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《2016年プロ野球引退物語》終盤の勝負の切り札! 努力から生まれた鈴木尚広の「神の足」


 田中正義(創価大→ソフトバンク)、佐々木千隼(桜美林大→ロッテ)、柳裕也(明治大→中日)、今井達也(作新学院高→西武)…。来年も多くの逸材がプロの門を叩く。

 その一方で現役を退く選手も多くいる。今年は黒田博樹(広島)、三浦大輔(DeNA)、鈴木尚広(巨人)ら記録にも記憶にも残る名選手たちがユニフォームを脱ぐ。

 週刊野球太郎では全5回に渡って「2016年プロ野球引退物語」を連載。今年限りで引退する5名の選手を取り上げ、彼らのプロ野球人生、記録などを振り返っていく。

 最終回となる今回は「神の足」と称された代走のスペシャリスト・鈴木尚広(巨人)の野球人生を振り返る。

原辰徳監督に見出された鈴木尚広


 福島県相馬市に生まれた鈴木は5歳から野球を始めた。中学時代は陸上部に所属。毎日30キロ近く走り、足腰を鍛えた。この経験が鈴木の「神の足」の原形を作ったともいえる。

 相馬高校では甲子園には縁がなかったが、1996年のドラフト会議で巨人から4位指名を受け入団。入団時の背番号は「68」だった。


 2001年まで1軍出場を果たせず厳しい若手時代を過ごしたが、2002年に就任した原辰徳監督に見出され、この年1軍初出場。盗塁も4個決めた。2003年には二塁手にも挑戦し、104試合に出場と飛躍。打撃でも3本塁打を放つなど、まずまずの結果を残す。

 一時期監督の座から退いていた原監督が復帰した2006年には、異例のシーズン途中でのスイッチヒッター転向。チームトップの25盗塁も評価され、2007年からは背番号が「12」に変更となった。


メークレジェンドにも大きく貢献、そして代走のスペシャリストに


 2008年のシーズン前半は代走や守備固めでの起用が主だったが、7月から1番打者に定着。阪神につけられた最大13ゲーム差を引っ繰り返し、セ・リーグ優勝を果たした逆転劇「メークレジェンド」に大きく貢献。自身最多の30盗塁に加えゴールデン・グラブ賞も受賞。規定打席未到達ながら打率は3割を超え、「打者・鈴木」としても存在感を強く示すシーズンとなった。

 それ以降は再び「代走のスペシャリスト」として活躍を見せる。2014年には通算200盗塁を達成。一度も規定打席に達したことがない選手としては史上初の記録だ。

 この年は盗塁こそ11個と少なかったものの、代走起用後の本塁生還率が5割を超え、前年の倍以上となる28得点を記録。「神の手スライディング」など好走塁が冴え渡り、「代走のスペシャリスト・鈴木尚広」を野球ファンに強く印象づけたシーズンとなった。

 2015年には自身初のオールスターゲーム出場。今季は広瀬叔功氏(元南海)の記録を抜き通算盗塁成功率歴代1位に浮上。12年連続2ケタ盗塁と自身初の盗塁成功率100%も記録し、ファンの誰もが「来季もやれる」と期待するなか、10月13日に引退を表明。突然の決断に誰もが驚いた。

元チームメイトが話す鈴木尚広


 今回、この原稿を書くに当たり、鈴木の巨人時代の1年後輩として同じ釜の飯を食べた田中健太郎氏に取材を行った。現在も鈴木と親交のある田中氏。田中氏が知っている鈴木の素顔、第二の人生への期待を語ってもらった。


山岸:田中さんから見た鈴木選手はどんな選手でしたか?

田中:努力家ですね。鈴木さんの武器である足は当時から評価されていました。ただ、若手の頃はケガが多かったですね。

山岸:鈴木選手には、故障のイメージはあまりないですが、元々は故障がちだったんですね。

田中:はい。それがあったので、早くから自費で専属のトレーナーさんをつけていました。2軍での試合が終わった後も、毎日、黙々とトレーニングをしていましたね。

山岸:強い体を作るためには、そうした努力があったんですね。

田中:そうですね。それと原監督が我慢して使って、鈴木さんの潜在能力を引き出したのが大きかったですね。原監督じゃなかったら、試合で使ってもらえなかったかもしれないです。

山岸:「原監督がいたからこその鈴木選手」だったと。そう考えると「人との出会い」は大きいですね。

田中:でかいですよ。やはり原監督の見る目がすごかったです。

山岸:一緒にプレーや練習をしてきたなかで、印象に残っている鈴木選手の言葉はありますか?

田中:鈴木さんは周りに左右されずに、我が道を信じて真っ直ぐ突き進む人でした。言葉じゃなくて行動、姿勢でチームの選手たちに大事なことを示していました。その姿は今でも強く印象に残っています。また、私の1年先輩ということもあって、鈴木さんからはプレーの基本から、生活、プライベートなど、いろいろと教えてもらいました。

山岸:今でも鈴木さんとは親交が続いているのですか?

田中:はい。昨年の12月には、私が主催している新潟市の野球教室にゲストとして来てくれました。鈴木さんは子どもたちへの教え方が上手くて、しかも話が面白いんです。指導者のウケもよかったですね。

山岸:鈴木さんが指導してくれたことをずっと頭に入れてやってきた子どもが将来、プロに入って、鈴木さんのような存在になるという夢もありますね。

田中:そうですね。

山岸:個人的には、鈴木さんほどの走塁技術がある方なら、引退後、すぐにコーチに就任するのだろうと思いました。

田中:すぐにコーチに就かないのは、鈴木さんなりのビジョンがあるからだと思います。トレーニング法とか、教える側としての勉強もあるでしょうから。

山岸:これからの鈴木さんに期待することはありますか?

田中:今のままの鈴木さんでいいと思います。そして、ぜひ「第2の鈴木尚広」を育ててほしいですね。


 試合途中、球場に鈴木尚広の名前がコールされた瞬間、巨人ファンからは割れんばかりの歓声とエールが起きた。そして、他球団ファンからは大きな溜め息が漏れた。

 競った試合の終盤でこの男が出てくると球場の雰囲気は一変した。そんな影響力を持った選手は決して多くない。

 多くの野球ファンに「代走」のすごさを教えた鈴木。稀代の「代走のスペシャリスト」は今季を最後に、ユニフォームを脱いだ。

 いつの日か、鈴木の教えを受けた「第2の鈴木尚広」がグラウンドを駆け抜ける姿に期待したい。


田中健太郎 プロフィール
松商学園高校(長野)で2年時からエースで4番に。キャプテンとして迎えた3年夏には甲子園に出場し、最速145キロを記録。打撃でも注目を集め、1997年のドラフト会議で巨人から5位指名を受け入団。現在は株式会社アウトフィールド代表取締役として新潟県、長野県を中心に野球教室やプロ野球選手を招いたイベントを開催している。


文=山岸健人(やまぎし・けんと)

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