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村田透(クリーブランド・インディアンス)独占インタビュー第1回:巨人ドラ1からの挫折、そしてメジャー挑戦へ

「お待たせして申し訳ございません」

 大阪郊外のカフェに現れた男は相変わらずだった。変わることのない礼儀正しいナイスガイ。「紳士たれ」をうたう名門チームのドラフト1位だったのも納得がいく。村田透、投手、29歳。現在はクリーブランド・インディアンズに所属している。

「今は軽くですね」

 シーズン終了後、1週間くらいはアメリカに滞在していたという。帰国後もトレーニングはしているが、現在はもっぱらリハビリに充てているようだった。

 昨年初昇格した3Aコロンバスでシーズンの半分ほどを過ごした。残りの半分を過ごした「古巣」2Aのホームタウンであるアクロン、それに遠征先と、旅から旅の半年。それでも今シーズンは、ホームタウンにじっくり腰を落ち着かせることができた。



「ホームステイさせてもらったんです。家族の方にもずっと良くしてもらいましたね」

 アメリカマイナーリーグでは、球団が、ボランティアでホームステイを受け入れてくれるホストファミリーを募集し、選手のシーズン中の生活の面倒を見てもらっている。村田の話だと、月給だけでは食べていくのも苦労するA級くらいまではホームステイが多いらしいが、それなりに給料のもらえるアドバンスA級(A級は3ランクにわかれている)以上だと、選手どうしでアパートをシェアするか、3Aくらいになると家族持ちもいるため自分で部屋を借りることも多い。村田自身も昨シーズンまでは同僚と部屋を借りていたが、今年はあえて、ホームステイを選んだ。

「英語、覚えたいなって。去年と同じようにチームメイトとアパートだと、英語のレベルも上がらないと思って。同じことの繰り返しになりますから」

 アメリカで続けていく覚悟がこういうところからもあらわれていた。シーズンが終わってすぐに帰国しなかったのは、アメリカでの2つの「家族」へのあいさつのためだったらしい。それもまたいかにも村田らしかった。

 村田の名がコールされたのは2007年秋のドラフトのことだった。決して豊作とは言えなかった中、大学・社会人ドラフトの1位指名は東洋大学の大場翔太(現ソフトバンク)と愛知工業大学の長谷部康平(現楽天)に集中した。リーグ覇者の巨人は、1番人気の大場を外し、さらに日本大学の篠田純平(現広島)の指名にも失敗、「外れの外れ」として3年時に大学選手権で胴上げ投手となった村田を指名した。

「入ってしまえば、関係ないんで」

 指名順位も含めて村田は気にならなかったという。

「だいたい、そんなこと、どうこう気にしていられるほど自分にも余裕はなかったですし」

 余裕がなかった、というのは、大学最後の年を右足の故障のリハビリに費やしたことも関係あったのかも知れない。そんな本人の気持ちとはうらはらに、同じく巨人から1位指名を受けた大先輩のことを持ち出し、彼をこう呼んだ。

「上原浩治2世」


▲全日本大学野球選手権でMVPを獲得した

 このような呼ばれ方をした選手の多くはその才能を開花できずに終わってしまうのは球界のジンクスの1つと言っていい。村田もまた、この例に漏れることはなかった。

 41試合2勝10敗、防御率4.56

 村田はこの数字を残しただけで、3年目のオフに自由契約を言い渡された。ついに1軍のマウンドに上がることはなかった。残した成績はファームでのものでしかなかった。

この頃について、村田はなかなか口を開こうとしない。そのことに話を向けても、表情は固い。巨人での最後のシーズン、ファームとはいえローテーションを任された村田だったが、最初の数試合で失敗すると、その後は先発どころか、登板機会そのものが与えられなくなった。

「うーん、そうですかね。まあ、あの頃のことは、いま話すことではないと思います。自分の中で止めとかないといけないこともあると思うし。あくまでも夢を売る職業なんで」

 退団当時25歳。納得のいく辞め方でなかったことは確かだった。行き先のなくなった才能をメジャーが放ってはおかなかった。2011年春、クリーブランド・インディアンズとマイナー契約を結んだ村田はアリゾナの大地を踏みしめた。

 ここで村田は、アメリカの厳しさを思い知らされる。前年にA級でプレーし、2年目のキャンプに参加していた日本人選手がクビになった。一旦契約をしておきながらキャンプ時点でクビにするなど日本では考えられなかった。

「まあ、映画みたいにロッカーに張り紙があるっていうことはないですけど。担当者に呼ばれて通告です」

 シングルAからスタートしたキャリアは年々ステップアップし、昨シーズン初昇格した3Aで、今シーズンはローテンションを守った。今年こそはと決意を新たに目指したメジャーのマウンドを踏むことはできなかったが、それも決して見えない遠くの幻ではなくなっている。

「給料は去年より貰ってますね。在籍した日数ですから。いたレベルの割合で。3Aに長くいた分、増えました」


(次回に続く)

■プロフィール
村田透(むらた・とおる)/1985(昭和60)年5月20日生まれ、大阪府出身。大体大浪商高〜大阪体育大〜巨人〜インディアンズマイナー。大体大浪商高では1年秋からエースとして活躍。2002年のセンバツに出場し、開幕戦で二松学舎大付に勝利した。大阪体育大に進学し、3年時に大学選手権でリリーフとして4勝、防御率0.48でMVPを獲得し、初優勝に貢献した。大学の先輩にあやかり「上原浩治二世」と呼ばれる。しかし、大学時代は長らくケガに悩まさられており、特に2007年2月に右足首の靭帯を手術した。4年時はほとんどリーグ戦で登板できなかったものの、この年の大学社会人ドラフトで巨人1巡目の指名を受け入団。巨人では一度も1軍で登板することはなく、3年で戦力外通告を受ける。トライアウトに参加した際に、インディアンズのスカウトから誘いを受け、マイナー契約を結んだ。2011年は1A、2012〜2013年は2Aと3Aを行き来してプレーしていた。今年は主に3Aで先発投手として活躍した。ブログ「村田透のおもんない話(http://ameblo.jp/toru-murata/)」

■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。

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