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プロ野球トライアウト第2回目は20日に実施! そこで振り返りたい、過去の戦力外通告を乗り越えた男たち!

 今年もこの時期がやって来た。11月4日、プロ野球12球団の戦力外通告期間が締め切られた。育成選手として再契約となる選手も含めて、今年は120人以上の選手が対象となった。

 プロ野球選手にとって、最大の逆境といえる「戦力外通告」。どんなにプロの世界で野球を続けたくても、球団から解雇を宣告されてはどうしようもない。

 ところが、過去には野球人生最大の逆境を乗り越えた選手たちもいる。今回は、そんな逆境を乗り越えた選手たちを紹介したい。



宮地克彦(西武〜ダイエー・ソフトバンク)


 西武入団時は投手も、変則フォームをボークと判定されて投手を断念。野手転向後、持ち前の打撃センスが開花し、2002年のリーグ優勝に貢献。しかし、膝痛の影響で翌2003年のオフに戦力外通告を受けた。

 12球団トライアウトを受けるも獲得球団はなく、台湾球界入りを模索していたところ、FA権を行使して村松有人が抜けたダイエーが宮地を獲得。2004年シーズン途中からレギュラーになり、3割を超える打率をマークした。2005年は1シーズンを通して活躍し、125試合に出場、打率.311の好成績を挙げた。プロ16年目で、念願の規定打席到達を果たし、ベストナインを獲得した宮地は「リストラの星」と呼ばれた。

高木晃次(阪急・オリックス〜ダイエー〜ヤクルト〜ロッテ)


 流浪のサウスポー。1986年、横芝敬愛高から阪急のドラフト1位入団も、阪急・オリックス時代は1990年に42試合に登板したが、その年以外は制球に苦しむことが多く、パッとした成績は残せなかった。1993年オフにダイエーへトレードで移籍したが、ほとんど登板機会がなく、1997年に戦力外通告を受ける。

 そのオフにヤクルトの入団テストを受け、当時監督だった野村克也に見いだされた。1998年はワンポイントリリーフで起用されるようになり、1999年は、先発登板が増え、プロ13年目にして初完封勝利をマーク。さらに初の規定投球回数到達も果たした。ところが翌2000年から下降し始め、1軍登板が2試合に終わった2001年に2度目の戦力外通告。

 地元の千葉に戻り、ロッテの入団テストを受けた高木は、見事合格。サイドスローとオーバースローを織り交ぜる幻惑投法や、円熟味を増した投球術が高評価を浴びた。ロングリリーフも、対左のワンポイントでもどちらでもいける貴重な中継ぎ左腕として、2002年から2009年まで在籍したロッテでは、毎年2ケタ試合登板している。プロ通算19年の息の長い活躍をみせてくれた。

山?武司(中日〜オリックス〜楽天)


 愛工大名電高から1986年、ドラフト2位で中日入り。捕手としてプロ入りするも、その日本人離れした長打力を生かすために外野手に転向した。1996年には39本塁打で、松井秀喜(当時巨人)を抑え、本塁打王に輝く。その後は首脳陣との軋轢もあり、出場機会を求めて2003年にオリックスへ移籍。しかし、そこでも首脳陣とソリが合わず、何度も2軍落ちを経験。オフには戦力外通告を受けた。

 一度は引退も考えた山?は、2005年に新規参入した楽天に拾われる。楽天の監督を務めた田尾安志、野村克也両監督の指導を受け、その打棒が復活し、2007年には38歳にして11年ぶりとなる本塁打王(43本)と、初の打点王(108打点)の二冠王に輝いた。2011年には再び戦力外通告を受けるも、2012年に古巣・中日に復帰し、2013年に現役引退した。


 11月9日には、静岡県の草薙球場で第1回合同トライアウトが行われ、現役続行を希望する選手が59名参加。第2回は20日にジャイアンツ球場で開催される予定だ。


 今年は果たして、何人の選手が現役復帰することができるだろうか。この3人の例もあるように、何事も諦めずにトライを続けてほしい。


(2014年11月11日/gooニュース配信)
http://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20141111155157818.html

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