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《野球太郎ストーリーズ》巨人2012年ドラフト1位、菅野智之。雌伏の1年を正解だったと認めさせるために(3)

取材・文=大利実

《野球太郎ストーリーズ》巨人2012年ドラフト1位、菅野智之。雌伏の1年を正解だったと認めさせるために(3)

昨年のドラフト会議で交渉権を獲得した日本ハムの入団を拒否し、1年間の浪人生活を送った菅野智之(東海大)。祖父はアマ球界の重鎮、伯父はプロ球界の日本一監督…。菅野にとって学生野球とは、宿命から逃げずに戦った時間でもあった。関係者の証言も交えながら、菅野智之の「心・技・体」の成長を追った。

ヤンキース・黒田からの影響


 大学4年春、筑波大との試合でわずか94球、4安打無四球の完封という試合があった。

「正直、3年秋まではスピードにこだわっていました。一番わかりやすいアピールになりますからね。でも、コンスタントに速い球が投げられるようになってからは、そのこだわりは捨てました」

 4年時は緩いカーブをうまく使い、意識的に緩急を作り出すなど、大人のピッチングに変わっていた。速い球でグイグイ押すことだけがピッチングではない。そう言いたげな内容だった。

 このあたりに関しては、西村トレーナーが興味深い話を教えてくれた。

「今年に入ってから、球数の話をしていました。『フォーシームのストレートよりも、ツーシームやワンシームで打たせて取って、球数をいかに少なくするか。5年後、10年後も考えると、そのほうがいいですよね』って」

 この考えは、ヤンキースで活躍する黒田博樹の著書『決めて断つ』から影響を受けたことだという。黒田の思考を、自分の将来の姿にだぶらせていた。

伯父とともに夢の続きを歩む


 ドラフト指名当日、午後9時過ぎに原辰徳監督、原沢敦球団代表兼GM、長谷川国利スカウトが東海大に到着した。

 まず、原沢代表が「1年間お待たせしました」とあいさつをすると、原監督は甥っ子である菅野と抱擁をかわし、「頑張れ!」とその背中を4度叩いた。

 ビックなサプライズもあった。原監督の手には、「SUGANO」と刺繍された背番号19のユニホーム。かつて、小林繁や上原浩治(レンジャーズ)が背負った「19」である。ドラフト当日に、背番号が決まっていること、そのユニホームがすでに作られていることに驚かされた。

 報道陣から、「これからは伯父さんから、監督になりますが」と質問が飛ぶと、菅野は一瞬、困ったような表情になった。そこですかさず、原監督が「使い分ければいいからな!」と合いの手を入れた。菅野以上に、原監督の表情も緩みっぱなしだった。

 来季の目標を聞かれた菅野は、「1年間、ローテーションを守り続けたい」。勝利数や新人王よりも、まずは先発として年間通して働き続ける。それが第一の目標となる。

 そして、「同世代には絶対に負けたくありません」と続けた。大学日本代表でともに戦った野村祐輔(広島)、藤岡貴裕(ロッテ)は、プロの世界では1年先輩になる。

「彼らが投げている姿が励みにもなりました。もちろん、悔しい思いもありましたけど、彼らの頑張りがあったから、自分もここまで頑張ってこられたというのもあります」

 ライバルとは1年遅れで踏み出すプロの世界。菅野は「ここからが本当のスタート」と、強調する。

 1995年10月8日、伯父・原辰徳の引退試合を、5歳の菅野少年は東京ドームの三塁側内野席で見ていた。試合後、スポットライトを浴びて、スピーチをしているシーンは未だによく覚えているという。

「私の夢には続きがあります」

 それが引退の言葉だった。2002年から2年間、そして06年から現在まで巨人の監督を務め、9年間で3度の日本一を果たした。

 菅野の夢もここで終わりではない。伯父とともに、夢の続きを歩んでいく。

(※本稿は2012年11月発売『野球太郎No.002 2012ドラフト総決算プレミアム特集号』に掲載された「26選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・大利実氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)

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