週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

戦後70年、戦火に散った伝説のプロ野球選手たち

 今年の8月15日で、太平洋戦争が終結してちょうど70年となる。プロ野球は誕生して81年となるが、先の大戦では多くのプロ野球選手が戦地へ送られ、その若い命を落とした。

 戦死した選手たちの犠牲の上に、今日の日本プロ野球の繁栄があることを我々は忘れてはならない。そんな心半ばにして戦火に散った選手を紹介したい。

沢村栄治(元巨人)


▲京都商時代の沢村栄治

 戦争で亡くなった名選手で必ず名前が出てくるのはプロ野球創成期の大投手・沢村栄治だろう。京都商で甲子園を沸かせた沢村は、1934年に同校を中退し日米野球のため結成された全日本軍に入団。なかでも草薙球場で行われた一戦では0−1で敗れるも、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ擁する全米チーム相手に好投を見せた。

 さらに、全日本が母体となった巨人でもエースとして活躍。プロ野球最初のリーグ戦がスタートした1936年、東京・洲崎球場で行われた大阪タイガースとの優勝決定戦では3連投し、巨人初の優勝に大きく貢献した。翌1937年春のシーズンでは24勝4敗、防御率0.91の結果を残して最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。最高殊勲選手にも選ばれた。「ボールが浮き上がった」と表現される伸びのある直球と「懸河のドロップ」と言われた大きなカーブを武器としていた。

 しかし、1938年から徴兵された沢村は、戦地で手榴弾を投げ過ぎたため右肩を痛める。1940年には巨人に復帰するが、全盛期のような躍動感あふれるフォームはなく、サイドスローからの技巧派投手への転向を余儀なくされた。それでも同年には自身3度目のノーヒットノーランを達成し、その健在ぶりをアピールした。1942年には再び徴兵され、翌1943年は0勝3敗の結果に終わる。これが沢村の最後のシーズンとなった。

 1944年、三たび戦地へ送られた沢村は12月2日、南方戦線へ向かう輸送船がアメリカの潜水艦の攻撃を受け沈没。27歳の短い生涯を閉じた。

 戦後、沢村の功績を讃えた巨人は背番号14を永久欠番に。また、沢村の栄誉と功績を称えて制定した「沢村賞」は年間で最も優れた先発投手に贈られるタイトルとして、現在もその名を残している。

景浦將(元大阪タイガース)


 この沢村のライバルだったのが、景浦將だった。松山商から立教大に進み、1936年に大阪タイガースへ入団。豪快なバッティングで4番打者として君臨。さらに投手としても活躍し、重いストレートを武器に1936年秋のシーズンは6勝0敗、防御率0.79で最高勝率、最優秀防御率のタイトルを獲得した。現在、大谷翔平(日本ハム)が「二刀流」として活躍しているが、野口二郎(元東京セネタースほか)らとともに、その元祖といってもいい存在だった。

 1937年春は投げては11勝、打っては47打点で打点王を獲得。秋には首位打者となり、大阪タイガース初優勝の原動力となる。翌1938年春に31打点で2度目の打点王となる。1940年に徴兵されたのち、1943年に復帰するが、沢村同様にこの年が景浦にとっても最後のシーズンとなった。

 そして、沢村の戦死から5カ月後の1945年5月、フィリピン・ルソン島にて29歳で戦死する。

 1984年、プロ野球50周年の記念切手が3枚発売された。そのうちの2枚は「投手」「打者」と名前は出てなかったが、「投手」は沢村の投球フォーム、「打者」は景浦の豪快な打撃フォームがデザインされていた。

石丸進一(元名古屋軍)


 沢村、景浦に比べると知名度は低いが、石丸は特攻隊で戦死した唯一のプロ野球選手だった。

 石丸は佐賀商から兄・藤吉の後を追って1941年に名古屋軍に入団。学生時代は投手だったが、プロ1年目は内野手としてプレーする。翌1942年には投手に復帰。初登板となった4月1日の朝日軍戦では2安打完封でプロ初勝利を挙げた。結果として、この年は17勝をマークすると、翌1943年は20勝12敗、防御率1.15というさらなる好成績を残した。10月12日の大和戦ではノーヒットノーランを達成し、これが戦前最後のノーヒットノーランとなった。

 投手として成長が期待されていたが、1942年10月の学徒出陣によって、日本大夜間部に在籍していた石丸は徴兵される。海軍に入隊した石丸は1945年、神風特別攻撃隊に志願。5月11日、鹿児島・鹿屋基地から出撃し、そのまま帰ってくることはなかった。まだ22歳の若さだった。

 出撃前日の10日には、同僚を相手にキャッチボールを行い、最後の10球は全てストライクを投じた。

 石丸の生涯は、後に牛島秀彦の小説「消えた春」や、同作を原作とした映画「人間の翼 最後のキャッチボール」で描かれている。


 上記の沢村、景浦、石丸のほかにも「タコ足」と呼ばれる一塁守備でファンを魅了した中河美芳(元イーグルス)、巨人の正捕手だった吉原正喜、「酒仙投手」こと西村幸生(元大阪タイガース)など。戦没したプロ野球選手たちは東京ドーム敷地内の「鎮魂の碑」に名を連ねている。戦後70年経った現在のプロ野球を、先人たちはどのような思いで見守っているのだろうか。

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方