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【夏の甲子園全決勝戦レビュー・第28回〜第34回大会】全試合完封で2連覇も成し遂げた福島一雄

 沖縄や北海道では地方大会が始まった。ということは、早くも「最後の夏」を迎え、中には、すでに幕を引いてしまった球児たちがいる、ということでもある。こうした球児たちのドラマが「第1回全国中等学校優勝野球大会」が開幕してから100年分の積み重なりがあり、この夏を迎えたのだ。

 その記念すべき年に、『週刊野球太郎』では無謀にも、100年間に行われた全ての決勝戦をレビューしている。第5回目の今週は、戦後初の大会となった1946年に行われた第28回大会から、第34回大会の決勝戦をレビューしよう。

1946年(昭和21年)――第28回大会決勝

京都二中|000|000|000|0
浪華商 |000|001|01×|0

■戦後第1回目の大会は西宮球場で開催

 敗戦からちょうど1年後の8月15日に開幕した今大会。甲子園球場は占領軍に接収されて使用できず、西宮球場で開催されたのだった。

 混沌とした時代で、野球の技術力低下は甚だしかったという。しかし、決勝進出した2チームは洗練されていた。浪華商・平古場昭二と京都二中・田丸道夫の両エースの投げ合いで息詰まる決勝戦となり、0-0で迎えた6回に試合が動く。

 浪華商の角家巌が放った右中間二塁打がタイムリーヒットとなり、浪華商が先制。8回にも四球で出塁した走者が、三塁へ盗塁。京都二中の捕手の悪送球を誘い、1点を追加。平古場は完封勝利をおさめたのだった。

1947年(昭和22年)――第29回大会決勝

小倉中|000|014|100|6
岐阜商|030|000|000|3

■7年ぶりの甲子園球場開催! 決勝戦はわずか1時間12分

 8月13日から7日間にわたって開催された今大会は、7年ぶりに甲子園球場を使用。春のセンバツ準優勝校の小倉中が全国制覇を達成した。

 小倉中のエース・福島一雄は、2回に3点を先取されるも、抜群の制球力で後続を抑える。その力投に応えた小倉中打線は5回に1点を返し、6回にバント戦法で岐阜商を撹乱。7回にも追加点を挙げて6−3で小倉中が勝利し、大会史上初めて、優勝旗が関門海峡を越えた。

 ちなみに、この決勝戦の試合時間は、わずか1時間12分。史上最短記録であり、両校のきびきびとした攻守交代がその理由である。

1948年(昭和23年)――第30回大会決勝

桐蔭|000|000|000|0
小倉|000|001|00×|1

■現在の「全国高等学校野球選手権」へ改名した大会!

 学制改革により、中等学校が高等学校へと改称された。それに伴い、大会名は「全国高等学校野球選手権」と変更。現在までの名称となったほか、この大会から「栄冠は君に輝く」が大会歌として使用された。

 試合のほうは、前年度優勝の小倉高校(小倉中から名称変更)が2連覇を達成。エース・福島一雄の好投がその要因で、なんと決勝戦を含む5試合全てを完封。上手投げと下手投げを交え、カーブとシュートを巧みに操り、凡打の山を築いた。

1949年(昭和24年)――第31回大会決勝

湘南|000|102|020|5
岐阜|021|000|000|3

■22年ぶりに東日本へ優勝旗が帰ってきた!

 小倉中学→小倉高校→小倉北高校と校名変更した小倉北の3連覇がかかった今大会。しかし、準々決勝で倉敷工に敗れて、夢は潰えた。その倉敷工を準決勝で破ったのは岐阜で、甲子園初出場の湘南との決勝戦は、岐阜の圧倒的有利と予想されていた。

 わずか創部4年目ながら、神奈川代表として甲子園にやってきた湘南。試合は予想通り、岐阜が先制して3点リード。ところが4回表、湘南の7番打者・佐々木信也(元高橋ユニオンズほか)の二塁打で1点を返して反撃。6回に追いつくと、8回は再び佐々木が安打を放ち、焦る岐阜ナインの失策や捕逸を誘って、勝ち越し。絵に描いたような逆転劇で、湘南は番狂わせを演じたのだった。

1950年(昭和25年)――第32回大会決勝

鳴門 |100|201|040|8
松山東|400|000|71×|12

■四国勢同士の決勝戦!

 戦後復活した甲子園大会も5年目を迎えて、今大会の参加校は全国1500校を越えた。代表校も初出場校が11校と多く、熱戦が続いた。

 決勝戦は奇しくも、四国勢同士の対戦となった。両チームとも爆発的な打撃力がウリで、初回から激しい打ち合いとなる。圧巻は7回裏の松山東打線。二死後からの集中打で一挙7点を奪うビックイニングを作り、12−8で松山東が優勝。深紅の優勝旗は戦後初めて、瀬戸内海を渡った。

1951年(昭和26年)――第33回大会決勝

熊谷|012|000|010|4
平安|330|010|00×|7

■片腕監督のノックで全国制覇!

 優勝した平安の木村進一監督のチーム作りが大きな話題を呼んだ大会だった。木村監督は、第24回大会の平安優勝時の遊撃手。しかし、太平洋戦争で負傷し、右手首を失った。

 ところが、木村監督は左手一本で猛ノックを続け、平安ナインを鍛え上げたのだ。左手で球を拾い、右手の義手を使ってボールを高く上げて、左手一本で打つ……を繰り返すノックは、大変な努力で身に着けたという。

 決勝戦は1、2回と連続で3点を奪った平安が、細身のエース・清水宏員(元毎日オリオンズ)の力投で見事、全国制覇を果たしたのだった。

1952年(昭和27年)――第34回大会決勝

芦屋|100|000|300|4
八尾|100|000|000|1

史上初! 甲子園の地元同士の決勝戦

 決勝戦に駒を進めたのは、兵庫の芦屋と大阪の八尾。甲子園のお膝元にある両校の決勝戦は、大いに盛り上がった。

 試合は初回、芦屋が1点を先制するものの、その裏、八尾もすかさず同点。7回まで試合は動かず、緊迫した投手戦が続いた。7回表、芦屋は得意のバント攻撃で一死1、2塁のチャンスを掴むと、相手のエラーで満塁に。ここで土河次郎がスクイズ失敗の後、レフトオーバーの3点タイムリーを放ち、試合を決めた。ちなみに、兵庫勢の優勝は第9回大会の甲陽中以来、30年ぶりだった。

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