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まだある高校野球「悲願校」エピソード。3年連続県準優勝のエース、低迷してしまった「悲願校」……


 何度も上位進出しながら甲子園への壁を破ることができない、あるいは地域の期待を背負う全国各地の悲願校。連載の最終回となる今回は、過去から現在まで、悲願校にまつわるトピックスを紹介したい。

3年連続、地方大会決勝戦で敗れた「悲願校」のエース


 悲願校は、その性質上、夏の地方大会決勝で敗れる、ということも多い。なかには2年どころか3年連続で敗れる高校もあり、3年間、あと一歩で甲子園をつかみ損ねた世代の選手の気持ちを考えると、いたたまれない気持ちになってくる。が、ある意味、それを凌駕したのが、元中日の左腕、洗平竜也だ。

 洗平は光星学院(現・八戸学院光星)の出身。といっても、まだ同校が甲子園出場を果たしていない時代のエースなのだが、なんと彼は3年連続、夏の青森大会決勝で先発し、3年連続で敗れているのだ。当時の八戸学院光星はまさに「悲願校」だったが、洗平はその象徴だった。

 皮肉にも八戸学院光星は、洗平が最後の夏を終えた翌1997年のセンバツで甲子園初出場と悲願を達成。野球の神様は特に残酷である。しかし、洗平は高校時代の悔しさを晴らすかのように大学でも活躍。プロ入りも果たした。その姿勢は賞賛に値するものだろう。

 この八戸学院光星のように、この10年だけ見ても多くの悲願校が甲子園出場を果たしており、今では全国的に名前が知られるようになった高校も少なくない。

 だが、過去の悲願校のなかには、甲子園一歩手前まで迫りながら、あるいはそのレベルまでチームを強化しながら、結局、甲子園出場を果たせず、現在の成績が芳しくないチームもある。

4度王手も甲子園出場ならず。そして現在は低迷……


 たとえば1990年代に北海道で活躍した帯広南商。夏の北北海道大会で1993年にベスト4入りすると95年、96年、98年、99年と4度、決勝進出。しかし、すべて準優勝。甲子園に手が届かなかった。2000年代以降は成績がふるわず、現在は支部大会を勝ち抜くことも難しい状態。かつての悔しさを知るOBのためにも復活を期待したいが……。

 茨城では水戸桜ノ牧。茨城東を率いて甲子園出場歴がある海老澤芳雅監督が就任後に力をつけ、夏の茨城大会で2006年にベスト4進出。秋、春の県大会でも好成績を収め、2008年、2009年は2年連続、夏準優勝。しかし、海老澤監督が退いてからは上位進出が厳しくなっている。

 福岡では沖学園。篠原貴行(元ソフトバンクほか)、久保裕也(DeNA)らを輩出してきた福岡の実力校だ。2007年、2008年には2年連続、夏の福岡大会決勝敗退を経験。本当にいつ甲子園に出てもおかしくないほどだったが、2010年代になると大会前半での敗退が目立った。残念ながら今夏も、福岡大会2回戦で姿を消してしまった。


「21世紀枠」で選出されるもどかしさ


 最後に高校球界には悲願校と、ある意味似たチームが選ばれるものがあることに触れておきたい。

 それはセンバツの「21世紀枠」。根本的な視点は違うが、21世紀枠の「県大会16強、あるいは8強以上」「甲子園未出場校、あるいは長期ブランク校」「近年、健闘が続く」といった条件、評価ポイントは悲願校のそれと似ているのだ。

 故に悲願校が21世紀枠で選ばれることもある。だがその際、悲願校ウオッチャーとしてもどかしいのが、いつ甲子園に出てもおかしくないほどの力、実績がある悲願校なのに、21世紀枠での出場だと「21世紀枠で選ばれた高校」という目で見られるケースがあること。

 たとえば2013年のセンバツで21世紀枠に選出、春夏通じて初の甲子園出場となった遠軽。21世紀枠出場とはいえ、それまで2005年、2006年、2011年、2012年と4度、夏の北北海道大会準優勝。一般枠で甲子園に出場してきてもおかしくないチームだっただけに、多くの人にその実績をもっと知ってほしかった。

 まあ選手たちにしてみれば甲子園に出られれば何でもいいだろうし、21世紀枠が悪いというわけでもないのだが……。この複雑な気持ち、高校野球ファンであればわかってもらえると思うのだが、いかがだろうか(笑)。


文=田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)

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