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第十一回 チーム選びの落とし穴(終)

 子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考えるコーナーの第十一回目。今回も野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、「チーム選び」について語ります。

 前回まで、「わが子を少年野球チームに入れる時、いったい何を基準にチームを選んでいるのか?」をテーマに、「チーム選びの落とし穴」について触れてきた。今回は服部家が入団した「ゆるゆるチーム」の大変貌について。

2年間勝ち星ゼロのチーム…


「父ちゃん、おれたちの学年も先輩たちみたいに6年生になっても、ずっと負け続けるんかなぁ? 1回も勝たれへんのかなぁ?」
 入部3年目に突入した頃、4年生になった長男ゆうたろうに突然そう聞かれた。
 入団の経緯こそ半強制だったが、入部後は野球の楽しさに一気に目ざめ、チームで2年連続皆勤賞を取るほどの野球少年に変貌した長男。しかし、それは負け続ける先輩たちを目撃し続けた2年間でもあった。
(高学年に足を踏み入れ、自分が上級生になったときのことをリアルに想像してしまったんだろうな、きっと…)
「試合とは負けるもの」という感覚が定着してしまい、負けて悔しいという気持ちすら、失っているんじゃないかと懸念していたこともあり、長男の質問に喜んでいる自分がいた。
 私は「今のまんまじゃそうかもなぁ」と答えた。
 ゆうたろうはなにも言わなかったが、顔には「それはいやだ」と書いてあった。
 私は彼にこう伝えた。
「たしかにチームの練習時間は市で一番短い。シートノックもバッティング練習もする場所もない。でも、おまえらさえその気になれば、絶対にカバーする方法はあると思うよ。本当に今の状況を変えたいんだったら、頭ひねって、もがいて、一生懸命、考えてみ?」

子どもが始めた早朝自主練習


 しばらくすると、2007年の夏休みに突入した。ゆうたろうは、同時期に入団した同じ4年生のゆうすけくんや、ともひろくんらと朝6時から9時頃まで、テニスボールによる打撃練習を中心とした自主練習を夏休み初日からやり始めた。場所は、よそのチームが週末に練習場として使用している広い公園。3人で話し合った結果、朝の早い時間ならあの公園が使えるじゃないかということになり、6時に集まることになったらしい。
 3人で始まった練習だったが、数日すると、ほかの4年生メンバーやその弟組も加わり、気づけば、常時10人前後の規模に拡大していた。
 安全のための監視も兼ねて、私を含めた数名の保護者でその様子を連日見守っていた。最初のうちは保護者同士で「続くとしても7月いっぱいくらいじゃない?」などと言い合っていたが、最終的には、お盆期間を除く、すべての夏休みで朝練を子どもたち主導でやりきってしまった。
 夏休み最後の日は千秋楽と称し、練習を終えた直後の子どもたちに菓子パンとジュースを大量に差し入れ、ささやかな打ち上げパーティーを催した。大人に命令されるわけでもなく、子どもたち自身の意思で開始し、やり通した朝の自主練習。
「わが子がこんなにコツコツできるなんて…」
「毎朝5時台によく起き続けたよね〜」
「現状を打破したいっていう意識を持っている子がこれだけ多いとは思わなかったよね」
「今後の結果はともあれ、『勝とうとする気持ち、うまくなりたいという気持ち』を出発点に、これだけ頑張れることがわかった。それだけでもう十分じゃない?」
 保護者たちもパンをほおばりつつ、そう言い合った。

反発する保護者も…


「子どもたちがあれだけ頑張っているんだ。悲願の勝利を手に入れられるよう、なんとか後押しできないものか?」
 夏休みが終わるころには、そんな声が4年生を中心とした保護者や父兄コーチ間で湧き上がるようになっていた。監督も「今の4年生の子らは野球が好きな子が多い。6年生になった時には勝てるかもしれない」と期待の言葉を寄せていた。勝利至上主義になることなく、勝ちたいと願う子どもたちが納得してくれるチームになるにはどうしたらいいか。指導者間で話し合った結果、試合における考え方を次のように定めることにした。

●公式戦では、無理やり全員を出場させることにこだわらない。
●試合の出場基準は、上手いかどうかよりも、まずは練習の出席率の高い順から。休まない子が9名以上いてはじめて、『野球の実力』という指標を出場基準のテーブルに乗せる。
●実力面で劣っていたとしても、チーム活動にきちんと出席している限り、練習試合においては、出場機会のチャンスを極力均等に与える。
●最低限のサインを作る。
●ピッチャーの一日の投球数の上限は12歳85球、11歳以下は75球までとし、土日連投の場合は合計で110球以内。この決め事を破ってまで、勝ちを取りに行くようなことは絶対にしない。

   この決め事を作ってからは、練習を休む選手が目に見えて減ったのには驚いた。皆勤メンバーが増えれば増えるほど、練習に出席することは試合に出るための最低限の要因に過ぎなくなるため、これまでは一切発生していなかった、競争原理が一気に働きだした。
 しかし、この考え方に不満を抱いた人たちもいた。「がんばろうが、がんばるまいが、誰でも試合に出してくれるゆるいチーム」という部分に惹かれ、チームを選んだ層の人たちだ。
「受験対策の模試やそろばんなどのお稽古事が土曜日にあるから、どうしても休む回数は多くなる。今までみたいに試合に出してもらえないならやめる」
「練習に出ていたら、今までのように週末に家族旅行に行けなくなる」
 そんな声が聞こえてくることもあった。
 4年生の頑張りが巻き起こしたチーム変革。しかし「ゆるさ」を求めて入団した層にとっては、「望んでいない」変革に過ぎなかった。

念願の初勝利!


 夏休み明けの秋季リーグ戦。5年生の部に飛び級参加した4年生軍団は上級生を相手に悲願の初勝利を挙げた。
 4年生たちにとっては入部以来、いや、野球を始めて以来、はじめて体験する勝利の味だった。指導者陣も涙を流さんばかりに喜び合った。勝った日は、夕方の5時から翌朝の5時まで飲み明かした。
 4年生たちは翌週も勝利をマーク。全学年がかりで、2年間で1度も勝てなかったチームが2週間で2勝。他チームや連盟関係者に「どうしたん!? なにがあったん!?」と驚かれる週末が続いた。
「毎日早起きするのはしんどかったけど、コツコツやったら人生報われるということがわかった」
「努力は裏切らないという意味がわかった気がする」
「野球を楽しむという意味がようやくわかった気がする」
 試合後のミーティングで子どもたちはそんな発言を残すようになった。
「もっとやったら、もっと勝てるようになるに違いない!」
 子どもたちは、夏休みが終わり、新学期になっても朝練を6時から7時15分まで続けた。そのうち、朝練だけでは飽き足らず、平日の放課後、あげくは夕食後にも集まって自主練習をするようになった。
「努力のごほうびの味」を知ってしまった子どもたち。いつしか、彼らのセーブ役に回るのが大人の仕事になってしまった。
 上級生たちは当初、「なんで4年生だけ勝てるんだ?」と不思議がっていたが、その大きな源が自主練習にあることを知ると、こぞって早起きし、朝の公園に現れるようになった。
 以後、チームの勝率は年々、右肩上がりのカーブを描いた。チームの成績が上がるにつれ、熱烈なる野球少年の加入率は上がり、代わりに「ゆるいから」という理由で入団する層は減少の一途をたどった。
 4年生軍団が最上級生になった時には、あと1勝で県大会が狙える位置までこぎつけ、今年はついに県大会制覇を成し遂げた。
 気づけば、あの夏休みから5年の歳月が経っていた。

 

嬉しさがこみ上げた卒団文集


「このチームでよかった」
 長男の学年の卒団式で、保護者たちは一様にそう言い合った。
「最初は『こんなに勝てないなんて、どないなってんねん!?』って思ったけど、最初の2年間で負け続けたからこそ、子どもたちのなんとかしたいという思いが高まったんだもんな」
「大人たちに強制されるんじゃなく、自分たちでやり続けたから、中学になっても自分の意思でやるんじゃないかな、あいつら」
「おかげで小学生にして、努力の素晴らしさ、継続することの素晴らしさも身に染みてわかったみたいだし」
「最初から強いチームに入っていたら、あれほど勝ちたいと思わなかっただろうし、3年目でつかんだ勝利であれだけ喜べなかったろうね」
「環境に恵まれていなくても、打開策は必ずあるということが身に染みてわかったんじゃないかな」
   卒団式後の保護者たちによる楽しい飲み会は朝まで続いた。
 ふと、チームの変革途上で、「ゆるいから入れたのに。ゆるくないのならやめる」「絶対に試合に出れるから入ったのに。聞いていた話と違う」と言い残し、チームを去っていった人たちの顔が頭をよぎった。
 自分たちも当初は「ゆるさ」に惹かれて入ったクチ。本当にこれでよかったのだろうかという思いも残る。「全員がハッピーになれる方法はほかになかったのだろうか…?」。
 手元に配られた卒団文集を開くと、かつての先輩たちと異なり、卒団文集の内容が全員、野球の話でしっかりと埋められていた。勝った嬉しさ、負けた悔しさがしっかりと綴られた文面を読むと嬉しさがこみ上げてきた。
 顔をあげると、「与えられた環境の中でやれることは全部やった」といわんばかりの卒団生たちの満足げな表情が見える。毎日のように自主練を共にした、チームメートと離れ離れになりたくないという寂しげな泣き顔も見える。
「よかったんだ。これでよかったんだ」
 私は、自分自身に何度もそう言い聞かせた。



文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

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