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第14回 「流出した主力選手」名鑑

「Weeklyなんでも選手名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
 毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第14回目のテーマは「流出した主力選手」名鑑です。

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 先週の1月23日、キャンプインに向けた自主トレ以外は特に大きなニュースのなかった球界に激震が走りました。日本ハムとオリックスの間でのトレードです。移籍することになったのは日本ハムの糸井嘉男八木智哉と、オリックスの木佐貫洋赤田将吾大引啓次の計5名が関わる、しかも両チームのレギュラーが、という大きなものでした。なんといっても昨シーズンの日本ハム優勝の立役者、年齢も31歳で、WBC日本代表レギュラーとしても期待される、全盛期只中……そんな糸井を、日本ハムがあっさり手放したことが驚きでした。今回はこの出来事にちなんで、チームの柱だった選手がチームを去った事例をまとめていきます。

1975年 張本勲(日本ハム→巨人)

 糸井と同じ日本ハムから、オリックスと同じ“最下位球団”に移籍したのが張本勲だ。ただ最下位とはいっても移籍先は名門・巨人軍。移籍直前の75年のシーズンでは日本ハムも最下位に終わっていた点で事情が異なる。基本的にはBクラス常連チームの優れた選手が常勝チームへ移籍する――という、オーソドックスなパターン。また、移籍した75年時点で35歳。糸井よりも年齢を重ねていた。
 東映(〜72年)、日拓(73、74年)、日本ハム(75年〜)と親会社は変わりながらも、同一チームで17年間プレーしてきた張本の存在は絶対的なものだった。この年までの総安打数は2435本に及び、通算打率は.322。75年こそ打率.276に終わっていたが、前年まで9年連続3割を記録していた。しかし、74年オフに日本ハムに親会社が変わると、中心選手だった大杉勝男白仁天をそれぞれヤクルトと太平洋に放出するなど、チームカラーの刷新が行われていた。張本の放出も既定路線で噂にはよく挙がっていたという。巨人以外では大洋やロッテも候補に挙がっていた。
 75年のオフ、11月に高橋一三富田勝との1対2の交換で巨人移籍が決まった張本は、翌年王貞治とともに“ON砲”に変わる“OH砲”として主軸を務めた。22本塁打、打率.355と期待に応え、巨人の成績はV字回復し見事優勝に輝いた。一方の日本ハムはその後もしばらく低迷が続いた。

[張本勲・チャート解説]

前年の大杉、白らの移籍から球団の方針は明らか。張本移籍の噂は事前から飛び交っていた。「電撃度」は4。トレードにあたって巨人は当時29歳、104勝を挙げていた高橋一三を供出。今回の糸井のケースに比べても条件は妥当だ。「合理性」は5。ちなみに高橋は81年の日本ハム初優勝時に14勝を挙げ貢献している。巨人在籍4年間で3度3割を記録し順位も1位2回、2位1回。「貢献度」は5。

チャートは、主力選手離脱の「電撃度」、交換条件などが理にかなったものかどうかの「合理性」、移籍後の活躍を計る「貢献度」を5段階評価しました(以下同)


1988年 門田博光(南海→オリックス)

 44本塁打、125打点で2冠王とシーズンMVPを獲った門田博光の南海からオリックスへの移籍劇も糸井に匹敵する主力選手の移籍事例だ。同一リーグ間での移籍というのも今回のケースに重なる。
 88年9月、南海のダイエーへの球団譲渡が発表され、本拠地が大阪から福岡に移ることも決まった。この年大活躍を見せた門田だったが、家庭の事情などもあって関西からの転居を避けたいと移籍を直訴。結果、そのオフにやはり譲渡の決まった阪急の身売り先、オリックスへの移籍が決まった。なお、当初ダイエーの本拠地だった平和台球場は人工芝で、ケガを抱えていたアキレス腱への影響も考慮したといわれている。
 トレードの相手は、内田強、原田賢治、白井孝幸という若手3選手だったが、結果的に戦力にならなかった3人とは対照的に門田はオリックスでも存在感を見せた。石嶺和彦ブーマーと破壊力抜群のクリーンナップを組み、ブルーサンダー打線と恐れられた。門田はブーマーに次ぐチーム2位の33本塁打を放ち、打点も93を挙げた。翌年も31本塁打、91打点と40歳を超えた選手とは思えない力強い打撃を維持し、チームは2年連続で2位に。
 一方、主砲を欠いたダイエーは外国人選手でその穴を埋めたが89年は4位、90年は6位と低迷した。門田は長女が義務教育を終え高校生となると、91年にダイエーに復帰。しかし43歳となっていた門田のコンディションは上がらず翌年限りで引退した。

[門田博光・チャート解説]

ファンにとっては驚きだったが、身売りのショックである程度の耐性も。選手間では子煩悩な門田の関西残留は想定内だったとも。「電撃度」は4。トレード相手の若手選手はほぼ活躍できず。オリックスによる足下を見たトレードにも見える。「合理性」は3。希望を通しストレスなくやれたから? オリックスでは好調を維持。「貢献度」は5。


2003年 小久保裕紀(ダイエー→巨人)

 突然の発表、やや不可解な交換条件という部分では糸井の件と重なるのが小久保裕紀のケース。青山学院大からダイエーを逆指名して入団し、2年目の95年に本塁打王、4年目の97年に打点王を獲得。そして99年にはチーム初の日本一にも貢献した。ダイエーを代表する生え抜きのスター選手として活躍を続けていた小久保だったが、2003年春のオープン戦でのクロスプレーにより、右ひざを完治まで最低6カ月と診断される重傷を負う。この年チームは日本一になったが小久保は1年を棒に振った。
 そしてオフに入って間もない11月、小久保の巨人への移籍が発表される。しかも「無償トレード」という交換条件が驚きを呼んだ。リーグを跨ぐとはいえ、チームの顔というべき選手が他チームに無償で譲渡される事態に、ファンだけではなく小久保を慕うチームメイトからも怒りの声が噴出した。
 この譲渡の背景にはダイエーの球団経営の不振、また小久保と球団上層部、特にオーナー代行との間に確執があったとされる。当時の小久保の年俸2億1000万円(推定)はダイエーには重く、さらにケガの治療にかかる費用について球団と選手のどちらが持つかで衝突も起きていた。一説には、無償だったのは移籍に伴う金銭を巨人での小久保の年俸を維持するためであったとも言われているが、はた目には「タダでもいいから追い出したい」ようにも映り、ダイエーに対するファンの不信は広がった。
 だが小久保は、ケガからの復帰を遂げた04年、移籍先の巨人で41本塁打。翌年も34本塁打と長打力を発揮した。優勝とは縁がなかったが06年には人間性も買われ主将にも抜擢された。なお、ダイエーは04年にソフトバンクが買収されたが、小久保のいない04〜06年も好調を維持。プレーオフでの敗退などはあったが、勝率では常に上位をキープした。
 07年にFA権を取得すると、小久保は古巣に復帰。ファンの熱烈な歓迎を受けた。

[小久保裕紀・チャート解説]

突然も突然。ファンにとっては日本一の喜びも吹っ飛ぶ大事件だった。「電撃度」は5。無償だったことも非常に不可解に映った理由。「合理性」は3。巨人で力を発揮できない打者も多くいる中、きっちりとパフォーマンスを見せた。「貢献度」は5。


その他の「流出した主力選手」たち

1976年 江夏豊(阪神→南海)
 阪神で先発として2度の最多勝に輝き、27歳にして通算159勝を挙げていたが、放出の意思が前提にも映るトレードで南海へ。翌年トレード相手の江本孟紀が15勝、阪神の江夏の穴は埋まった。

1978年 田淵幸一(阪神→西武)
 32歳という年齢での移籍は糸井に近い。新天地・西武では6年で154本塁打。阪神の捕手はトレードで加入した若菜嘉晴が務め、まずまずの成績。

1979年 小林繁(巨人→阪神)
 江川卓入団にまつわるトラブルで阪神へ。前年の13勝から移籍翌年は22勝に勝ち星を積み上げて意地を見せた。

1985年 田尾安志(中日→西武)
 3年連続最多安打を放つなど、人気も実力もある看板選手だったが放出された。中日は川又米利をライトに起用し穴を埋める。

1986年 落合博満(ロッテ→中日)
 2年連続の三冠王獲得選手の移籍は、球史最大の戦力移動かもしれない。1対4のトレードでもロッテのダメージは大きく、リーグトップクラスを誇っていたチーム打撃成績は大きく下落した。

1993年 秋山幸二(西武→ダイエー)
 3対3のトレードでダイエーへ。31歳での移籍は糸井に近い。移籍後下落傾向だった長打力は戻らなかったが、西武時代に培った“勝つ野球”をチームに浸透させ、以後の黄金時代の基礎を作る。交換で同じ外野手の佐々木誠を得た西武にもたらしたインパクトは小さかったと見られる。

2006年 多村仁(横浜→ソフトバンク)
 2005年、06年に自動車運転中の事故や試合中のケガで離脱期間があった。06年のオフに寺原隼人と1対1のトレード。29歳という年齢、40本塁打を記録している選手と将来性はあるものの2ケタ勝利経験もない投手というアンバランスな関係が今回の糸井のケースとの共通点。

2006年 谷佳知(オリックス→巨人)
 オリックスでレギュラーを張っていたが、成績を落とすと33歳という年齢もあり、実績のあまりない鴨志田貴司長田昌浩との交換トレードで巨人へ。オリックスは谷のポジションに下山真二などを充てた。


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 主力選手がチームを離れるという事態は、FA制度を利用した「選手の意思」に基づくケースであれば珍しいことではありません。日本ハムと糸井のケースは、前年のシーズン、球界全体で1、2に争う活躍を見せた選手を、球団が手放したところに驚きがありました。そうした部分に目を付け、トレードによる球団による主力選手の放出事情を眺めてみたわけですが、やはりどれをとっても今回ほどの思い切りのよさは見られません。
 張本は実績では糸井以上ですが、年齢は35歳。前年は成績を落としています。球団もイメージを一新させようとする意図があれば十分想定できる放出です。門田も年齢は40歳、家庭の事情という特殊なケースでもあります。小久保の突然の(しかも表向き無償の)トレードは糸井に近い不可解さをもっていますが、ケガで試合出場は0、どこまで治るかわからない、さらにそれに伴う上層部との確執があったことが明らかでした。小久保離脱後もダイエー(ソフトバンク)は成績を落とさず戦えていたことを考えても、経営難の球団が小久保を譲渡することは完全に「ない」話ではありません。その他の例も、放出される年齢が高かったり、代替選手の確保が済んでいるケースがほとんどで今回ほど攻めている感じはありません。
 ただ、若手選手にどの程度期待がかけられているかは、外から見ているだけではわからない部分はありそうです。田尾を放出して川又を台頭させた中日の例や、横浜(現DeNA)の場合は多村が空けた外野の一角には吉村裕基(現ソフトバンク)が登場したりしました。日本ハムは次世代の外野手である杉谷拳士鵜久森淳志谷口雄也らの成長、そして大谷翔平の獲得に手応えを感じている…… ということなのかもしれません。

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