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あれから10年。渦中の球団に近い選手たちとともに振り返る球団合併

☆僕らは受け入れるしかなかった

「合併騒動の年は、社会に出て2年目でしたから、なにが起こっているのかもわからなかったですね。ただ、『自分の入団した球団がなくなる、オリックスと合併する』っていう結果だけを僕らは受け入れるしかなかったですね」

 現在は大阪で飲食店を営んでいる大西宏明は、当時をこう振り返る。プロ2年目に103試合に出場、打率.265、本塁打10の数字を残し、レギュラーポジションが見え始めた矢先のことだった。創設以来、唯一親会社の交代がなかった関西の名門球団・大阪近鉄バファローズは、同じ関西で覇を争っていた阪急ブレーブスの系譜をひく、オリックス・ブルーウェーブに吸収合併されることにより消滅してしまった。

 奇しくも、近鉄の最後の試合は、合併相手のオリックスのホーム・神戸で行われた。しかし、大西の中でこの試合の記憶はほとんどない。

「僕らにとっては、その前の大阪ドームでの最終戦の方が強烈でしたから。星野(おさむ)さんがサヨナラヒット打って……」

 選手各々の人生や心持ちなどとは関係のないところで話は進み、そして、ファンの猛反対をよそに合併は強行された。経営の論理とはある意味そういうものかもしれない。ただ、新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスが新たに参入することで、当初、経営側が目論んでいた1リーグ制への移行だけは阻止された。新球団ができるなら、せめてバファローズの新規参入球団への身売りでいいのでは、というごく当たり前の願いも、両球団の主力で新チームを構成したいという企業の論理に踏みにじられた。2005年、近鉄の約半数の選手は、合併先に乞われるかたちで「移籍」することになった。

 レギュラー争いはし烈を極めた。当時オリックスには、谷佳知、村松有人という二枚看板が君臨し、その上、球団は現役メジャーリーガーのカリム・ガルシアを獲得してきた。大西は結局、スーパーサブ的な役割に回ることに。しかし、それはプロである以上、仕方ないと大西は割り切る。

「僕らくらいの選手は毎年がゼロからのスタートですから」

 だから、球団移籍もプロ野球選手の常。オリックスのユニフォームをまとうことにも違和感はなかった。

☆ブルーウェーブとバファローズ

「まあ、オリックスっていいながらバファローズやし(笑)。近鉄の選手もようけおったし。球場も、神戸ではプレーしてましたからね。ベンチが変わっただけっていう感じでした。それより、球場を神戸と大阪、半々で使うようになって、ホーム3連戦のうちどっちかで2試合、残りを向こうで、っていうのが多かったんです。だから、ホームにおっても移動しているような感じが変でしたね。おまけにユニフォームやヘルメットも違う、それは違和感がありました。球場を間違えることはなかったと思いますが、『明日どっちやったけ?』っていうのはありました(笑)。とにかく、めんどくさかったですわ」

 ちなみに、オリックスと近鉄は同じ地域のライバル球団として、前身の阪急時代からなにかと折り合いが悪かったと言われている。スパイ疑惑や、死球をめぐる乱闘などもあった。そのあたり、ギクシャクしなかったのだろうか。それについても大西は笑いながら返してくれた。

「近鉄とオリックスだけじゃなく、昔のパ・リーグはみんなそんなもんじゃないですか。当時、僕も2年目で自分自身のことでいっぱいいっぱいでしたから、どのチームと仲悪いとかはわからなかったですね。たしかに、ポンポンとヒット打ったら、次の打席にちゃんとデッドボールくらったっていうのはありましたけど」

 実際には、合併直後の秋季練習で、過去のわだかまりは汗とともに流れていったようだった。しかし、選手の雰囲気は両軍でずいぶん違っていたと大西は回想する。

「球団が違うイコール文化も違う、っていうことがわかりましたね。オリックスの選手はおとなしかったです。当時の近鉄にはノリ(中村紀洋)さんがおって、磯部(公一)さんやタフィー(タフィ・ローズ)もおって、みんなでワイワイやってましたから。向こうの選手はマジメな人が多いなって思いましたね。まあ、だからって、どうということもなかったですよ。北川(博敏)さんとか、阿部(真宏)さんとか、ようしゃべる人間が、オリックスの人たちとしゃべって、徐々に打ち解けていきました」

 ベンチ内の空気は、どちらかというと、近鉄色になっていったようだ。これについては、合併当時、すでにオリックスを離れ、阪神の一員になっていた葛城育郎も現在のオリックスは自分がいたチームという感じはしないと同調する。

「指導者は、近鉄の人の方が多かったんじゃないんですかね。オリックスの人も今はコーチとして帰ってきましたが、今のオリックスも近鉄色の方が強いでしょう。そもそも『ブルーウェーブ』はなくなってますし」

 合併球団からは、やがて看板選手の谷が放出。合併を機会に復帰したオリックス唯一の優勝監督である仰木彬もこの世を去った。親会社はオリックスで、チームカラーもオリックスのブルーになったものの、北川や阿部、下山真二らがその明るいキャラクターで人気を博し、メイン球場も京セラドーム大阪に移り、「近鉄色」に染まっていった印象が強い。

「そうでもないですよ。球団のOBっていう目線で見ているからかもしれないけど、フロントはオリックスの人が多いからね」

 と言うのは、星野伸之とともにオリックス黄金時代のエースとして君臨した野田浩司だ。彼もまた、合併を機に球団を去った一人である。葛城同様、阪神でもプレーした経験をもつ野田だが、「自分はオリックスOB」と言ってはばからない。そういう野田にとって、合併そのものより、「ブルーウェーブ」のニックネームがなくなり、神戸がホームでなくなったことが一番ショックだった。

「あの震災の後の優勝もあるし、神戸には思い入れが強いんでね」

 解説をしていても、「バファローズ」のフレーズはなかなか出てこない。

「だから『オリックス』って言います。さすがに『ブルーウェーブ』とは言いませんが、『バファローズ』とも言わないですね。やっぱり『バファローズ』は、ライバルの近鉄ですから……」


 あれから10年。オリックス・バファローズはペナントレースでは苦しんでいるものの、連日多くのファンを本拠地・京セラドーム大阪に迎えている。休日ともなると、3万人を超えることは珍しくない。いま流行の「オリ姫」やちびっこファンにとって、閑古鳥が鳴いていた、かつての大阪近鉄バファローズやオリックス・ブルーウェーブの試合は、ただの昔話でしかないだろう。それを考えれば、やはりあの合併は行われてしかるべきだったのかもしれない。

 しかし、例年行われる企画試合で復刻ユニフォームをまとった選手たちを見るにつけ、さまざまな立場の多くの思いが、「オリックス・バファローズ」の中に沈殿していることを感じてしまうのは私だけではあるまい。


■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。ブログ「阿佐智のアサスポ・ワールドベースボール」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/gr009041)

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