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file#013 江川智晃(外野手・ソフトバンク)の場合

◎直接見たのは宇治山田商3年春の東海大会

 ソフトバンクの熱狂的なファンやウエスタンリーグの試合を熱心に見ている人は別として、江川智晃の存在を認識している野球好きはどのくらいいるのだろうか? アマチュア野球を中心に見ている人にとっては、多少は印象に残っているかもしれないが、それも断片的なものだろう。すでに時代を過ぎ去った選手として「そんな選手いたなぁ」と思っている人もいるかもしれない。なぜなら、失礼ながら、私自身がそういう感覚を抱いていた時期があったからだ。特に、背番号が8から43に変更された時には、球団の期待が途絶えたように感じたものである。
 しかし、江川は2004年のドラフト会議でソフトバンクから1巡目指名されたように、三重・宇治山田商業高校の下級生時代、さらにさかのぼって、二見中クラブの主軸として出場した全日本少年軟式野球大会(横浜スタジアムで毎年夏に開催)で優勝した中学時代から、多くの関係者の注目を集めていた逸材であった。
 私が彼を初めて見たのは、高校2年夏の三重県大会の決勝戦。延長12回裏にサヨナラホームランを放ち、甲子園出場を決めた姿をCS放送の映像で見た時だと記憶している。体格といい思い切りといい、すごい選手がまた現れたな、と思ったものだ。

◎高校時代は投手、野手両面で注目される

 江川は打撃はもちろんのこと、140キロを超える速球を投げる投手としても注目されていた。ドラフト前には「プロでは投手、野手のどちらがいいか?」が話題になるほどである。
 ただ、投げるボールそのものは高校生離れしていたものの、その投球フォームは少し気になるところがあった。それは、一度上げた左足を投げる方向に踏み出す際、反対の軸足が急激に折れ曲がり「カクッ」っと落ちるようになるところだ。体重が腕から指先に伝わる前に全体の重心が沈みきってしまうため、その後は強靭な腕だけを頼りに投げている感じで、リリース後の伸びがどうにも感じられない。



 実は、この形には随分前に覚えがあった。当時よりさらに10年くらい前になってしまうが、一時期ダイエーのエースとして活躍した村田勝喜が、秋山幸二(現ソフトバンク監督)らとのトレードで西武に移籍したあと、まったく勝てなくなってしまった際にも同じような軸足の折れ方をしていたのである。江川のフォームを一目見て村田を思い出したくらいだから、少なくとも私にとっては余程イメージが一致していたのだと思う。明確な根拠とは言いきれなかったが、以降、私の中で江川の可能性は野手一本に絞られることとなった。
 ただ、いずれにせよ、肩、足など、身体能力はズバ抜けているという話だったので、一度はナマで見てみたくなるもの。翌2005年の春に宇治山田商高が東海大会に出場した際、思い切って会場の浜松に向かい、初戦の常葉学園菊川高校戦と、翌日の春日丘高校戦の2試合でその動きをじっくりと観察した。
 実際に見た江川の打撃ときたら、それはもうパワフルだった。この日は本塁打こそ無かったものの、センターオーバーの長打を放っている。その時のスイングときたら、まるでボールが潰れたかのように見えた。リストがものすごく強いのだろう。インパクトでとらえたあと、そこで一度スイングが止めて、仕切り直して再度勢いをつけて押し込んでいるように錯覚したくらいである。そして、その打球の速かったこと! 角度は低かったが、弾丸のように一瞬で外野手の頭を超えていったのだ。これほどの強靭な打棒を見たのは江川が初めてであったと思う。



 その一方、ピッチングについては、やはり以前に思っていたのと変わらない印象だった。もちろん、高校生レベルではかなりのものだったが、軸足の動作も変わっておらず、「スピードがあって、見た目パワフルである」という以外のいいところが見つけられなかった。とても、東北高校・ダルビッシュ有(現レンジャーズ)横浜高校・涌井秀章(現西武)といった他のドラフト上位候補を凌駕するとは思えなかったのだ。後に、迷いながらも野手で行くことを決断した江川の選択は間違ってはいなかった…、と私は今でも思っている。

◎高い期待に応えらぬまま年を重ねたプロ入り後

 高校最後の夏。江川は、三重県大会決勝で前年に自分がしたことを逆にやられる形で延長サヨナラ負けを喫し、宇治山田商高は甲子園には出場できなかった。しかし、江川の評価は変わらず高いものがあり、秋のドラフトではダイエー(翌年からソフトバンク)が1巡目で指名、晴れて入団を果たした。
 元々、将来性を重視した素材型という認識を十分持っての獲得ではあったが、私のように江川に対して強烈な印象持っていた者の多くは、恐らく早い段階で頭角を現すだろうと期待していたはずである。
 私は前に勤めていた野球雑誌の編集部員時代、当時2軍監督だった秋山氏の取材でソフトバンク2軍の練習場である雁の巣球場を訪れたことがあるが、江川はまだ1年目。その時はショートで森本学(11年に引退)ら先輩らとともに泥まみれになってノックを受けていた。最初にショートをやらせたのは、どのポジションでもその身体能力をフルに生かせるような動きを身につけさせよう、という意図があったのだろう。まさに、将来を見据えた英才教育である。そして、この年こそ1軍出場はなかったものの、江川は翌05年に早くも1軍初出場を果たしている。



 だが、その後はなかなかうまくはいかなかった。確かに身体の瞬発力やスイングスピード、強肩といった部分においては素晴らしいものがあり、毎年のように1軍に上がって起用はされるのだが、もっとも期待されている打撃面でアピールができない。エース級を打ち込むなど、結果を出すときはあるのだが、それが長く続かないのだ。故障などの絡みもあって、江川は1軍に上がっては落ち……というシーズンを繰り返した。
 一方で、ファームでの成績は年を重ねるごとに良くなり、10年にはウエスタン・リーグで本塁打王を獲得。あとは1軍である程度安定した結果を維持さえすれば定着できるはずなのだが、それができない。どうにも気持ちにムラがあるのか、一度調子が崩れてしまうと立て直せないようだった。
 そうこうしているうちに、大学卒の長谷川勇也や移籍組の多村仁内川聖一らが入団してはポジョンを確保。江川はそこに割って入ることが出来ずにいた。

◎まだ26歳! まだまだこれから

 しかし、12年のシーズン、江川はようやくチャンスものにし始めた。開幕1軍を勝ち取ると、6月中旬まで外野と一塁を兼任する形で度々スタメンに名を連ねたのだ。そして、夏場はファームで過ごしたものの、9月に再昇格を果たすと、優勝争いの大事なときに戦力として貢献した。56試合で175打席経験し、4本塁打18打点というのは、これまでのプロ生活の中ではベストキャリアである。
 だが、江川の能力と入団時の期待の高さからすれば、この程度ではとても満足できない。本来ならば、今年一気に飛躍した中田翔(日本ハム)と同じくらいの成績を残すくらいでなくては困るのである。とはいえ、2012年になって、ようやく1軍の選手として数字らしい数字をつけることができたことは大きな収穫だ。考えてみれば、8年目のシーズンが終わったとはいえ、まだ26歳。これから巻き返して活躍できる余地は十二分に残っている。今年の経験を土台にし、能力だけを頼りにするのではなく、もうひと工夫何かすることができれば、きっかけひとつで中田や中村剛也(西武)と肩を並べるほどの数字が現実的についてきても、決しておかしくはない。
 …今、笑った人? 見てなさい。江川よ、来年以降、「陽の光はようやく江川に当たり始めた」と言われるようにしてやりなさい!
 高校の時に見た「ボールを潰してしまうような強烈なスイング」を、今度は1軍の舞台で度々披露して欲しい。私はそれを大いに期待している。




※次回更新は1月7日(月)になります。


文=キビタキビオ/野球のプレーをストップウオッチで測る記事を野球雑誌にて連載つつ編集担当としても活躍。2012年4月からはフリーランスに。現在は『野球太郎』を軸足に活躍中。

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