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踏ん張れ、熊本! ロッテ・伊東勤監督を育んだ熊本での少年時代


「自分がそこに行けない悔しさ……」

 言葉を詰まらせ、涙ぐむロッテ・伊東勤監督の姿があった。

 熊本県を中心に甚大な被害をたらした今回の震災。断続的な余震の影響もあって公式戦の中止も相次いだ。一方で、試合前に募金活動を行うなど、野球界の中での復興支援の動きも進んでいる。熊本県は野球どころだけに、家族や友人が被災した、という球界関係者も多い。

 その1人が伊東監督だ。熊本市内の実家は震度7を観測した益城町から車で約30分の距離。家族は全員無事だったが、家の中には入れない状態だという。そんな故郷をおもんぱかり、「せめて今できることを」と率先して募金活動に参加。その際に出たやるせない思いが冒頭の言葉だった。

 伊東監督は1962年、熊本県熊本市出身。地元・熊本工高3年時には甲子園出場も果たし、地元のヒーローとなった。その活躍の原点にあったのが、熊本の自然で遊び、学んだ少年時代だったことを自著『勝負師』で綴っている。だからこそ、熊本の大地で起きている未曾有の災害に絶句してしまうのではないだろうか。

 伊東監督の思いを少しでも理解すべく、自著『勝負師』から、熊本で過ごした少年時代の様子を振り返りたい。

名捕手・伊東勤の原点は熊本の大自然


《少年時代の私は“野生児”という表現がぴったりと当てはまるような遊び方をしていました。(中略)クワガタは毒ヘビやクマバチを避けながら、命懸けで捕っていました。危険を早めに察知することも自然から学びました。野球以外に習い事は一切やりませんでした。まさに自然が“先生”だったのです》(伊東勤『勝負師』より)

 熊本の大自然を“先生”と呼ぶ伊東監督。泳ぎも実家近くの「御船川」で覚えた。いや、覚えたというよりも、いきなり足が着かない深いところに放り出され、「泳がざるをえない」という状況に身を置いたことで自然とマスターしたという。

 そんな自然での遊びを通じて、野球にもつながる技術や運動神経を磨いていった。たとえば、川の水面に石を投げる「水切り」だ。

《石はスナップを利かせないと真っすぐに飛ばず、(中略)さらに強烈なスピンを与えないと、向こう岸まで届きません。この動きはキャッチボールの基本と同じで、私はそれらを遊びの中で身に付けていました》(伊東勤『勝負師』より)

 この“水切りトレーニング”の成果か、プロでも指折りの柔らかい手首を手に入れた伊東少年。ほかにも、大きな石を遠くに飛ばす遊びで腕力を鍛え、木に実った果実を石で落とす遊びを通じてコントロールを培ったという。

 実際、小学校時代から捕手だったという伊東少年は、プロに入るまで盗塁を許した経験がほとんどなかったという。高校時代にもなると、各校に伊東の強肩は知れ渡り、「伊東から盗塁をするのは至難の業」という評価が定着していた。

 熊本の自然によって育まれた、捕手・伊東勤の肩。その素養があったからこそ、伊東ならではのキャッチャー像ができあがっていった。

《かねて私はいいキャッチャーとは、盗塁を刺すキャッチャーではないと思っていました。ランナーに盗塁を企画することさえためらわせるのがキャッチャーの理想像ではないでしょうか》(伊東勤『勝負師』より)

 伊東少年の遊び場であり、“先生”でもあった熊本の大自然。稀代の名捕手・伊東勤を育て上げた熊本の大地。一刻も早く、その地に平穏が訪れることを祈念したい。


文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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