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第1回「大谷翔平・ドラフト問題を振り返る」(1)

 世はまさに情報化時代。日々、洪水のように溢れ出るニュースに溺れてしまいがちなのは、一般社会のみならず野球界も同様ですが、そのなかから注目のトレンドや「旬」な話題を厳選して、鋭く、素早く切れ込んでレポートするこのコーナー、略して「クロ圏」。どこかで聞いた番組名? ということはさておき、第1回目はあの「日本ハム・ドラフト会議・大谷翔平」をテーマにお送りします。ドラフト指名直後から入団に至るまでの経緯から、あまりの注目度にHPがパンクしたと言われるあの極秘資料についてまで、2週に渡ってレポートします。

「大谷翔平・ドラフト問題を振り返る」

 12月9日、大谷翔平選手(花巻東)の北海道日本ハムファイターズへの入団が発表された。
 ドラフト4日前にメジャー挑戦を宣言した大谷選手に対し、明確なポリシーのもと指名を貫いた日本ハム。先日、交渉時の説得材料として使用された資料も公開されるなど、様々な側面から注目を浴び続けている。
 そこで今回は、2012年のドラフトを語る上では欠かせないテーマであり、また、今のドラフト制度の問題点を考える上でも大きな意義のあるこの「大谷問題」について今一度おさらいするために、これまでの経緯を当事者たちのコメントとともに時系列で振り返ってみたい。


【10月21日/大谷選手、メジャー挑戦を表明】
◆ドラフト候補の高校生が、指名前にメジャー挑戦を宣言したのは史上初。
◆この日までにメジャー3球団(ドジャース、レンジャーズ、レッドソックス)と面談をした上での発表だった。

「日米どちらにも憧れがあったが、メジャーへの思いが強かった。難しい決断だったが今は迷いはない。ほっとしている」(大谷選手)


【10月23日/日本ハム、ドラフトでの大谷指名を宣言】
◆この日行われた編成会議を受けての発表。昨年、巨人入りを熱望する東海大・菅野智之を1位指名したものの入団には至らなかった経緯を踏まえ、慎重論も出た中での結論だった。

「一番力のある選手を1位指名するという方針を貫きます」(山田GM)
「大谷君には本当に申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」(栗山監督※翌24日の記者会見で)


【10月25日/ドラフト会議】
◆日本ハム、宣言通り大谷を単独1位指名し、交渉権を獲得。

「(入団が)困難なことを理解した上で日本ハムは編成に携わる人たちが命がけでやっている。そのチーム方針を変えてはいけないと思った」(栗山監督)
「自分の気持ちは変わりません。評価していただいたのはありがたいですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」(大谷選手)


【10月26日/最初の指名挨拶】
◆日本ハム・山田GMが花巻東高校を訪問。
◆大谷本人は同席せず、同校の佐々木監督に指名の経緯を説明(18分間で終了)

「時間をかけて、あきらめずに頑張りたい」(山田GM)
「本人も含めて対応する機会をつくらなきゃいけないと思う」(佐々木監督)

【10月27日〜11月3日/日本シリーズ開催】

【11月2日/2度目の指名挨拶】
◆日本ハム・山田GMが大谷選手の自宅を訪問。大谷本人とも初めて面会を果たす。
◆球団の育成システムを説明。
◆栗山監督が「大谷君へ。夢は正夢。誰も歩いたことのない大谷の道を一緒につくろう」と記したサインボールを手渡す。

「本人が会ってくれたことは喜んでいます。わびも半分、何としても獲得したいという話をさせてもらいました」(山田GM)
「高校生からは初めてなのでパイオニアとしてやっていきたい。メジャーで長くやりたい」(大谷選手のコメントとして山田GMが説明)


【11月10日/初の入団交渉】
◆大谷選手は同席せず、両親と日本ハム側が会談(花巻市内のホテル)。
◆条件面など具体的な入団交渉についての話は一切なし。
◆A4用紙25枚(別紙5枚)に及ぶ資料「大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜」を用い、高校生からのメジャー挑戦のリスクが高いことを説明。

「資料を持ち帰ってできるだけ詳しく正確に伝えたい。最終的には本人の人生。後悔のないように本人の意志で決めたい」(父・大谷徹さん)


【11月17日/2度目の入団交渉】
◆大谷選手本人も同席(岩手県奥州市内のホテル)。
◆日本ハム側から投手と野手の「二刀流プラン」を提示。
◆その他、球団の育成方針(若手の積極活用)やサポート体制(球団内にメジャー球団を経験した職員が16人いる、など)を説明。

「二刀流はメジャーでは不可能だということで喜んでいた。現時点で、投手としても打者としてもすばらしい素質を持っている。日本の球界ではパイオニアとしての道に行けるんじゃないか」(山田GM)
「前向きな態度は感じられなかった。でも、全く「ノー」という感じでもなかった」(父・大谷徹さん)


【11月26日/3度目の入団交渉】
◆栗山監督が初の同席(奥州市内のホテル)。
◆大谷選手がドラフト以降初となる記者会見。

「翻意させに来たわけではない。一緒に夢をかなえたい。どうやったら手伝えるのか。監督ではなく解説者になっていた」(栗山監督)
「球団としては思っていることを全部話した。出し尽くしました。あとは決断を待つだけ。一日も早く「日本ハムに入団したい」という言葉を聞きたい」(山田GM)
「栗山監督は情熱的な方で 素晴らしい話が聞けました。自分で考える上での判断材料になります。新たな発見もありました」(大谷選手)


【12月3日/4度目の入団交渉】
◆大谷サイドからの申し入れで実現(奥州市内のホテル)。
◆日本ハム側からは、契約金1億円と出来高払い5000万円、年俸1500万円の条件を提示。
◆大谷選手から日ハムに2つの質問。
※「打者としてスタートすると、投手として使われないのではないか?」→「ダルビッシュがつけていた背番号11を用意している」ことを伝え、投手として評価していることを明言。
※「メジャー挑戦から国内球団に進路を変えることでバッシング受けるのではないか?」→「批判は球団が受ける。我々が背負っていく」と諭し、メディアに対しても自分たちが盾になることを明言。

「日本でプレーするのなら、すべて自分が背負う。球団と自分が悪いと。できる限りプレーしやすい環境をつくりたい。一番大切なのは大谷君の将来。周りもそれを大切にしていると思う。一番いいのは何か。その道をつくるのは大人の責任」(栗山監督)
「自分の疑問を解消していただき非常に感謝しています。迷惑のかからぬよう今週中には結論を伝えたい」(大谷選手※球団を通してコメント)


【12月9日/5度目の入団交渉】
◆交渉後、日本ハム入団を正式表明。

「こんな長い1カ月は経験したことがない。今はうれしい。きょう来るまでどういう決断をするか心配だった」(山田GM)
「喜びより責任の重さが高まっている。ご迷惑をお掛けした方のためにもチーム全員で全力を尽くしていきたい」(栗山監督)
「たくさんの方にご迷惑をおかけしましたが、今までお世話になった方や地元の方々に日本でプレーする姿を見て頂いて、少しでも恩返しできればいいなと思ってます」(大谷選手)


【12月13日】
◆日本ハム、入団交渉で使った資料を球団のホームページ上で公開。


 以上、時系列でこれまでの経緯をおさらいしてみた。
 こうして振り返ると、「高卒からのメジャー挑戦」という“パイオニア”を目指した大谷選手に対して、「投手と野手の二刀流」という“別なパイオニア”を提示した日本ハム、という流れも見えてきて興味深い。その説得材料として大きな役割を果たしたのが、今回、球団ホームページでも公開された資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」だったのではないだろうか。
 次回はこの資料を中心に、大谷問題をさらに掘り下げて行きたい。

※次回更新は12月25日(火)になります。

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