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【知っておきたい球場の話】元はクリケット場。前身から100年以上の歴史を持つ横浜スタジアム

文=落合初春

【知っておきたい球場の話】元はクリケット場。前身から100年以上の歴史を持つ横浜スタジアム
 連載企画『知っておきたい球場の話』。今回は2020年の東京五輪のソフトボール・野球のメイン会場になる横浜スタジアムの歴史を紹介したい。

1876年に開かれたクリケット場が基盤


 現在の横浜スタジアムは1978年に開場したが、“場所”として見るとかなり長い歴史がある。

 もともとは1876年に横浜居留地に開かれたクリケット場がベース。1899年に居留地が日本に返還され、横浜公園球場として整備された。その後、関東大震災で崩壊したが、早期に復興されている。

 クリケット場時代には、旧制第一高等学校と横浜カントリー&アスレティッククラブによる日本初の国際試合が開催され、1934年にはメジャーリーグ選抜と日本代表の親善試合も開催されている。ルー・ゲーリッグ(元ヤンキース)やベーブ・ルース(元ヤンキースほか)が来日し、全日本を圧倒。この一戦からプロ野球(当時は職業野球と呼ばれていた)誕生の機運が高まった。

初のプロ野球ナイター開催


 1945年8月、日本は第二次世界大戦に敗れ、翌月、横浜公園野球場は連合軍に接収される。

 このとき、大きな役割を果たしたのは、ルー・ゲーリッグだった。ヤンキースの名一塁手として活躍していたが、筋萎縮性側索硬化症によって、1941年に37歳の若さでこの世を去った「打撃王」はアメリカでは英雄的存在だった。

 ほかの接収地は建物が取り壊され、転用される場合も多かったが、ゲーリッグがプレーした球場は大事に扱われ、「ルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアム」として、そのまま球場として使用された。

 1946年には照明が設置され、1948年にはナイターで急映フライヤーズ対大陽ロビンスの職業野球公式戦も開催。これが日本プロ野球界初のナイトゲームだった。

中学軟式野球の聖地


 その後、1952年に日本に返還され、「横浜公園平和野球場」としてアマチュアを中心に利用されてきたが、1977年に老朽化のため閉場。新たに「横浜スタジアム」が誕生した。

 大洋ホエールズ(現DeNA)が川崎から移転し、高校野球神奈川大会でもメイン球場として使われている。

 野球関係者以外の一般的な知名度こそ高くないが、全国の中学、クラブチームが参加する全日本少年軟式野球大会も1984年から開催されており、中学軟式野球の聖地になっている。狭いとよく言われるが、飛びにくい軟式のボールで「横浜スタジアムでホームラン」は一種のステータスだ。

 かつては横浜ドーム構想がたびたび取り沙汰されていたが、DeNAが友好的TOBで運営会社を買収し、ボールパーク化構想を進めている。100年以上の歴史を持つ「野球の地」。甲子園にも神宮にも劣らない伝統がそこにはある。

文=落合初春(おちあい・もとはる)

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