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《2016年プロ野球引退物語》無名の3番手投手から前人未到の高みに登り詰めた黒田博樹(広島)


 田中正義(創価大→ソフトバンク)、佐々木千隼(桜美林大→ロッテ)、柳裕也(明治大→中日)、今井達也(作新学院高→西武)…。来年も多くの逸材がプロの門を叩く。

 その一方で現役を退く選手も多くいる。今年は黒田博樹(広島)、三浦大輔(DeNA)、鈴木尚広(巨人)ら記録にも記憶にも残る名選手たちがユニフォームを脱ぐ。

 週刊野球太郎では全5回に渡って「2016年プロ野球引退物語」を連載。今年限りで引退する5名の選手を取り上げ、彼らのプロ野球人生、記録などを振り返っていく。

 第4回となる今回は、日米通算200勝を達成し、広島の25年ぶりのセ・リーグ優勝に大きく貢献した黒田博樹の野球人生を振り返る。

無名投手から這い上がったアマチュア時代


 1975年、大阪市で産声をあげた黒田博樹。父親は元プロ野球選手の故・黒田一博氏。父に習い、野球を始めた。

 父が監督を務めるボーイズリーグのオール住之江(現ヤングリーグ)でプレーし、大阪の強豪・上宮高へ進学。1学年上にはエースの薮田安彦氏(元ロッテほか)、同期に西浦克拓(元日本ハム)ら、後にプロ入りする選手もいたため、黒田は3番手投手。出番はあまりなく、甲子園にも出場できなかった。

 高校時代は“無名”状態だったが、専修大に進学してから急成長。東都大学リーグ2部所属だったチームの1部昇格に貢献した。大学野球でもスピードガンによる球速表示が始まった1996年、当時4年生の黒田は、大学生で初めて150キロをマークしたと言われている。

 同年のドラフト会議で広島を逆指名し、ドラフト2位で入団。

他球団も獲得に動き、複数の選択肢があった中で大阪出身の黒田が広島を逆指名したのには大きな理由があった。広島のスカウトがグラウンドに頻繁に足を運んでくれたからだ。このスカウトの必死のアピールが、大投手・黒田の誕生へと繋がったのだ。


狭い広島市民球場で叩き出した抜群の成績


 プロ1年目の4月25日の巨人戦でプロ初登板、初先発を果たす。その試合でプロ初勝利、初完投を達成。6勝9敗と負けが先行したが、規定投球回をクリア。順調なプロでの滑り出しとなったが、その後2年は1軍で結果を出せない苦悩の日々が続いた。

 しかし、2001年に自身初の2ケタ勝利(12勝)を挙げると、その年以降、2004年を除く全てのシーズンで2ケタ勝利。2005年には15勝を挙げ、最多勝、ベストナイン、最優秀投手に輝き、2006年は防御率1.85という破格の数字で最優秀防御率を獲得した。

 当時プロ12球団の本拠地で最も狭く、ホームランが出やすかった広島市民球場で挙げたこの成績は、いかに黒田がすごかったか、そして高い安定感を誇っていたかを物語っている。

 また、2004年にはアテネ五輪日本代表チームに選ばれ、大会で2勝。銅メダル獲得に貢献し、名実ともに日本を代表する投手となった。


メジャーで功を奏した投球スタイルの変化


 2007年オフに黒田はメジャー移籍を決断。ドジャースと3年契約を結び、海を渡った。背番号はメジャーで一貫して背負い続けることになる「18」。

 メジャーでも黒田は実力を遺憾なく発揮する。日本時代とは投球スタイルを変え、ツーシーム主体のピッチングに。「魔球」ともいわれるフロントドア(右打者の内角のボールゾーンからストライクゾーンに変化させる球)を駆使し、5年連続2ケタ勝利を挙げた。

 ドジャース、ヤンキースでプレーした7年間で積み上げた勝ち星は79勝。メジャーでも確固たる地位を築いた。

 2014年オフ、黒田はFA権を手にする。2014年に挙げた11勝は田中将大の13勝に次ぐチーム2位の勝ち星。翌シーズンには40歳を迎える黒田だったが、年齢を感じさせない黒田への評価は非常に高く、年俸20億で獲得への意欲を表明するメジャー球団が現れるほどだった。

広島復帰。自らの好投で25年ぶり悲願の優勝を達成


 しかし、ここで黒田はまさかの広島復帰を決断。2015年から再び広島のフニフォームに袖を通すこととなった。この決断に広島ファンは歓喜。そして、「黒田広島復帰」のニュースは広く取り上げられ、野球ファン以外の注目も集めた。

 日本球界に戻ってきた黒田は今季、7月23日の阪神戦で日米通算200勝を達成。8月20日のヤクルト戦では、史上初の先発勝利のみでのNPB、MLB通算200勝も達成した。

 そして、広島が優勝マジックを「1」として迎えた9月10日。2位・巨人との直接対決に先発し、6回3失点。この試合に勝利した広島は25年ぶり7度目のリーグ優勝を決め、黒田は優勝投手に。黒田にとって悲願の広島優勝を、自らの好投で達成してみせた。

 今季も規定投球回をクリアし、10勝を挙げた黒田。周囲から「まだまだやれる」、「来季も!」と期待する声が多く上がっていた。だが、日本シリーズ4日前の10月18日に引退を表明。

 1週間後の10月25日。日本シリーズ第3戦が黒田の最終登板となった。足の違和感を訴えての負傷降板という結末だったが、それでも5回2/3を投げ1失点。最後の試合でも黒田は好投した。そして、現役最後の対戦打者は大谷翔平だった。

 1つの時代が終わり、新たな時代の到来を強く感じさせるシーンでもあった。


筋を通してきた黒田の「男気」


 黒田には、広島への電撃復帰の際に称された「男気」という言葉がよく似合う。20億円の超高額オファーを蹴ってまで古巣・広島に筋を通し、復帰を決断した姿には、広島ファン以外も心打たれたはずだ。

 しかし、黒田が男気を見せたのはこのときだけではなかった。以前から男気は貫かれていたのだ。

 2006年、FA権を取得した黒田は広島残留を決断。残留の表明会見では「僕がほかの球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが、自分のなかで想像できなかった」、「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」と発言。広島への恩義を表した。

 また、2007年オフのメジャー移籍時の記者会見では「評価されるのもカープのおかげで、また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」と話していた。

 これらの言葉は多くの人の感動を誘った。

 チーム愛に満ち溢れていた黒田は海を渡った8年後、高額年棒を蹴って本当に広島に戻ってきた。「有言実行」を身をもって示したのだった。


 本連載企画『2016年プロ野球引退物語』の第1回で取り上げた三浦大輔、そして今回の黒田博樹。私がプロ野球を見始めたとき、ともにチームの絶対的エースとして君臨していた2人が今年限りで現役から退く。

 野球ファンの1人として非常に寂しいが、またいつか監督、コーチとしてプロでユニフォームを着た姿を見られることを強く願いたい。


文=山岸健人(やまぎし・けんと)

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