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エンタツアチャコからコンバットマーチまで。「早慶戦」から生まれた文化とは?

 “キズナ”による運命的な決着をみた第80回記念の日本ダービー。そして今週末には、こちらも110周年という記念の年である「早慶戦(慶早戦)」が神宮球場で開催される。
※慶應義塾大関係者からは「慶早戦」と呼ばれるが今回は「早慶戦」で統一します。

 すでに東京六大学春季リーグ戦の優勝争いから脱落してしまった早稲田大と慶應義塾大だが、“日本最古のダービー”とも言えるこの試合には、六大学の覇権を超えた因縁や魅力が満ちあふれている。そこで今回の「クローズアップ得点圏内」では、“早慶戦が生み出してきたもの”をいま一度振り返り、この戦いの意義を見直してみたい。


日本野球のレベル向上に努めた早慶戦

 1903(明治36)年秋、早稲田が慶應義塾に挑戦状を送り、今に繋がる伝統の早慶戦が始まった。

 記念すべき第1戦は11-9で慶應義塾が勝利。しかし、翌1904年には早慶両校が当時最強と呼ばれた一高(現・東大)を破り、直後の早慶戦で慶應義塾に初勝利を挙げたことにより、早稲田が一躍日本球界のトップに躍り出ることとなった。

 さらに早稲田は翌1905年に日本チームとして初となるアメリカ遠征を敢行。この遠征で早稲田は、ワインドアップモーション、スクイズなどのバント活用、スライディング、複数審判制や野球道具など、当時まだ日本球界では認知されていなかった最新の野球文化の洗礼を浴びる。

 翌1906年の早慶戦では日本初となる複数審判制が採用され、国内初となるディレードスチールも登場。早稲田がアメリカから持ち帰った最新技術や道具を発揮する舞台もまた早慶戦だったのだ。

 両校のライバル関係がなければ、日本野球の技術向上はもっと遅いものになっていたに違いない。


「文化としての野球」認知に貢献した早慶戦

 野球がスポーツファン・野球ファンだけでなく、広く一般社会に溶け込むキッカケとなったのもまた早慶戦だった。

 日本の野球人気を牽引した明治期の早慶戦。あまりの過熱ぶりが災いし一時期空白期間も生まれるが、大正14年に再開すると、当時普及し始めたラジオ電波に乗って全国に広まり、1925年に創設した東京六大学野球連盟においても早慶戦人気は隆盛を極めた。その象徴が1929(昭和4)年秋季リーグでの早慶戦だ。

 双方全勝同士の決戦となったこの試合では、慶應義塾大・宮武三郎と早稲田大・小川正太郎の両エースが投げ合い、最期は早稲田大・佐藤茂美の逆転ランニングホームランによる劇的決着を見ることになる。あまりの熱狂ぶりに、その様子は新国劇によって舞台化され、また漫才コンビ横山エンタツ・花菱アチャコも漫才のネタとして活用するなど、野球がただの競技ではなく、社会文化の一翼を担うことになったのだ。

 プロ野球はまだ影も形もなく、長嶋茂雄が天覧試合でホームランを打つ30年も前の出来事である。


「応援文化」が花開いた早慶戦

 早慶戦を語る上で欠かせないのが1960(昭和35)年秋のいわゆる「早慶六連戦」。だが、この戦いの裏では慶應義塾大応援団がある革命を起こしていた。それが史上初となる応援団の「女性リーダー」の存在。今では当たり前の女性によるチアレィーディングを生み出したものも、また早慶戦なのである。

 両校による応援合戦では様々な応援歌も流れるが、その多くが生まれたのも、やはり早慶戦がキッカケ。1927年に慶應義塾大が応援歌『若き血』を発表すると、対抗した早稲田大が発表した曲が『紺碧の空』(1931年)になる。そしてこの『紺碧の空』を作曲したのが古関裕而。

 戦後になると古関は1946年に慶應義塾大応援歌『我ぞ覇者』を、翌1947年には早稲田大応援歌『ひかる青雲』も作曲。後に夏の甲子園大会歌『栄冠は君に輝く』(1948年)を、さらに東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』(1964年)を発表し、国民的音楽家となった古関だが、それもこれも早慶応援合戦で作曲家としての礎を築いたからだ……と考えたくもなってしまう。

 両校の応援合戦はさらに続く。1965年に早稲田大が従来の応援歌とは異なり、選手名や学校名、「慶應倒せ、オー!」のフレーズを曲に合わせて叫ぶ革命的応援曲『コンバットマーチ』を発表。慶應義塾大もこれに対抗して翌1966年『ダッシュケイオウ』を発表し、この2曲の登場を追って、明治大の『狙いうち』、法政大の『チャンス法政』、立教大の『立教ポパイ』、東京大の『東大アトム』などが神宮に鳴り響くことになる。そしてこれらは電波に乗って全国にも普及し、高校野球の応援はもちろん、プロ野球のチャンステーマにも応用されていった。

 日本の野球応援を牽引してきたのが、まさに早慶戦だったのである。




▲現在は慶應義塾大のユニコン君とWASEDABEAR(ワセダベア)が「早慶戦」も盛り上げる



「流行語」も生み出してきた早慶戦

 上述した1929年の早慶戦ラジオ中継の中で、NHKアナウンサーの松内則三が、後々まで語り継がれる有名な台詞を口にした。

「神宮球場、ねぐらに急ぐカラスが二羽、三羽……」

 名実況・名調子と言えば真っ先にあがるこのフレーズも、早慶戦の壮絶な戦いだからこそ生まれたのだった。ちなみにこの放送は評判となり、また聞きたいというリクエストから、後にスタジオで同じことをしゃべって録音し、レコードに出して発売。たちまち売り切れてしまったという。まさに流行語の走りである。

 そして2010年、上述した「早慶六連戦」から50年ぶりに行われた早慶優勝決定戦で世間の注目を一身に集めたのが、早稲田大野球部第100代主将の斎藤佑樹(現北海道日本ハムファイターズ)。

 試合後のヒーローインタビューで「最後に一つだけ言わせてください」と切り出し、「いろんな人から斎藤は何か持ってると言われ続けてきました。今日、何を持っているのか確信しました。それは、仲間です」というコメントを残した。この発言は話題を集め、その年の新語・流行語大賞の選考委員特別賞を受賞。2006年の「ハンカチ王子」に引き続き2度目の受賞で、これは野球界において史上初の快挙である。


 このように、野球文化はもちろん、様々な社会文化も生み出してきた早慶戦。そして、たとえリーグ戦では不本意な成績であっても劇的な試合が生まれるのもまた早慶戦の伝統である。110年目の早慶戦ではどんなドラマが生まれ、どんなキズナが垣間見えるのか、大いに注目していきたい。


文=オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。また「幻冬舎WEBマガジン」で実況アナウンサーへのインタビュー企画を連載するなど、各種媒体にもインタビュー記事を寄稿している。ツイッター/@oguman1977

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