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村田透(クリーブランド・インディアンス)独占インタビュー第2回:年ごとに変わる環境

「比べることはできませんね」

 村田は、日米の野球の違いについて尋ねると決まってこう言う。

「野球とベースボールです。そりゃもう英語とスペイン語くらい違います(笑)」

 特に興味を持って観るわけではない、と言いながら、帰国してから、野球中継もテレビで観る。そこで改めて驚かされるのはストライクゾーンの違いだと言う。

「全体的に日本の方が広いような気がしますね。特にインコースはそうですね。日本は去年あたりから広くしたんでしょ。試合時間を短くしようって。だから、帰国してテレビ見ていて、すごく広くなったなって思いました」

 日米間の違いだけではない。アメリカで野球をするということは、その中でも目まぐるしく変わる環境の変化にも適応していかなければならない。ロースターの半分がメジャーリーガー(メジャー契約者)で占められるマイナー最高峰で過ごした今シーズンは、クラスの壁を越えたその変化にも対応を求められた。

「でもね、行く先々で適応が難しいなんて言っているうちはダメなんですよ。ボールなんかも気になったらダメですね。全然違うんですもん。僕も1年目は気になってシングルAでも投げれなかったですから。そこ敏感になったらホント投げれなくなるんですよ。

 確かに、日本のボールに慣れてしまったら気にならない人はいないですよ。日本のボール、質がいいんで。それにプレーする場所でも全然違います。リーグ戦の行われる中西部と乾燥したキャンプ地のアリゾナとでは全く違いますから」

 アメリカで野球をやるということはどういうことなのか、この4年で村田は十分すぎるほど理解するようになった。



 今シーズン、3Aに腰を据えたことで、いい意味での環境の違いも体感した。

「やっぱり全然違います。球場の雰囲気から違いましたね。あとは年齢層(笑)。2Aでは僕が一番年長でしたが、3Aではまだまだ年上もいましたね。30(歳)越えたような人がほとんどでした。まあ、ちょくちょく入れ替わりはありましたが。

 うちの3Aは、マイナーでも1、2を争う人気チームで、いつも球場は満員なんですよ。そういう中でプレーするのはやっぱり気分いいですよね。選手の待遇もそう、もう全てですね。その点は特にビジターで感じました。アメリカでは、基本的にビジターのロッカールームは良くないんですよ。でも3Aだと、ビジターでもいいんですよ。移動も楽ですし、飛行機移動がありますから。2Aだと最高12時間の移動があったんです。もちろんバスでした」

 彼が今シーズン、ホームにしたオハイオ州コロンバスには私も足を運んだことがある。球団の日本人スタッフに案内されたベンチ裏の風景には、正直、度肝を抜かれた。試合後、取材のために足を運んだビジターチームのロッカールームは、ホームチームのそれと比べても全く遜色なく、なじみの選手がうまそうな賄いをほおばっていた。

▲コロンバスのホームスタジアム。よくあるマイナーの球場のイメージとは違う立派なスタジアムだ。

 しかし、それよりもなによりもレベルの違いに驚かされたという。下位でも息を抜けない打線、そして、4番を中心とするクリンナップのパワーはひとつ下の2Aとは比べ物にならなかった。

「やっぱり甘い球は、きちんと打ってきますよ。こっちがビハインドのカウントなら打ち損じませんね」

 だからこそ、よりカウントを整えることが大事になってくるのかと思いきや、村田からは意外なコメントが返ってきた。

「いや、今年はストライクにこだわらないことを心掛けたんです。フォアボールも気にしませんでした。ストライクをとることにビビってたら球速が出ませんので」

 昨年、所属した2Aの監督の村田評は、「あとスピードがね」というものだった。

 旧知のメジャースカウトも90マイル(144キロ)が最高峰でプレーする最低条件だと言う。どんなピッチャーでも必ずコントロールミスがある。メジャーリーガーは投げ損じを見逃すことはない。彼らの鋭いバットスウィングに負けないストレートを持っていないと、確実にスタンドまでもっていかれる。メジャー予備軍の集まる2Aになると、ほとんどの投手はこの数字を越えるストレートを持っている。

 日本でドラ1だった村田にこの数字は不可能なものではない。しかし、昨年は低めへという意識が強かったせいか、85、6マイルを越えるストレートはほとんどなかった。

「アメリカでは、ボールになっても低めにいっていれば評価されますね。アメリカではロッカールームで(親球団の)インディアンズの試合がテレビでいつも流れているんですよ。それを見てても、やっぱりメジャーの選手は、ボールが荒れてても低めにいくんですよ。その方がゴロを打たせられますから」

 しかし、それでは「最低基準」をクリアできない。ナックルボーラーのようになにか「魔球」をもっていれば別だが、プロスペクトでもない村田がメジャーに上がるためには結果もさることながら、指導者やスカウトを納得させる「数字」を示さねばならない。

「だから普段からやることも変えました。フォームも若干ですが肘を下げました。自分のタイミング、感覚、それを大事にして…」

 その甲斐あってか、今シーズンは90マイルに迫る球速を記録するようになった。球種も増やした。それまでの持ち球であるストレート、カーブ、スライダー加え、ツーシームを覚えた。

「日本でいうシュート、シンカーですね。いろんな人から教えてもらって。やっぱり合う合わないがありますから。去年は松坂(大輔/2013年シーズンはインディアンズマイナーでスタート)さんともお話しさせていただいて、ヒントいただきましたし。まだまだしっかりコントロールできているわけではないですけど」

 結果、内野ゴロで打ち取る数は増えていった。強いボールで打者に凡打を打たせることに主眼を置いた村田にとっては狙い通りだった。

「フォアボールは増えて、三振も減ったんですが……。僕も別に三振とらなくてもいいって思ってましたから」

〈早く相手の攻撃を終わらせればいい〉

 これが村田の出したメジャーへの方法論のようだ。


(次回に続く)

■プロフィール
村田透(むらた・とおる)/1985(昭和60)年5月20日生まれ、大阪府出身。大体大浪商高〜大阪体育大〜巨人〜インディアンズマイナー。大体大浪商高では1年秋からエースとして活躍。2002年のセンバツに出場し、開幕戦で二松学舎大付に勝利した。大阪体育大に進学し、3年時に大学選手権でリリーフとして4勝、防御率0.48でMVPを獲得し、初優勝に貢献した。大学の先輩にあやかり「上原浩治二世」と呼ばれる。しかし、大学時代は長らくケガに悩まさられており、特に2007年2月に右足首の靭帯を手術した。4年時はほとんどリーグ戦で登板できなかったものの、この年の大学社会人ドラフトで巨人1巡目の指名を受け入団。巨人では一度も1軍で登板することはなく、3年で戦力外通告を受ける。トライアウトに参加した際に、インディアンズのスカウトから誘いを受け、マイナー契約を結んだ。2011年は1A、2012〜2013年は2Aと3Aを行き来してプレーしていた。今年は主に3Aで先発投手として活躍した。ブログ「村田透のおもんない話(http://ameblo.jp/toru-murata/)」

■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。

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