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帰ってきた無頼派・松永浩美インタビュー【前編】(現群馬ダイヤモンドペガサスコーチ)

「初めはひどかったんだから。これでもずいぶんうまくなったんですよ」

 群馬県高崎市城南球場。シートノックを受ける群馬ダイヤモンドペガサスの選手たちに視線を注ぎながら松永浩美は口を開いた。かつての名三塁手は現在、野球塾を開きながら、独立リーグの指導者をしている。



「なにしろ今、教えている小・中学生と同じレベルだったんだから」

 独立リーガーに対する松永の目は厳しい。しかし、それはさらなる高みへと彼らを誘いたいという指導者としての熱意の表れだろう。

 そして彼はまた、アマチュアの指導者に対しても同様の視線を彼は向けている。

「たとえば、バットをしなるように振りなさいって、彼ら、言葉は知ってるのよ。でも、実際、そうするためにどうしないといけないか、その肝心なところがわかっていない。キャッチボールにしても、『キャッチボールが大事ですよ』って子どもには言うくせに、子どもがキャッチボールしているときには、それを見ないで、座って父兄としゃべってんだもん」

 アマチュアの、特に少年野球、中学レベルの指導に関しては、プロ経験者の多くが同様の苦言を呈する。すべてとは言わないが、野球をしっかり勉強していない指導者が「でたらめ」を教えている現実があることは否めない。独立リーグで元NPBのコーチの指導を受けたあるピッチャーは、自分の球速がグングン伸びていくのをみて「指導者1つでこうも変わるのか」と実感したという。

「そういう意味では、元プロがアマで指導できる環境が整ってきたんで、いい流れだと思うね」

 日本球界の悪弊ともいえるプロアマの壁が崩れつつある現状を松永も肯定的に捉えている。

 松永自身のもとには、NPB球団からのオファーがあるらしい。しかし、身分保証のない世界、そこにたとえば1、2年いるためだけに、せっかく指導の場を与えてくれた野球塾に迷惑をかけることを、彼の義理堅さは許さなかった。そういう彼にとって、現在の活動と並行してできる独立リーグのコーチはある意味うってつけの仕事だった。


「俺は今年からなんだけど、3月に初めて見たときはびっくりしたよ。今までちゃんと野球を教えてもらってなかったんだろうな」

 それでも1から教えた結果、ずいぶん良くなったと言う。どのようなことを指導したのかと尋ねると、ボールを追いかける姿勢について語ってくれた。

「内野手が自分の左右のボールを追いかけるとき、腰はある程度、足を運ぶ方向を向きますよね。彼らはその時、上半身も一緒に進む方向を向いちゃってるの。肩のラインは、ちゃんとボールが来る方向を向いてなきゃならないのにね。そういうこともちゃんと教えてもらってなかったのよ」

 そういうプロとしての「いろは」から叩きこんだ結果、NPBを狙える選手が何人か出てきたようだ。

「でも、まあ、プロに行くにはタイミングもあるからね。需要と供給の関係だから。俺だってそう、まだプロに入りたての頃、2軍で毎年3割5分くらい打ってる先輩がいたのよ。不思議だったよ。この人でどうして上(1軍)に上がれないのかなって。その人、外野手だったのよ。当時の阪急の外野と言えば、福本(豊)、ウィリアムス、大熊(忠義)の盤石の布陣。大熊さんのあとには蓑田さんが出てきた。ようするに1軍に上げても使うとこなかったのよ。それに比べて、内野は、島谷(金二)マルカーノ、加藤(秀司)、大橋(穣)。もうかなりのベテランになっていた。だから若くて生きのいいの誰かいないか? ってことになって、俺が引き上げられたのよ」

 その後の活躍は、周知のとおりである。ショートストップとしてデビューした松永は、その後、リーグを代表するサードとして活躍した。即戦力で入団してきた弓岡敬二郎がショートしか守れなかったということで、押し出されたかたちでのコンバートだったが、これにも「本当は、ショートよりサードの方が難しいの。まあ、ショートの方が動きは激しいけどね。サードは打球の強弱にも対応しなければならないからね」

 と、自分が現役の最後まで守り通したポジションへの誇りを見せた。このコンバートで誕生した三遊間は、1984年、阪急ブレーブスを最後の優勝に導いている。


松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960(昭和35)年9月27日生まれ、福岡県北九州市出身。小倉工高〜阪急〜オリックス〜阪神〜ダイエー。高校を中退して、1978年にドラフト外で入団するも、野球協約に触れ、実際に支配下登録されたのは1979年。1981年に1軍出場を果たすと、その後、俊足のスイッチヒッターとして、阪急、オリックスの主軸打者として活躍。日本人初の1試合左右両打席本塁打を記録した。阪神に移籍した後に、日本球界初のFA権を行使して、地元・ダイエーに移籍。200本塁打とともに、全打順での本塁打も成し遂げる。1997年に退団して、メジャーリーグへの挑戦をするも、結果が出ず、そのまま引退した。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、指導にあたる。2014年よりBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスのコーチを務める。

■ライター・プロフィール
石原豊一(いしはら・とよかず)/1970年生まれ、大阪府出身。立命館大学大学院国際関係研究科博士後期課程修了。専門はスポーツ社会学。野球のグローバル化と、それに伴うアスリートの移動について研究。既発表論文に「グローバル化におけるスポーツ労働移動の変容――『ベースボール・レジーム』の拡大と新たなアスリートの越境」など。主な著書に『ベースボール労働移民 メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』(河出書房新社)や『エレツ・ボール 野球不毛の地、イスラエルに現れたプロ野球』(ココデ出版)がある。

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