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私たちの指導は「ほんとに子どもらに正しくちゃんと伝わってた…?」(第40回)

 子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考える「野球育児」コーナー。


9年前の素晴らしき野球人との出会い


 野球ライターという仕事をするようになって2年目の2004年、とある強豪私立中学の軟式野球部の取材にいく機会があった。当日は監督のHさん(読んでいくうちに誰のことなのか、わかる人はわかると思うのですが、今回はイニシャルで)にインタビューを敢行しながら、練習を拝見させていただく、という形式だったのだが、私は、シンプルながらも真理をついたHさんの奥深い野球指導論に瞬く間に魅せられてしまった。

 細かく記すと、そのことでページが尽きてしまうが、大切な部分を要約すると
「時間をきちんと正しく感じられるようになることが野球上達の肝」
「時間をきちんと感じられるキャッチボールができてはじめて、バッティングも守備も上達する下地が出来る」

 といったもので、取材中、私の目からはウロコが何十枚も落ちまくった。

 当時、二人の息子たちはまだ小1と幼稚園の年中。野球を始めるような気配など全くなかったが、もしも将来、息子らが野球をするようになり、自分に指導者をするような機会が巡ってきた場合に、少しでも自信を持って、野球を伝えられる人間になっていたいという欲求は常日頃からあった。

 私はHさんと過ごした1日で、指導者として大切な発想、そして選手に伝える手段の肝のパーツを得られた気がした。

 取材から自宅に戻るやいなや、取材のお礼とともに、自分の野球観が大きく揺さぶられたこと、そして指導者として大切なものを伝えてもらったことへの感謝の気持ちを便箋に綴り、ポストに投函した。

 返信はお菓子とともに即、送られてきた。「そう言ってもらえてうれしい。お子さんたちが野球を始められる日を心待ちにしています」と綴られた内容の手紙を何度も読み返したものだった。

ベースはいつだってHさんの指導論だった


 取材日から約一年後、ありがたいことに、息子たちは地元の少年野球チームに入団し、野球人生を歩み始めた。私も一保護者コーチとしてお手伝いをしていたが、気づけばヘッドコーチを要請され、息子らとともにどっぷりと少年野球にのめり込む日々が始まった。

 指導スタイルとしては、取材などで得たたくさんの情報や知識を織り交ぜつつ、根幹となる部分にはいつだって、Hさんの野球指導論があった。

 自分自身を介してではあるが、Hさんの野球理論を息子らを含めた教え子たちに授けられることの幸せを、コーチ生活中、常に感じていた気がする。

 入団当初は2年間で1勝もできなかった弱小チームだったが、長男が最上級生になったときには県大会まであと1勝という位置までこぎつけることができた。息子らもHさんの野球理論の下、野球少年としてすくすく育ってくれた。

 ふと思う。もしも、2004年にHさんに出会っていなかったら、その後の息子たちの野球人生はどうなっていたのだろう、と。自分の野球育児、野球指導はどのようなものだったのだろう、と。

 2004年の衝撃取材から数年が経過したある日、差出人の欄にHさんの名が書かれたハガキが自宅に届いた。そこには、出身地の公立高校で高校野球の監督に転身することになった、との報告が記されていた。

 その後、Hさんの就任した高校は、県の上位に常に名を連ねる存在に。Hさんの野球指導論に中学も高校も関係ないところを存分に見せつけ、初の甲子園出場も夢ではないところまで現在来ている。

 Hさんが指導の場を高校球界に移して以後、地方予選の大会などは時間が許す限り、足を運んだ。試合後に挨拶をしにいくと決まって、「息子さんら何歳になった?」と聞いてくれた。

「長男は6年生になりました」
「ほんならあと3年やな。うちの高校も検討してや!」

 長男が中3になったときにはHさんの高校の体験練習に参加させてもらった。結果的には息子は違う高校に進むことになったが、私自身は、Hさんに預けてみたいという思いが最後まで捨てきれなかった。

9年前には予想もできなかった試合


 先日、長男の高校の秋季県大会があり、息子はベンチ入りメンバーには入っていないものの、保護者の応援部隊として参加してきた。対戦相手はなんとHさんの率いる高校。同じ県のため、対戦する可能性があるのは入学前からわかっていたものの、いざ、当たると、なんとも不思議な感覚に陥った。

 試合前、球場の駐車場内でHさんの姿が見えた。

 普段なら真っ先に駆け寄り、挨拶を交わすのだが、こちらは敵チームのお揃いの応援シャツに身を包み、周りには保護者もたくさんいる。私は横にいた妻に訊いてみた。

「挨拶してきたいんやけど、ちょっとおかしいかな…?」
「気持ちはわかるけど…なんか、ちょっとおかしくない? 試合前に敵の監督と、一保護者がしゃべってたら、うちの高校の関係者の人らが『なんなん?』って訝しがるよ。すれ違うような距離で無視することはないけど、あそこまで駆け寄っていく必要は今はなくない…?」
「そうか、やっぱ、そうなるのか…なんか変な感じやなぁ…」
「うちの子がここの高校に進んでるのって知ってはるんやったっけ?」
「知ってるよ。まぁ今は決戦前でそんなことは頭から抜けてるとは思うけど」

 結局、悩んだ挙句、Hさんの姿は見えていないことにした。しかし、いざ試合が始まると、三塁側の応援スタンドからは、一塁側ベンチで指揮を執るHさんの姿が実によく見えた。選手たちを鼓舞する熱いジェスチャーは健在。展開する野球も相変わらず質が高く、公立高校ながら、惚れ惚れするようなチームを作り上げていた。

 試合は延長11回の末、Hさんの高校がサヨナラ勝ちを収め、息子の高校のセンバツへの夢は断たれた。

「父ちゃん、こんなことおれが言うたらあかんのやろうけど、むこうの高校、いい野球やってたよなぁ…」

 帰途につく車中、後部座席に座っていた長男がポツリとそんなことを漏らした。

「チーム全体で攻めてくるあの一体感はすごかったな…。あれで公立なんやもんな。やっぱりHさんってすごい人なんだね…」
「でも、おまえが小学校の時にやっていた野球はいってしまえば、Hさんの野球なんやからなぁ。おまえは今日の相手高校がやっていた野球を小学校時代に多少なりとも体験してるんやで。おまえの野球のルーツそのものがHさんの野球なんやから。そこは自信もっていいと思うで」
「そうかぁ…。父ちゃん経由でHさんの野球をやっていたってことやもんなぁ」

 そんな親子の会話に突如、助手席に座っていた妻が割って入る。

「あなたを経由してる分、子どもらのところに行きつく頃にはHさんの野球論もだいぶ薄められてたんじゃないの? ほんとに子どもらに正しくちゃんと伝わってた…?」

 よくもそんな気分の悪くなるようなことをしゃあしゃあと言えますなぁ、あんさん。

 ちょっと自信なくなってきたじゃないか…。

続く…


文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

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