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キャンプインはしたけれど……球界「自費キャンプ」列伝

3年ぶりに1軍キャンプ入りを果たしたヤクルト、由規。
腰の不調で別メニュー調整となった巨人の新主将、坂本勇人。
2軍キャンプで元気な姿を見せた今年50歳になる中日、山本昌。

 無事にキャンプインできたかどうかは、ファンにとって球春最初の心配事だ。もっとも、過去にはケガとは関係ない理由で「ゴタゴタのキャンプイン」となった選手も多い。年俸交渉で揉めに揉めて1月31日までに契約更改できず、「自費キャンプ」となった選手たちだ。最近の例から、印象深い「自費キャンプ選手」たちのエピソードを振り返ろう(※以下、記事中の年俸は推定)。

久保に久保田。揉め事が多い阪神投手陣事情


 過去、なぜか自費キャンプとなる選手が多いのが阪神と中日の2球団だ。まずは、阪神の例から見ていこう。

 記憶に新しいところでは2011年の久保康友(現DeNA)が自費キャンプだった。前年にチーム最多の14勝を挙げて年俸8800万円からの倍増を狙ったが、交渉はなかなかまとまらなかった。その後、キャンプ中の2月7日に9200万円増の1億8000万円という大幅増を勝ち取っている。

 この久保以上に印象深いのが2008年の久保田智之だ。2007年シーズンにNPB記録となる90登板を果たし、55ホールドポイントで最優秀中継ぎ賞のタイトルを獲得。前年5500万円から3倍増を視野に年俸交渉を進めてきたが1月31日までに決着には至らず、自費キャンプ突入となってしまった。

 最終的には3倍増とはならず、キャンプ中に1億2000万円で契約更改した久保田。しかし、怒りの年俸交渉は翌年も続いた。この2008年、37ホールドポイントで2年連続の最優秀中継ぎ投手を獲得したにもかかわらず、シーズン終盤での不安定な投球内容を理由に1000万円のダウン提示を受けたのだ。自費キャンプのゴタゴタがよほど堪えたのか、久保田はこの提示を受け入れて一発更改。タイトルホルダーがダウン、ということで物議を醸した。

▲昨季をもって、引退した久保田智之の野球人生を振り返った記事『「JFK」の「K」。その地位を確立するまでの久保田智之ストーリー〜めちゃくちゃにしたれ!〜』はこちらからどうぞ

「銭闘力」を発揮した福留孝介


 「自費キャンプ」というワードで連想ゲームをすれば、高確率で「福留孝介 銭闘力」という単語を浮かべる人も多いのではないだろうか。

 中日時代の2007年、前年から1億2500万円増、当時球団史上最高額となる3億8000万円(※同年の岩瀬仁紀と同額)を提示された福留だったが、これを拒否。記者会見では「言葉が出ません」「あぜんとした」「あきれました」と球団批判の言葉がズラリと並んだ。前年、首位打者とMVPを獲得し、チームのリーグ優勝にも大きく貢献した福留。その自負もあっただけに希望額である4億円以上は譲れず、自費キャンプが決定した。

 その後、キャンプ地で2回の年俸交渉を行い、さらに500万円を上乗せした3億8500万円でサイン。ただ、この年俸交渉で「中日ではこれ以上年俸の上積みは望めない」と判断したのか、翌オフ、シカゴ・カブスと4年総額4800万ドル(約52億8000万円)の超大型契約を結んで海の向こうへと旅立った。

 福留同様、年俸交渉で揉めたのが2006年の川上憲伸だ。前年の2億3000万円から2000万円ダウンとなる2億1000万円の提示を保留。11勝8敗という成績も、2004年の17勝からは見劣りすること、勝負どころの8月と9月で1勝しかできなかったのが球団のダウン提示の理由だった。

 これに対して川上は、「いけと言われればエースとしていく。しかし体はボロボロ。『おしっこをしたい子どもが漏れそうでも言い出せないような状態』だった」と、記者会見で怒りをにじませ、自費キャンプが決定した。

 もっとも、川上の場合はこの後がややこしい。実は川上の昨季年俸が2億3000万円ではなく2億5000万円だったことが判明。キャンプ中の2度に渡る交渉で、最終的には1000万円ダウンの2億4000万円でサインしたが、ファンからしてみると、結局、上がったのか下がったのかがよくわからない状況になってしまった(※ただ、このダウン提示で奮起したのか、この年17勝を挙げて最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。年俸も1億円増の3億4000万円に跳ね上がった)。

 川上と中日のゴタゴタはこの後も続き、2008年にも契約交渉が難航して2度目の自費キャンプに。最終的には現状維持の3億4000万円を受け入れた川上だったが、この件で球団を見限ったのか、翌オフに3年総額約23億円でアトランタ・ブレーブスと契約してアメリカへと旅立ったのは福留をトレースするようだった。

2年連続で自費キャンプとなった男


 2008年と2009年、2年連続で自費キャンプとなったのが、当時西武に所属していたG.G.佐藤だ。2007年にはじめてレギュラーとして1年間活躍した佐藤だったが、契約更改では希望額と1000万円以上の開きがあり、キャンプ前に9度保留。年俸調停をパ・リーグに申し立てたが受理されず、結局、自費で臨んだキャンプ最終日の2月22日、ようやく年俸3700万円プラス出来高で決着した。

 この2008年は北京五輪でのあの「落球事件」があり精神的な落ち込みがあったこと、また、シーズン終盤はケガもあって出場試合数が減少。これも影響してか、またもやオフの契約交渉が難航。結果、2009年シーズンも2年連続での自費キャンプとなってしまった。

 佐藤が実績も無い時代から「金」にこだわるのは、法政大卒業時にはプロから声がかからず、米マイナーリーグからはい上がってプロ入りした苦労人だからだ。「いつケガをするかわからないし、もらえる時にしっかりもらおう」という、外国人選手同様の金銭感覚が身についたのだろう。

 その後、佐藤は2009年に25本塁打を放って、2010年シーズンに1億円プレイヤーの仲間入りを果たした。ただ、その後、再び輝くことができず、イタリアリーグとロッテを経て、昨年限りで引退したのはご存じの通りだ。


自費キャンプの「自費」はいったいいくら?


 この他にも、2004年の松中信彦(ソフトバンク)、2001年の今中慎二(中日)なども自費キャンプを経験した選手として思い出す人もいるだろう。また、2010年の下柳剛、2012年の久保康友(ともに阪神)のように、1月31日にキャンプ宿舎で契約更改して、ギリギリで自費キャンプを免れる例も印象深い。


 では、自費キャンプになると何が「自費」なのか? 球団によって差はあるが、契約が完了するまでにキャンプで発生した宿泊食事代、ユニフォームのクリーニング代など1日約3万円が自己負担となる。

 そして、これまた球団ごと、また年ごとに違いがあるが、契約が完了した後に返金してくれる球団もあれば、返金しない場合もある。2008年の久保田智之の場合は返金がなかったといわれている。

 こうした実費面の負担以上に堪えるのが、球団サイドとのしこり、になるだろう。代理人を通じている場合が多いとはいえ、自費キャンプをした数年後に球団を去っている例が多いことは決して偶然ではないはずだ。

 今季のキャンプでは幸いにも自費キャンプでの参加選手はいなかった。ユニフォームを着たからにはプレーのことだけを考えて、納得のいくキャンプを送ってほしい。


■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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