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今シーズンはこんなプロ野球選手が見たい! 君は殿堂入りした伝説の打者・榎本喜八を知っているか?


 野村克也(元南海ほか)は捕手として、そのバッターを最も打席に迎えたくなかったという。また、鉄腕・稲尾和久(元西鉄)はそのバッターを抑えるためだけに、フォークボールをマスター。あの張本勲(元東映ほか)も、首位打者争いのデッドヒートで負けたのは、そのバッターだけだと言っている。

 時代を彩った名選手たちにこれだけの評価をされた伝説のバッター、その名は榎本喜八(えのもと・きはち)。昭和30年代のパ・リーグを代表する安打製造機だ。

高卒で開幕スタメン、史上最速での通算1000安打達成。今も記録に残る名打者


 1955(昭和30)年、早稲田実から毎日(現・ロッテ)に入団した榎本は、いきなり近鉄との開幕戦でスタメンに抜擢。「5番・一塁」で出場と、初めから卓越した打撃センスを持っていたことがうかがえる。

 なお、高卒ルーキーが開幕戦でクリーンアップを担ったのは後にも先にも榎本だけ。今季はチームの後輩にあたる平沢大河や、オコエ瑠偉(楽天)が開幕スタメンの可能性を秘めているが、彼らが初陣からクリーンアップを打つことは恐らくないだろう。

 7年目の1961(昭和36)年には通算1000安打を達成。24歳9カ月での到達は史上最速で、今もこの記録は破られていない。あのイチロー(マーリンズ)でも破れなかったことから、その凄さがわかる。

 王貞治(現・ソフトバンク会長)を育てたことでも有名な荒川博氏の薦めで、合気道を取り入れた打法を習得。絶好調時には「神の域へ行かせていただきました」と、今でいう「ゾーン状態」にあったことを告白している。このあたりも伝説のバッターたらしめるエピソードかもしれない。


近年では前田智徳が榎本に最も近かった?


 求道者のごとく打撃に打ち込んでいた榎本。そのイメージに最も近かったのは前田智徳(元広島)だと言われている。前田に関しては、今でこそ饒舌で甘いもの好きのキャラクターのイメージがあるも、選手としては間違いなく榎本と被るところが多い。

 無駄のない理想的なフォームに、抜群の選球眼。ヒットを打っても、自らの理想とかけ離れた内容だと塁上で苦虫を噛み潰す――。バッティングへの考え方はもちろん、「バット一本で飯を食っている」と周りに思わせる雰囲気もそっくりなのだろう。安打製造機と言われながらも、ほとんどのボールを巻き込んで引っ張るスタイルも共通点だ。

 アキレス腱断裂後の「前田智徳は死にました」という言葉は有名だが、榎本も体が思うように動かなかった現役晩年に「オリオンズの榎本はもう死んだんだ」と発言。奇しくも苦境に立たされた際の話しぶりも酷似している。

 記録的にはイチロー、記憶的には前田。彼らの源流をたどっていくと、榎本の存在は決して無視できない。

現役引退から40年余。満を持して野球殿堂入り


 1972年の現役引退後、野球界との関わりをきっぱりと断った榎本。一時は指導者を志す時期もあったようだが、表舞台に戻ることはないまま2012年に他界。伝説は伝説のまま終わってしまうのかと思われた。

 しかし、野球の神様は榎本を忘れていなかった。今年の1月、エキスパート部門として野球殿堂入りを果たしたのだ。

「現役を引退したプロ野球のコーチ、監督で、引退後6カ月以上経過している人」「現役を引退したプロ野球選手で、引退後21年以上経過した人」を対象としたこの部門は、2008年より設置。実績はあっても埋もれかけていた野球人に再びスポットライトを当てられる、絶好の機会だ。「まさに榎本の殿堂入りを待っていたかのよう」と称すのは大袈裟だろうか。

 昔と比べると、昨今のプロ野球選手はスタイリッシュになり、「イケメン」が持て囃される傾向にある。それはそれで良いことなのだが、榎本のような“凄み”を感じさせる選手も現れないかと心待ちにしている。

文=加賀一輝(かが・いっき)

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