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古田敦也氏、野球殿堂入り! 新しいキャッチャー像を築いた名選手の現役生活

 1月23日、今年度の野球殿堂入りが発表された。競技者表彰(プレーヤー部門)ではヤクルトで活躍した名捕手・古田敦也氏が選ばれた。

 1990年代、当時のヤクルトを率いた野村克也監督が標榜したデータ重視の「ID野球」。その野村監督の薫陶を受け「ID野球の申し子」と言われたのが古田氏だった。「メガネのキャッチャーは大成しない」という従来の固定観念を覆し、球史に名を残した名捕手の現役生活を改めて振り返ってみよう。

野村監督の下、球界を代表する選手に上り詰める


 1989年のドラフト会議にてヤクルトから2位指名を受け入団。念願のプロ入りだった。立命館大4年時には大学日本代表に選ばれ、強肩を武器にスカウトから注目を浴びる選手だった。指名は間違いなし、と言われていたものの、ドラフト会議ではどの球団からも指名がなかった。その悔しさがあったからこそ、その後の活躍につながり、また、ソウル五輪や、大学、社会人を経た選手で初めての2000安打を成し遂げたのだから、人生とはわからないものだ。

 プロ1年目の1990年にはシーズン途中からレギュラーに定着した。試合中のベンチでは野村監督のすぐそばに座り、リードや配球について徹底的に指導を受けてプロのキャッチャーとして成長していく。その甲斐あって、いきなりゴールデングラブ賞を受賞した。

 2年目には初めてオールスターゲームに出場。第1戦で松永浩美(当時オリックス)、白井一幸(当時日本ハム)、秋山幸二(当時西武)とパ・リーグの俊足選手たちを自慢の強肩で刺し、一躍注目を集める。さらにペナントレースでは落合博満(当時中日)とシーズン終盤まで首位打者争いを繰り広げ、最終戦の第1打席でヒットを打った古田が、打率.340で初の打撃タイトルを獲得した。

 順調に成長曲線を描いていく古田は、1992年のオールスターゲーム第2戦でサイクル安打を達成し、前年に続き大舞台で活躍。チームでは主に3番で30本塁打をマークし、14年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。さらに1993年にはリーグ優勝に続き、日本シリーズ制覇の原動力となりセ・リーグMVPに。セ・リーグのみならず、日本プロ野球を代表するキャッチャーにまで成長した。

日本シリーズで2度のMVP


 1997年、古田はチーム事情でシーズン途中から4番に座る。持ち前の勝負強い打撃に拍車がかかり、4年ぶりの打率3割超となる打率.322、盗塁阻止率も3年ぶりにリーグトップになるなど存在感を発揮した。そして、チームは2年ぶりのリーグ優勝。西武との日本シリーズでは第3戦に渡辺久信から試合を決める勝ち越し本塁打を放つなどの活躍で、MVPを獲得した。セ・リーグMVPにも選ばれた古田にとって印象深いシーズンとなった。

 若松勉監督政権下の2001年、リーグ優勝を果たしたヤクルトだったが、古田はシーズン中からケガが相次ぎ、満身創痍の中、日本シリーズに臨んだ。体はキツくても、頭が冴えたこの日本シリーズでは、近鉄の強力打線をその巧みなリードで抑え、4年ぶりの日本一へと導いた。自身2度目となるシリーズMVPにも輝く。

 また、1999年には初のプロアマ合同チームとなったシドニー五輪予選の日本代表に選出され、松坂大輔(当時西武)とのバッテリーが話題に。正捕手として本戦出場に大きく貢献した。

球界再編ではグラウンド外でも活躍


 2004年、近鉄とオリックスの合併問題に端を発した球界再編問題では、選手たちの立場を守るべく古田は、プロ野球選手会会長としてオーナー側に立ち向かった。日々のナイターに加え、昼間は会合に出席するなどグラウンド内外で奮闘する姿にファンは共感し、古田を支持した。第2の合併問題や1リーグ化への動きが見え隠れする中、選手会はストライキを敢行し、強い態度をオーナー側に示した。その後、楽天の新規参入が認められ、プロ野球は12球団を維持することに。事態収拾に尽力する古田の姿は、プロ野球界の新たなリーダーとして世間に印象付けた。

2000安打達成、そして選手兼任監督に


 2005年4月24日、松山・坊っちゃんスタジアムで行われた広島戦。古田は6回に二塁打を放ち通算2000安打を達成する。高校、大学、社会人を経た選手では初の偉業で、捕手では恩師・野村氏以来の偉業となった。

 そして、2006年からは選手兼任としてヤクルトの監督に就任。選手兼任監督も野村氏以来で、29年ぶりに誕生した。監督業のため出場機会は減ったが、代打で登場する時の「代打、オレ」にファンは歓声を上げた。

 しかし、2007年9月、成績不振による監督辞任と現役引退を発表。会見では「寂しいよりも悔しい」と涙を流した。シーズン最終戦となる10月7日の広島戦では「5番・キャッチャー」で久々にスタメン出場。試合後には「またお会いしましょう!」と挨拶し、18年間の現役生活に別れを告げた。

 その後、様々な球団で新監督として名前が挙がるが、現場復帰には至っていない。監督として再びグラウンドに立つ古田氏の姿を、多くのファンは待ち望んでいるだろう。


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