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松井秀喜とライバルたちの90年代プロ野球〜2013年引退選手特集プレビュー〜

 90年代プロ野球の残り香が消えようとしている。

 2012年12月28日、松井秀喜がニューヨークで引退を発表した。2003年からアメリカへと渡り、以降ニューヨーク・ヤンキースを中心にMLBを代表するクラッチヒッターとして活躍したゴジラ松井。だが、日本の野球ファンにとっての松井と言えば、90年代を代表するホームランバッターとしての記憶だ。

 Jリーグが始まり、「プロ野球の危機」が叫ばれていた1992年に読売ジャイアンツにドラフト指名されたこの男の活躍が、野球人気回復の一助になっていたのは間違いない。

 それだけに松井の引退は、ひとつの時代の終焉を予感させるものだった。そして今季、松井の後を追うように、90年代の日本プロ野球を支えた選手たちがひとり、またひとりとグラウンドに別れを告げている。

 松井秀喜が初めてベストナインを獲得した1995年にアキレス腱を断裂し、選手生命の危機にさらされたのが広島の前田智徳だ。前田はそれ以前の1992年〜1994年まで3年連続してベストナインを獲得。つまり、前田不在で空いた席に、松井が滑り込んだと見ることもできる。以降、「前田智徳という打者は死にました」などと語る姿が痛々しくもあったが、それでも15年間Bクラスで苦闘し続けたチームの精神的支柱だったのが、前田智徳という男の生き様だった。



 1996年、38本塁打の松井をわずか1本差でおさえ、本塁打王を獲得したのが中日ドラゴンズ時代の山?武司である。90年代を代表する「右の大砲」として一時代を築いた山?だったが、2000年代に入ると突如失速。オリックス移籍後の2004年には戦力外通告も受けた。

 だが、その年新規参入した楽天に入団。2006年に就任した野村克也監督のもとで配球を学び直し、2007年には再び本塁打王に返り咲いた。両リーグでの本塁打王獲得は、史上3人目の快挙だった。

 同じく野村監督の影響を色濃く受けたのが、90年代の阪神タイガース暗黒時代を知る桧山進次郎。1999年に就任した野村監督のそばにいつも座って配球を学び直したことが、後年誕生する「2代目・代打の神様」の一撃必殺の秘密だった。

 そして野村監督のもと、松井秀喜と90年代の読売ジャイアンツの前に壁となって立ちはだかったのがヤクルトスワローズであり、石井一久宮本慎也だ。

 特に石井一久は、松井にとって鬼門とも呼ぶべき存在だった。ルーキー年のオープン戦、松井は石井の投じたカーブに尻餅をついてよけていた。プロの投手の洗礼を浴びた1994年から1999年までの6年間の対戦成績は、82打数でわずか12安打で打率.146、3本塁打に抑え込まれていた。

 そんな石井をようやく打ち崩すことができた2000年、松井は初めて全試合で4番に座り、シーズンMVPと日本シリーズMVPをダブル受賞したのだ。

 2013年、松井秀喜の引退がまるで狼煙であったかのように、ライバルたちも次々に引退を発表した。その一方で今季のプロ野球では、打では東京ヤクルトのバレンティンが49年ぶりにシーズン本塁打記録を塗り替え、投手でも東北楽天の田中将大が、シーズン最多連勝記録を56年ぶりに更新した。プロ野球史においてまさに分水嶺とも呼ぶべきこの年に、一時代を築いた選手たちが揃って現役生活にピリオドを打つのも、どこか運命めいた光景である。


 「週刊野球太郎」では次週から、今季限りでの引退を発表した選手たちの偉業を讃えるべく、改めて「何が凄かったのか」を振り返っていきたい。過去を振り返ることで、未来のプロ野球のあるべき姿も見えてくるはずだ。




文=オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。また「幻冬舎WEBマガジン」で実況アナウンサーへのインタビュー企画を連載するなど、各種媒体にもインタビュー記事を寄稿している。ツイッター/@oguman1977

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