだろう。

 しかし、連続記録には必ず終わりがあるものだ。これまでに連続試合出場記録を築いた歴代トップ10人の「終わりの理由」をまとめてみた。

1位:衣笠祥雄


2215試合(1970年10月19日〜1987年10月22日)
記録ストップの理由:引退

 衣笠祥雄(元広島)がルー・ゲーリッグ(元ヤンキース)がメジャーで達成した2130試合連続試合出場の世界記録を塗り替えた1987年に引退を表明。同年も最終戦まで出場を続け、17本塁打を放ったが、守備の衰えから引退を決意した。

 17年連続皆勤だった鉄人・衣笠。1979年には死球で左肩甲骨を骨折しながらも出場を続け、大記録を築き上げた。

2位:鳥谷敬


1795試合(2004年9月9日〜継続中)
※2017年5月25日時点

 冒頭で述べた通り、鳥谷は現在も記録継続中。このままいけば、2020年に衣笠が持つ日本記録を抜き、さらに2023年にカル・リプケンJr(元オリオールズ)が保持する2632試合連続出場の世界記録を更新する計算になる。2023年は42歳を迎えるシーズンとなるが果たして!?

3位:金本知憲


1766試合(1998年7月10日〜2011年4月14日)
記録ストップの理由:走者の盗塁死

 2010年、右肩のケガにより金本知憲(当時阪神)の連続フルイニング出場の記録は途絶えたものの、2011年も代打で連続試合出場を継続していた。

 しかし、同年4月14日の中日戦、2死一塁の場面で代打で登場したが、一塁走者の俊介が盗塁死し、そのまま攻守交代。1打席を完了していないため、連続試合出場にはカウントされず、記録が止まった。

 盗塁を指示した首脳陣には、盗塁失敗でも「記録が止まる」という認識はなかったのだろう。

4位:松井秀喜


1250試合(1993年8月22日〜2002年10月11日)
記録ストップの理由:メジャー移籍

 1993年のルーキーイヤーから連続出場を続けた松井秀喜(元ヤンキースほか、当時巨人)。1999年にはオールスターゲームで脇腹を痛めたが、長嶋茂雄監督が守備固めで1イニング起用を決め、記録を継続した。

 メジャー時代も2006年に左手首を骨折するまで518試合連続出場。実質的には日米通算で1768試合連続出場を果たしている。

5位:飯田徳治


1246試合(1948年9月12日〜1958年5月24日)
記録ストップの理由:アキレス腱断裂

 走攻守三拍子揃った一塁手として知られ、南海〜国鉄で1246試合連続試合出場を達成した飯田徳治。実は1951年には104試合中100試合しか出場していないが、開幕直前に参加したパ・リーグ選抜のハワイ遠征の帰国が遅れたための欠場で、公休と認められている。

 記録が途切れたのは、走塁中に足が二塁ベース引っかかり、アキレス腱を断裂したため。前年まで6年連続で40盗塁以上を記録していたが、さすがに復帰後は走力が衰えた。

6位:広澤克実


1180試合(1986年10月12日〜1995年10月8日)
記録ストップの理由:死球による骨折

 ヤクルト時代から巨人時代にかけて1180試合連続試合出場を達成した広澤克実。巨人へFA移籍した1年目の1995年は打率.240と苦しんだが、記録のために出場を継続。ファンの間でその是非が論争になっていたが、1996年のオープン戦で死球を受けて骨折。「鉄人」の域に差しかかっていたが、これ以降、相次ぐケガに悩まされた。

7位:松井稼頭央


1143試合(1995年7月22日〜2003年10月5日)
記録ストップの理由:メジャー移籍

 高卒2年目の夏にレギュラーをつかんでからメジャー移籍まで全試合に出場した松井稼頭央(楽天、当時西武)。メジャー時代と合わせると実質1213試合連続出場を果たしている。パ・リーグ単独の記録では歴代トップ。

8位:藤村富美男


1014試合(1946年8月30日〜1954年7月31日)
記録ストップの理由:暴動による出場停止

 「初代ミスター・タイガース」で知られる藤村富美男(元大阪)の連続出場記録が止まったのは、なんと暴動が理由だった!

 1954年7月25日、大阪球場での中日戦で、微妙な判定を巡って当時選手兼助監督であった藤村は球審に猛抗議。ファンが雪崩れ込んで、1時間以上試合が中断した。実はこの喧騒のなか、藤村は退場宣告されていたが、それを知らずに再開後に打席へ。球審が改めて退場を宣告し、ファンが再び暴徒化。ついに没収試合となり、藤村には出場停止処分が課された。

9位:アレックス・ラミレス


985試合(2004年8月8日〜2011年7月14日)
記録ストップの理由:死球による右足甲のケガ

 外国人選手としてNPBトップの記録保持者はアレックス・ラミレス(DeNA監督)。巨人時代の2011年7月13日、阪神戦で右足甲に死球を受け、翌日は代打で出場したものの、その後も痛みが引かず欠場を決めた。

10位:石嶺和彦


894試合(1988年8月14日〜1995年7月12日)
記録ストップの理由:不振

 オリックスから阪神にFA移籍した石嶺和彦だが、阪神2年目の1995年に成績が急降下。阪急時代からの記録が止まった。

文=落合初春(おちあい・もとはる)

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