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1981年の日本ハムと江夏豊 〜優勝請負人となった「球界の一匹狼」〜


 「優勝請負人」。その言葉を耳にしなくなって久しい。その男がいれば、チームは強くなれる。だが、劇薬を使った結果、チームは空中分解するかもしれない───。そんな、“存在するだけでハラハラどきどきできるアウトロー”が、最近の球界にはいなくなってしまったような気がする。

 「チームを救ったアウトロー」。今回、取り上げたいのは、“THE 優勝請負人”江夏豊についてだ。

江夏以上の抑えは今の球界にいない


 江夏豊の優勝請負人エピソードを語るとき、そのほとんどは1979年、1980年の広島2連覇。そして、1979年日本シリーズでの「江夏の21球」についてではないだろうか。

 だが、ここで取り上げたいのはそのさらに翌年、1981年の江夏豊について。2年連続でチームを日本一に導きながら、江夏はトレードで日本ハムに移籍。新天地で迎えたシーズンだった。

 3連覇よりもチームの安定を目指した広島。同時に、日本ハム・大沢啓二監督のたっての願いで実現したトレードでもあった。1980年、あと1勝でパ・リーグの後期優勝を逃した日本ハムにとって、最大の補強ポイントは空席のストッパーだったからだ。

 「ストッパーがいれば、今の戦力なら優勝できる。江夏以上の抑えは今の球界にいない」と決断した大沢監督はチームのエースだった高橋直樹との交換で江夏を獲得。チームでただ一人、試合途中からの「時差出勤」を認められるなど、まさに特別待遇の扱いだった。


リリーフ江夏を支えた読みの力


 江夏豊という投手は、その年代によって特徴が大きく変わる投手だ。プロ入りした阪神入団当初はカーブも投げられず、まさに速球一本槍。それでも高卒新人で2ケタ勝利をおさめたのだから恐れ入る。日本記録のシーズン401奪三振を記録したのは2年目、20歳のシーズンだ。

1967年(阪神):12勝13敗(225奪三振)
1968年(阪神):25勝12敗(401奪三振)
1969年(阪神):15勝10敗(262奪三振)
1970年(阪神):21勝17敗(340奪三振)
1971年(阪神):15勝14敗(267奪三振)
1972年(阪神):23勝8敗(233奪三振)
1973年(阪神):24勝13敗(215奪三振)

 1973年には延長11回・ノーヒットノーランも達成。しかも、勝利打点は自ら打ったサヨナラホームラン。まさに、江夏のひとり野球であり、孤高の存在だった。だが、そんな速球派・江夏のスタイルがもったのはこの1973年まで。1974年は12勝14敗、1975年は12勝12敗と勝ち星が伸びず、遂には南海へとトレードに出されてしまう。

 江夏豊という男が他の投手と一線を画すのは、ここからモデルチェンジを果たし、リリーフ投手として再生したことだ。そして、リリーフにあたって武器になったのは速球ではなく、相手の打ち気をそらし、待っているであろう球とは違うボールを投げる「読み」の力だった。

 江夏は日本ハム時代、相手を打ち取る方法についての取材で「いまは三振をとるより、いかに一球を終わらせるか、いかにして一球でしとめるかを考える方が楽しい」と答えている(『左腕の誇り 江夏豊自伝』より)。

 日本ハム移籍当初こそ、パ・リーグ打者の特徴が掴めず、黒星が先行してしまった江夏。だが、そこは百戦錬磨の男。後期以降は立て直し、終わってみれば自己最多となる25セーブでセーブ王を獲得した。

 江夏の活躍もあって後期優勝を果たした日本ハムは、前後期プレーオフも制して19年ぶりとなるリーグ優勝(日本ハムになってからは初)を達成する。江夏はこの年、広島時代の1979年以来2度目となるシーズンMVPも獲得。両リーグでのMVP受賞は史上初の快挙だった。

1978年(広島):5勝4敗12セーブ
1979年(広島):9勝5敗22セーブ
1980年(広島):9勝6敗21セーブ
1981年(ハム):3勝6敗25セーブ
1982年(ハム):8勝4敗29セーブ
1983年(ハム):2勝4敗34セーブ

 球速は少しずつ衰えながら、どんどんセーブ数は増えていった江夏。広島時代の3年間より、日本ハム時代の3年の方が、積み上げたセーブ数ははるかに多い。

 そのプライドの高さから、「球界の一匹狼」と評されることも多かった江夏豊。だが、江夏という男が凄いのは、誰よりも高いプライドがありながら、そのプライドよりもチームの勝利を優先し、労力を厭わなかったことだ。

 かつて「人が踏んだマウンドには登りたくない」と先発完投にこだわった男は、リリーフのパイオニアとして見事なモデルチェンジを果たした。

 野球から離れてしまうが、人気漫画『ちはやふる』の中に、こんなセリフがあるので付記しておきたい。

 《本当に高いプライドは、人を地道にさせる。目線を上げたまま》

強いチームに向かっていきたいというのが自分の考え方


 あと1勝を求めて江夏を獲得し、見事にリーグ優勝を果たした1981年の日本ハム。つい、比較したくなるのが近年のオリックスだ。

 2014年シーズン、「あと1勝」に手が届かず、ゲーム差なしの2位に甘んじたオリックスは翌年、その「あと1勝」を得るために30億円の超大型補強を断行。結果、去年、今年と最下位争いを繰り広げているのだから、野球とはなんとも不思議なスポーツといえる。

 そんな「あと1勝」を巡る戦いになりそうなのが、今年のパ・リーグ、ソフトバンクと日本ハムの優勝争いだ。いや、これはなりそうというよりも、なって欲しい、という願望かもしれない。ソフトバンクは今や、12球団一の巨大戦力軍団。そんなチームをどうすれば打ち破ることができるのか? そここそが、ペナントレースの醍醐味のはずだからだ。

 日本ハムで3年間プレーし、大沢監督の退任に伴ってチームを離れることになった江夏は、移籍先としてこんな申し出をしたという。

 「やっぱり巨人を倒したい、西武を倒したいという願望があった。強いチームに向かっていきたいというのが自分の考え方だから」(『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』より)

 まさに、球界の一匹狼らしい言葉。そんな男の願いむなしく、移籍先は当時2連覇中の西武ライオンズ。江夏は1年後、ユニホームを脱ぐことになるのだった。


文=オグマナオト

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