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高校野球の歴史が変わった、池田対PL学園【高校野球100年物語】

【この記事の読みどころ】
・1980年代はPL学園黄金時代! 清原・桑田が残した数々の伝説!
・甲子園初の完全試合は1978年センバツに松本稔が達成
・実力があったからこその「大ちゃんフィーバー」

〈No.068/印象に残った勝負〉
時代が変わった瞬間! 1983年夏、池田対PL学園


 1983年、夏の甲子園の最大の注目は「夏春連覇」を達成していた池田が史上初の「3季連続V」を成し遂げるかどうか。その期待に応え、エース・水野雄仁(元巨人)と自慢のやまびこ打線の活躍で順調に勝ち上がった。そして、準決勝でPL学園と対戦する。

 1981年、1982年にセンバツ連覇を達成していたPL学園ではあるものの、夏は5年ぶりの出場。しかも、エースと4番が1年生とあって、誰もが池田の決勝戦進出を疑わなかった。ところが、終わってみればPL学園が7−0で池田をシャットアウト。自慢のやまびこ打線は1年生エース・桑田真澄(元巨人ほか)の前に鳴りをひそめ、水野雄仁は公式戦で初めての被本塁打を、その桑田相手に献上してしまった。

 1980年代前半、高校野球を牽引していた池田の栄華が終わり、“PL学園王朝”へと移り変わる、まさに時代の分水嶺と呼ぶべき試合だった。

〈No.069/泣ける話〉
史上初の完全試合男! 前橋・松本稔が味わった天国と地獄


 100年におよぶ高校野球史において、甲子園の舞台で完全試合を成し遂げた投手はたった二人しかいない。一人は1994年春の金沢・中野真博。そして、もう一人が1978年春、史上初めて完全試合を達成した前橋の松本稔だ。

 わずか78球、1時間35分で終わった史上初めての完全試合。その試合の内訳は、内野ゴロ17、三振5、内野飛球2、外野飛球3。松本のテンポ良い投球もさることながら、内野陣の堅守もあって成し遂げられた偉業は、センバツ1019試合目、春夏通算2430試合目でようやく生まれた大記録だった。

 だが、結果的にこの「偉業」が前橋ナインのリズムを狂わせた。一躍注目の存在となった松本とチームメイトは、次の試合で0−14という信じられない大敗を喫してしまう。取材攻勢と周囲の過剰な期待で本来のピッチングができなかっただけでなく、前の試合で堅守を誇った守備陣にもミスが続出してしまった。

 後年、あるインタビューで「数日で天国と地獄の両方を味わったというのが貴重な経験。地獄も見られてよかった」と語った松本。この苦い経験も活きたのか、指導者としても甲子園に帰還している。

〈No.070/印象に残った選手 part1〉
戦後最多勝&最年少優勝投手・桑田真澄が残した金字塔


▲桑田真澄/イラスト:横山英史

 甲子園通算20勝3敗。戦後の甲子園最多勝記録を誇る人物こそ、1983年から1985年の3年間PL学園のマウンドを守った桑田真澄だ。1年時、ベンチ入りは果たしたものの、大阪大会ではなかなか出場機会に恵まれなかった。だが、初登板を完封勝利で飾ると、一躍チームの主戦投手に大抜擢。甲子園では優勝候補の池田相手に完封勝利をおさめ、その勢いのままチームを優勝に導いた。

 4月1日生まれの桑田は、今後も破られることがないだろう史上最年少優勝投手の記録も樹立。以降、3年夏まで5季連続で甲子園に出場し、その全てで準決勝以上に勝ち進んだチームを牽引。常勝PL学園の屋台骨を支え続けた。

 また、桑田を語る上で欠かせないのが打撃面での活躍だ。1年時は池田戦での貴重な先制弾を含む大会2本塁打。3年間で甲子園6本塁打を放っている。これは1位の清原和博に次ぐ、大会2位タイの記録となっている。

〈No.071/印象に残った選手 part2〉
甲子園はこの男のために……不滅の13本塁打、清原和博


 甲子園通算13本塁打(春4本、夏9本)。今後も破られそうにない不滅の大記録を打ち立てた男こそ、PL学園の主砲・清原和博(元西武ほか)だ。2位タイの桑田真澄、上宮・元木大介(元巨人)で6本塁打。いかに清原の記録が図抜けていたかがわかるだろう。

 また、名門で1年から4番を務めたからこそ、ただ遠くに飛ばすだけでなく、勝つためのチームバッティングを身につけていたのが清原だった。甲子園通算91打数40安打29打点。打率は4割4分。当初はトーナメントが進むほど成績が落ちることもあったが、最後の夏は準々決勝以降で5本塁打、10打数8安打と打ちまくって、4番の重責を果たした。3年夏の決勝戦、2打席連続本塁打を放った清原に対して、実況アナウンサーは「甲子園は清原のためにあるのか!」という名文句を残した。

▲清原和博/イラスト:横山英史

〈No.072/印象に残った監督Part1〉
名物監督の先駆け!“攻めダルマ・蔦文也監督”


 学生時代に3度甲子園に出場。東急フライヤーズ(現日本ハム)の投手としてプロ野球選手でもあった蔦文也氏が池田高校野球部の監督に就任したのが1952年。その後、1971年夏に甲子園初出場を果たすと、1974年春には、わずか11人の部員で準優勝。「さわやかイレブン」旋風を巻き起こした。

 1979年夏にも準優勝すると、1980年代には筋力トレーニングを積極的に取り入れ、破壊力ある「やまびこ打線」で1982年夏、1983年春と「夏春連覇」を達成。池田黄金時代を築き上げた。

 甲子園通算37勝11敗。優勝3回(1982夏、1983春、1986春)、準優勝2回(1974夏、1979春)。「打て」のサインしか出さないことから「攻めダルマ」と呼ばれ、奔放な口調から名物監督としてファンも多かった。2001年4月28日、77歳で逝去。かつての教え子たちは事あるごとに池田町を訪ね、恩師の思い出を語り合うという。

〈No.073/印象に残った監督Part2〉
PL黄金時代をつくった万能監督・中村順司


 1981年から1998年まで、18年間で積み上げた勝利数は歴代2位の58勝。春夏通算6回(1981春、1982春、1983夏、1985夏、1987春、1987夏)の優勝は史上最多を誇る。名将中の名将、それがPL学園を率いた中村順司監督だ。

 中村監督が秀でていたのは甲子園で勝てる、という部分だけでなく、桑田真澄、清原和博、立浪和義らを筆頭に数多くの一流プロ野球選手を育て上げた点も見過ごせない。また、超一流プレーヤーがいなくても勝てるチームに導く戦術眼もなければ、甲子園通算58勝は成し得なかっただろう。育成力、戦術眼、勝負運、すべてに優れた高校野球史上きっての万能型監督、それが中村順司だった。

〈No.074/知られざる球場秘話〉
球児たちのドラマを目撃し続けた甲子園スコアボード伝説


 1924年に開場した甲子園球場。その翌年に誕生したのがスコアボードだ。当初は木製でチーム名と点数を表示するだけのシンプルなもの。延長は16回までしか表示できず、1933年夏、中京商対明石中の「延長25回の死闘」では17回以降、球場職員が「0」の板を釘で打ちつけながら継ぎ足していかなければならなかった。さらに用意していた「0」の板もなくなると、ペンキで即興で書いて継ぎ足したと逸話が残っている。

 この試合の教訓を生かすべく、翌1934年、球場10周年の節目の年に2代目のスコアボードに刷新。木製からコンクリート製に変わり、表示は18回までできるように。また、チーム名と点数表記以外にも選手名が表示される大きな変更が加えられた。

 さらに球場50周年の1984年には電光掲示板方式に変わり3代目に移行。1993年にはスコアボードをカラー化。右半分がオーロラビジョンとなり、動画も流すことができるようになった。さらに現在ではスコアボードのLED化が進み、よりクリアな映像を省電力で楽しめるようになっている。

〈No.075/時代を彩った高校〉
高校野球人気を牽引した常勝軍団! 1980年代のPL学園


 高校野球人気が高まった1980年代に強かったのがPL学園なのか、PL学園の圧倒的な強さが1980年代の高校野球人気を支えたのか……いずれにせよ、この時代の高校野球はPL学園抜きに語ることはできない。

 1970年代後半、「逆転のPL」の異名とアルプススタンドの人文字応援で高校野球きっての人気校となったPL学園。中村順司が監督に就任すると、その強さはさらに盤石なものとなり、1981年、1982年にはセンバツ2連覇を達成する。そして1983年、桑田・清原のKKコンビが入学すると、2人が在籍した5季の間に優勝2回、準優勝2回と圧倒的な強さを発揮する。

 この「KK時代」以上に強かった、ともいわれるのが1987年だ。立浪和義(元中日)、片岡篤史(元日本ハムほか)、野村弘樹(元横浜)、橋本清(元巨人ほか)、宮本慎也(元ヤクルト)らを擁し、KKコンビもなし得なかった春夏連覇を達成した。

〈No.076/世相・人〉
時代をつくった「大ちゃんフィーバー」、荒木大輔!


 三沢高・太田幸司による「コウちゃんブーム」以降、高校野球人気を支えた数々のアイドル球児たち。その最高峰に位置する人物こそ、「大ちゃんフィーバー」と呼ばれる社会現象まで巻き起こした荒木大輔だ。

 リトルリーグでは世界大会優勝。名門・早稲田実業でも1年夏から甲子園のマウンドを踏むと、決勝戦までの5試合で4完封。準優勝ながらも端正なマスクと華麗なストーリー性で一躍時の人に。高3夏まで5季連続で甲子園に出場したことで、高校野球人気の隆盛に大きく貢献した。

 荒木大輔が甲子園に初登場したのが1980年8月。その翌月に生まれ、「大輔」と命名されたのが、のちの怪物・松坂大輔である。


■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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