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“脱俺達”の英雄・増田達至!大学、社会人で急成長した快速リリーバー/file#040

 今季中盤まで好調西武を支えた中継ぎであり、不調に陥ったとともにチームも大連敗。良くも悪くも大いに影響力を持った投手になってしまった。連敗はしたものの、誰も安定した成績が残せない西武の中継ぎとして、昨季から大活躍し、オールスターゲームに選出されるほどになった増田達至。そんな増田のアマチュア時代を振り返っていきたい。 (本稿は2012年11月に発売された『野球太郎No.002』を引用したものです。表現や記録は当時のもののママであること、ご了承ください。)


一目見たい投手


 西武のドラフト1位指名を受けてから初めての公式戦。

 社会人日本選手権1日目の11月3日、三菱重工横浜との1回戦。延長12回表、規定によるタイブレークの1死満塁の場面で、京セラドームのアナウンスが「ピッチャー・増田」をコールした。

 その瞬間、観客席から大歓声があがった。すごかった。NTT西日本側の応援人数もすごかったが、たぶん球場に集まった人みんなが、一目増田を見たかった。

 この日投げた10球はすべてストレート。主軸の二人を打ち取り、チームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。

 中村光宏マネージャーによると、試合が終わったあともすごかったそうだ。サインを求める列が延々続いた。同社から1位指名を受けてプロに進んだ選手は他にもいるが、「あれだけ並んだことは、過去にないです」。本人はそのファンに囲まれる状態を「苦手ですね」と照れ笑い。

 正真正銘の本格派。ダイナミックなフォームからの剛速球。力勝負でねじ伏せる投球は、老若男女、素人玄人問わず、誰にとってもわかりやすい魅力に違いない。そのスタイルを貫いていければ、プロでも一握りのスタープレーヤーになる可能性を秘めている。


野球は辞めるつもりだった


 増田は兵庫県の淡路島出身。洲本市立由良小4年から「由良少年野球クラブ」で野球を始めた。

 きっかけは「弟が先にやってて、楽しそうやったから」と言う。だいたい兄がやっていて、というのが普通だろうが、弟がやっていてという新しいパターンだ。増田らしいエピソードかもしれない。

「(弟のほうが)気が強い感じですね。自分はマイペースでのんびりと…」

 由良中軟式野球部3年のときから本格的に投手となった。中学時代で人に言えるような成績は「なんもないです」。

 地元の柳学園高に進学し、1年秋からエースとなったが、2年夏は4回戦で負け、3年夏は2回戦で負けた。

 高校当時「今の増田投手の片鱗があったか?」と聞くと、「まったくない」とのこと。「人数も人数だったんで。部員10人ぐらいで、いつもギリギリでやってたんですよ。球速? 130台半ばとかじゃないですか」

 高校卒業後は就職する予定で、野球も辞めようと考えていた。しかし、当時の高校の監督から「『野球がしたいんか』みたいな言葉をいただいて、『したいです』って言ったら、福井工大を勧めてくれました」

 何が何でも野球をしなければというほどの強い思いはなかったようだが、促されるまま淡路島から初めて足を踏み入れた福井県。

「寒いぞとは言われてました(笑)。実際、冬は結構雪で外はあまり使えなかったんで、ずっと室内で練習してました」

 この大学時代に、今の増田ができ上がっていく。

大学ラスト1年での急成長


 体つきがまず変わった。高校までは体重が65キロほどで細かったのが、80キロまでに増えた。そしてスピードも最速149キロまで伸びた。

「3年の冬に筋トレをして、体重もスピードも上がりました。4年生最後なんで、悔いなく1年間やろうと思って、嫌いな筋トレもやって…」

 1、2年のときはやっていなかった。実は「あまり練習が好きじゃなかったんで」と明かす。

 一気に伸びたことについて、「こんな急にやって、そんな成長するんかなと逆に不思議だった」そうだ。

 大学時代で一番心に残っている出来事は4年の春。9連勝してあと1勝したら神宮へというところで、2連敗したことだ。結局、全国の地は一度も踏めなかった。

「力不足だったんじゃないかなと思います」
──そこから意識が変わったとか?
「特に」
──悔しくて猛練習したとか?
「そういうのもないです。継続はしましたけど、特に変えることもなく」

 時にはいじわるな質問。時には誘導尋問的な質問。インタビューするこちらの盛り上がりをよそに、どこ吹く風。淡々としている。このあまり物事に一喜一憂せず自分のペースを死守するところが、ザ・増田という感じだ。

 好き嫌いだけでいうと練習は好きではないが、当然ながらやるべきことはきちんとやっているのだろう。

 大学4年時、プロ志望届は出さなかった。出していれば指名される可能性はあったが、本人の中にはまだ明確なプロへの意識というものはなかった。

 NTT西日本としてもぜひ増田の力を借りたいし、周囲も社会人で心も体ももう一回り成長してからプロへ行ったほうが、より本人のためにいいだろうという考えがあったようだ。

ストレートのすごみ


 社会人1年目は先発もやっていたが、今季からは抑えを任されている。先を考えずに投げられる、中継ぎ、抑えのほうが自分の性に合っているという。

「自分の自信のあるストレートが、どんどん飛ばして投げられる。先発だと、先を考えて、抜くとこは抜いてしまうっていうところがあるんで」

 短いイニングゆえ、増田に限っては全球ストレート勝負というケースも決して珍しくない。抑えの場合、特に気持ちの切り替えも大事になってくると思うが?

「打たれても次の試合があるんで。そういうところではすぐ切り替えられますし、まあプレッシャーというプレッシャーもそんな自分ではかかってるとは思わない。打てるもんなら打ってみろみたいな感じで投げてます」

 マウンドでは感情を抑え、常にポーカーフェイス。頭にカーッと血がのぼってわけがわからなくなるようなことは決してない。たとえ打たれても、淡々と。そこが増田のすごいところでもある。


 元プロの佐々木誠監督(元ダイエーほか)が見ても、最初から「すごみがあった」というそのストレート。圧巻だったのが、今年の4月末から開催されたJABA京都大会での投球。

「バットに当たらなかった。ボールが手から離れた瞬間にミットに収まっていた」と中村マネージャーは証言する。

 佐々木監督が「着払い」という話をしていたそうだ。要はキャッチャーミットに収まってからバッターが振っていることを、プロ球界では「着払い」と言うらしい。

 球速は、昨年と今年の都市対抗予選で、最速152キロを記録している。が、我々の注目をよそに、本人はスピード自体は「そこまで意識していない」と話す。

 球速をアップさせたいと考える全国の球児に向けてこんな話をしてくれた。

「スピードよりキレがあれば、スピードガンに出ている表示よりも打者は速く感じると思うんで。そこまでスピードにこだわる必要はないかなと思います。ボールの回転数を増やして、バッターの手元でどれだけスピードを維持していけるか。終速が初速と変わらないように。僕自身はスピードよりキレを意識してますね」

ドラフト1位の評価を得て


 ちょうどドラフト会議の1、2週間前から増田の名前が急にスポーツ紙面を賑わすようになった。上位で消えるのではとの予測通り、1度目の抽選を外した西武と広島の競合で、西武が交渉権を引き当てた。

 社会人で力をつけて、2年でプロへ。大学卒業時に掲げたその目標通り、しかも1位という高い評価でプロ入りを決めた。

「まずそんな上位でかかるとも思ってなくて…。いまだに実感は湧いてないです。社会人でまだ大会があるんで、それが終わってから実感も湧いてくるのかなあと思いますけど。今はそんなにプロというのは意識もせずに、この最後の大会にかけてます」

 過去に印象に残っているバッターも、ライバル視していたピッチャーもいないという。しかし、増田は1988年生まれの24歳。いわゆる“ハンカチ(斎藤)世代”だ。同じ兵庫県出身には田中将大(楽天)や坂本勇人(巨人)らがいる。高校当時、同県の大会で名を馳せていたのは乾真大(日本ハム)だった。

「やっと一緒の世界でやるんで、負けたくはないと思っています。プロのマウンドに上がる以上は負けたくない」

 内に秘めた闘志がフツフツと。「負けたくない」と二度言った。

 即戦力として期待されているので、1日でも早く1軍に上がることが目標。プロ野球ファンには、「自信のあるストレートを見てほしいです。三振を奪うか、ねじ伏せて抑えるような投球ですね」。

 社会人で2年やったとはいえ、増田は20代に入って急成長した投手。「未完の大器」といったおもむきがあり、まだまだ伸びる。

 そう遠くない未来に、今度は西武ドームが「ピッチャー・増田」のコールで沸き上がるような瞬間をぜひ目撃できたらと願う。


■ライタープロフィール
小林美保子(こばやし・みほこ)/兵庫県在住のライター。東京のスポーツライター事務所を経て、フリーとなる。取材活動は地元・兵庫を中心に近畿、中国地方などを幅広くカバーしている。

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