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[エースのジョー]が活躍したノンプロ活況の時代

 雑誌『野球太郎』の連載でも御馴染み「伝説のプロ野球選手に会いに行く」の「週刊版」。現在、文庫版“伝プロ”も絶賛発売中!


 前回まで、サトウ・ハチローと野球の関わりについて書かせてもらいました。実はその名前が、『伝説のプロ野球選手に会いに行く』の取材で出てきたことがあります。

 巨人で通算141勝を記録した、[エースのジョー]こと城之内邦雄さんにインタビューしたときです。プロ入り前の城之内さんが在籍したノンプロ=社会人チーム、日本ビール(現サッポロビール)での練習について聞いていました。

「ノンプロではずいぶん走った。当時、神奈川の茅ヶ崎でキャンプをやったんですよ。それであの、徳川夢声さんって知ってる? サトウ・ハチローさんは?」

 僕は答えに困りました。どちらも野球に縁のある方とは知っていたのですが、急に名前を出されて縁を説明する言葉が出てこない。かろうじて「サトウ・ハチローさんの詩は知っていますが」と言えただけ。すると城之内さんは「知らないの〜?」と苦笑して続けました。

「徳川夢声さんが日本ビールの後援会長で、サトウ・ハチローさんが副会長。徳川夢声さんはもともと映画の弁士でね、漫談とか声帯模写をやったり、いろんな映画に出たりした人。その人の娘さんが茅ヶ崎の球場の近くで旅館やってたもんで、キャンプのとき、選手はそこに泊まってた。だいたい2週間ぐらいかな」

 恥ずかしながら、まったく知らない話でした。現在の社会人野球チームの後援会のことさえわかっていない自分に、今から50年以上前の一チームのことがわかるはずもなく……。

 わからなくても、しかし、あえて後援会長と副会長の名前を出したあたり、当時の社会人球界の活況が見える気もしました。すなわち、都市対抗大会を中心に著名な文化人がバックアップするほどの人気があり、そのなかで野球ができていた喜びが、「知らないの〜?」という言い方に表れているように感じたのです。

 城之内さんに会いに行ったのは2年前、2011年の3月末。東日本大震災から約3週間後のことで、東京・大田区のご自宅近くのレストランでインタビューしている最中にも、大きな余震が起きたりました。
 自然に3・11の話になり、そのとき、築地で会食中だった城之内さん。「電車も車も動かないから歩くしかないじゃない。家まで6時間かかったよ」と、平然と言うので驚かされました。

 なにしろ当時、城之内さんは71歳。もともと走ることが好きで「長時間歩くのは別に苦じゃない」といっても、「途中で2回休憩したから」といっても、すご過ぎます。

 そんな城之内さんの球歴で意外だったのは、中学時代はファーストの補欠で「つまんないから」、3年生になった春に野球部を辞めてしまったこと。さらに千葉の佐原一高(現佐原高)でも最初はライトの補欠で、ピッチャーになったのは2年の秋からだったという事実です。

「中学のときは、こうなりたいっていう考えがなかった。それが高校で野球やって、3年の時に県の決勝まで行けたのは、自分で目標を立てたからだと思う。ホームラン打ちたかったから、1本は打つ。それと、千葉で三本の指に入るぐらいのピッチャーになる、という目標ね」

 目標達成のために野球部での練習以外に自主練習に打ち込んだ結果、甲子園出場こそ果たせなかったものの、本当にホームランを1本打って、県内で三本の指に入ることができた城之内さん。高校の先輩が日本ビールでエースになっていたこともあって卒業後に入社し、「ずいぶん走った」というノンプロでの生活が始まったわけです。

「高校で2年の秋から1年間、ノンプロで4年間、短距離をどんどん走ること中心の練習ばっかりやった。それも走るのが好きで、誰かに強制されてやったわけじゃないのがよかったんだよね。この5年間があったから、プロに入って体力だけは自信あったんだよ」

 都市対抗での好投がプロに注目され、巨人に入団したのは1962年。体力があったからキャンプの練習にもすんなりついていけて、首脳陣から高評価を得た城之内さんは、オープン戦7試合で4勝0敗、33イニングで自責点1という好成績。
 その時点ですでにマスコミから「新人王候補」と騒がれ、ルーキーながらも開幕投手を務めるに至ったのでした。

「キャンプの疲れが出て、開幕の頃は調子悪くてね、3連敗したよ。それでもなんとか6月頃からよくなってきて、オールスターまでに10勝できた。後半戦は10連勝したりして、完璧」

 あっさりと駆け足で1年目のシーズンが語られたのですが、いきなり24勝をマークした城之内さんは当然のように新人王を獲得。翌63年は17勝、64年は18勝、65年から2年連続21勝と、5年間通算で101勝を挙げています。


▲巨人のV9に貢献した城之内さん。[エースのジョー]という愛称は、1960年代の和製西部劇アクション映画に由来する。


 入団5年で100勝。思わず「20勝×5」なんて考えてしまいますが、これはかなりすごい記録です。日本のプロ野球史上、2リーグ制以降ではほかに杉下茂(中日)さん、金田正一(国鉄)さんら6人しか達成していません。そして、城之内さんの後は1人もいないのです。

 それほど偉大な記録を残し、65年から始まるV9時代にも貢献、68年にはノーヒットノーランも達成した方なのですが、巨人時代の試合の話はあまり多く語られませんでした。
 じゃあ、何の話が多かったか。試合よりも練習の話です。練習の話といえば走ることで、走ることといえばノンプロ時代。

「ノンプロのときは高校の先輩を目標にした。その先輩がいたから日本ビールに入れたこともあって、ちゃらんぽらんにやってたら迷惑かけちゃうじゃない? だから一生懸命にやって、よく走った。走る練習をやりやすい環境だったし、いいチームに入ってよかったと思う」

 過去に50人近く『伝説』のインタビューをしてきて、社会人時代の、それも練習の話が大半を占めたのは城之内さんのみ。今にして思うと、サトウ・ハチローの名前が出たのは、必然だったかもしれません。


<編集部よりお知らせ>
 facebookページ『伝説のプロ野球選手に会いに行く』を開設しました。プロ野球の歴史に興味のある方、復刻ユニフォームを見ていろいろ感じている方、ぜひ見ていただきたいです。

文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。昨年11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行。『野球太郎No.005 2013夏の高校野球大特集号』では『伝説のプロ野球選手に会いに行く』の番外編として、「伝説の高校球児」バンビこと坂本佳一氏(東邦高)のインタビューを掲載している。
ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント@yasuyuki_taka

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