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チームの歴史を文字通り背負う「背番号」 DeNAドラ1・今永昇太に継承された先発左腕の系譜

 背番号、それはチームの想いや歴史が詰まっている神聖なもの。今回は前年最下位からの巻き返しを狙うDeNAの系譜を見ていこう。


「21」今永昇太が継承するサウスポーの系譜


 ドラフト1位指名の今永昇太(駒澤大)には背番号「21」が与えられた。この番号は1961年から絶えず投手が身に着け、特に先発型サウスポーの代名詞となっている。


 1965年から8年間「21」を背負った鬼頭洋は、1970年6月9日のヤクルトアトムズ戦で史上43人目のノーヒットノーランを達成。同年、自身唯一となる2ケタ勝利(13勝)に加え、オールスターゲーム出場を果たした。

 1988年から「21」を背負ったのが野村弘樹。野村は1990年代におけるチームのエースに君臨し、1993年には最多勝のタイトルを獲得。1998年のリーグ優勝・日本一にも大きく貢献した。入団から引退までの15年間この番号を守り抜き、今もベイスターズの「21」といえば真っ先に思い浮かぶ人が多いのではないか。

 2016年から継承する今永は大学ナンバーワン左腕として名高く、1年目からの活躍も大いに期待される。先人たちが築いてきたサウスポーの系譜に、新たなページを記したい。


「1」球団66年ぶりとなる“背番号1のピッチャー”が誕生


 近藤昭仁、山下大輔、進藤達哉、そして金城龍彦――。チームを支えた名選手はみな、背番号「1」とともに戦ってきた。この非常に重みのある番号を、今季からはドラフト2位右腕・熊原健人(仙台大)が背負う。

 球団において投手が背番号「1」を背負うのは、1950年の岩本信一以来66年ぶりのこと。その前任者である岩本は、“元祖・神主打法”で有名な岩本義行の実弟である。主に先発として7勝を挙げたが、翌年に松竹ロビンスへ移籍。1年のみの在籍となった。

 1960年からの15年間が近藤、1975年からの14年間が山下、そして1993年からの8年間が進藤と、好守の内野手が代々着けてきた「1」。これが21世紀に入ると流れが変わり、野性味溢れる両打ち外野手・金城の代名詞に。金城が巨人に移籍した昨季は空き番号となっていた。

 そして2016年からは熊原が継承。背番号「1」の投手といえば、古くは鈴木啓示(元近鉄)、現在は松井裕樹(楽天)と左腕のイメージがある一方、右腕で顕著な成績を残した者はほとんど見当たらない。それを知ってか知らずか、ファンの中でも賛否両論が出たようだ。ただ、本人は入団会見で『結果で覆したい』と力強く語っている。


 独特のモーションから繰り出す速球とフォークを武器に、みちのくの快腕は背番号「1」を自分のモノにできるか。


「80」新指揮官が自らの背番号に込めた意思とは


 今季から新監督に就任したのが、アレックス・ラミレス。選手として在籍中の2013年には、外国人初のNPB通算2000安打を達成。ジャパニーズドリームを掴んだ最強助っ人が、今度は指導者として栄光を目指す。

 注目の背番号は「80」。ヤクルト、DeNA時代の「3」や巨人時代の「5」からはあまり連想されないものの、この数字にはラミレス監督の明確な意思が込められていた。

『優勝するために必要な数字』

 つまり「80」番=シーズン「80」勝。これをクリアすれば、おのずとリーグ制覇に近づくと踏んでいるのだ。確かに直近5年間のセ・リーグを見ると、80勝を挙げて優勝を逃したチームはなく、昨季のヤクルト(76勝)のように80勝に届かなくても頂点まで駆け上がった例もある。ラミレス監督の意思には明確な根拠があった。


 チームは1998年以降リーグ優勝から遠ざかり、昨季まで10年連続でBクラス(うち7回が最下位)に甘んじている。目標の80勝到達には険しい道のりが待っていることだろう。それでも、現役時代に見せた明るいキャラクターと数々の打者を陰で支えた指導力は健在。ラミレス監督が、強さとイメージの良さを持ち合わせたベイスターズを作り上げる予感はある。


文=加賀一輝(かが・いっき)

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