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プロ野球1年の間にどん底と頂点を味わった男。「打撃の天才」から「代打の神様」になった石井義人

 一度ならず二度までも、所属球団から「不要」のレッテルを貼られた選手がいる。2014年をもってプロ野球選手を引退した石井義人だ。

 「打撃の天才」と称され活躍はするのだが、レギュラーを奪うまでには至らないため、二つのチームから追われるように去った。そんな厳しい環境をくぐり抜けてきた石井だが、最後に一花咲かせた。球界の盟主の代打という役割で。


戦術の変化とともに立場も変化


 埼玉・浦和学院高を経て、1996年のドラフト会議で横浜ベイスターズから4位指名された石井。持ち前のバッティングセンスを発揮して、徐々に1軍で当確を現し始める。しかし、2000年のオフに石井にとってアンラッキーな出来事が起こる。森祇晶が新監督に就任し、「マシンガン打線」と呼ばれたベイスターズの超攻撃的スタイルを捨てたのだ。

 そして新チームのテーマはディフェンス重視だったこともあり、「打てるけれど守れない選手」の典型である石井は出場試合数が激減。レギュラーに手が届くところまで来ていたため、この首脳陣の交替は、今風に言うなら「持ってない」ということになるのだろう。こうしてチームの構想から外れてしまい、2002年のオフに西武へトレードされた。


掴みかけたレギュラーがスルリと…


 石井は主にセカンドを守っていた。ところが、その頃の西武には、高木浩之という守備の名手がどっかりとレギュラーに座っていた。移籍1年目こそ、厚い壁に阻まれたが、高木の不調もあって2年目からは徐々に試合に出場できるようになり、規定打席未満ながら打率3割を記録。翌年は125試合に出場し、打率.312、129安打というキャリアハイの成績を叩き出した。

 いよいよレギュラー奪取! と思ったのもつかの間、移籍3年目の2006年に、今度は石井自身がケガで2軍降格の憂き目に合うと、その間にレギュラーを片岡治大(当時の登録名は片岡易之)に奪われてしまう。泣きっ面に蜂とは、まさにこのことだろう。

 本当に「持ってない」と思わざるをえない。その後も3割近くの打率をマークする年があったものの、便利屋的に扱われる比率が増えるとともに成績は下降。そしてキャリアワーストの打率1割を記録した2011年のオフに、戦力外通告を言い渡された。

プロの厳しさを胸にカムバック


 プロ野球選手として崖っぷちに立たされた石井は、合同トライアウトを受ける。受験後、巨人が声をかけたことで、2012年からは球界の盟主の一員として、プロ野球選手を続けることになった。石井にとって、この移籍がまさに吉と出る。

 主に対右投手へのピンチヒッターとして起用されたのだが、代打打率・得点圏打率がともに4割を超えるという大活躍を披露。またクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第5戦では、中日ドラゴンズの山井大介から代打サヨナラヒットを放つなど、チームになくてはならない「代打の神様」となった。1年前は土俵際に追い詰められていた選手が、ここまでの結果を出すとは誰が思っただろうか。

 石井自身も、戦力外通告を受ける前の年までは3割近い打率を残していただけに、まさか自分がクビになって合同トライアウトを受ける身になるとは思ってもいなかったはずだ。

 ただ、2度目の戦力外通告で「一寸先は闇」というプロ野球選手の現実を経験できたことは、本人にとって非常に大きかったと思われる。だからこそ一打席勝負のプレッシャーに打ち勝ち、これほどの結果を残せたのだろう。


文=森田真悟(もりた・しんご)
埼玉県出身。地元球団・埼玉西武ライオンズをこよなく愛するアラサーのフリーライター。現在は1歳半の息子に野球中継を見せて、日々、英才教育に勤しむ。

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