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なぜ [悲運の闘将] はファンレターに返事を書いたのか

<森脇監督が亡き恩師に誓う>
 そう見出しが付いた記事が、先日、スポーツ紙に載っていました。オリックスの森脇浩司新監督が、今は亡き恩師の西本幸雄さんに向かって、監督就任の報告と来季の奮闘を誓ったという内容です。

 マスコミの間では「悲運の闘将」とも呼ばれていた西本さん。大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄と3球団すべてをリーグ優勝に導いた名監督として知られ、日本シリーズに進出すること実に8度。しかし、ついに日本一にはなれなかったことで、「悲運」の二文字が付いている。81年限りで勇退したあとは、長く評論家活動を続けていましたが、惜しくも昨年11月25日、91歳で亡くなられました。

 現役時代は内野手として近鉄、広島、南海、ダイエーでプレーした森脇監督。79年、ドラフト2位で近鉄に入団した当時の監督が西本さんでした。
 10月の就任会見。理想の監督像を問われた森脇監督は、「西本さん。キャンプで話してくれた言葉が響いた」と答えています。さらに先日の記事によると、同監督は11月26日、命日の翌日に西本家を訪れ、仏前に手を合わせたあとでこう話したそうです。
「いろんなことを教えていただいた。主力にも目を光らせアドバイスを送っておられたが、中でもランニングの姿勢には厳しかった」

 僕自身、兵庫県宝塚市にある西本家を訪ねたのは11年前、2001年の9月。ちょうど近鉄が優勝を決めた直後、西本さんにインタビューする機会に恵まれました。
 取材にはいつも編集の方が同行するのですが、このときは、元近鉄応援団長にして西本さんと親交の深い作家・佐野正幸氏と一緒でした。


▲ファンレターをきっかけに、親子あるいは師弟のような間柄になった佐野氏

 佐野氏は北海道札幌市の生まれながら、中学時代、珍しく同地でテレビ放映された阪急の試合を観て、なぜか西本監督宛てにファンレターを出す。すると、まさかの返事が届いて以来、半ば文通状態となり、大学に進んで上京後、球場で応援を続けるなかで西本監督と対面。監督が近鉄に移ると同時に阪急ファンから鞍替えして、近鉄応援人生が続いていたのでした。

 実は、西本さんに会いに行きたいと思った最初のきっかけが、佐野氏と知り合ったときに「監督との文通経験」を聞いたことです。プロ野球の監督が中学生のファンと手紙のやり取りをするなんて、もうまったく、ありえる話とは思えない。まずファンレターというものは、返事が来ないのが普通ではないかと。
 しかも、温厚そうな印象の強い野球人なら「ありえるか」と思えても、情熱的な指導のなかで選手への鉄拳制裁もあったと伝えられ、厳格な方という印象が強い西本さんゆえに「ありえない」。それでも、佐野氏が目の前で「本当に文通してたんです」と言っている――。俄然、西本さんに興味が湧きました。

 旧知の間柄の佐野氏が一緒だったからでしょう。ご自宅最寄りの駅からタクシーに乗るはずが、自ら運転する車で駅まで迎えに来ていただいたときから、西本さんはリラックスしていました。当初から、取材=仕事、という堅苦しい雰囲気はなくスムーズに対話に入れて、僕の拙い質問のせいで話が途切れなかったのも、佐野氏のおかげでした。

 何より、近鉄が12年ぶりに優勝して、近鉄応援団長が目の前にいることで、西本さんのなかでスイッチが入った感もありました。問わず語りに、近鉄の3色帽子(1994年まで採用)のデザインは自分で手がけた、という話を始められたからです。

「俺、阪急であれだけ勝ったのにね、西宮のグラウンドはガラーンとして客が入らなかった。で、近鉄行ってからさ、ファンというものを意識し出してね。幸いに、というか、日生球場はスタンドにいるお客さんと選手の距離がすごく近いわけ」

 近鉄のホームグラウンドで、これまでになくファンとの一体感を肌で感じた西本さん。お客に応えるのはキザだ、お客に対してニヤけるな、という昔の感覚は時代とともに変わり、スポーツとは本来、精神的に重いものではなく、もっと明るいものだと考えていたといいます。そこで帽子のデザインに遊び心を入れて、配色も派手に変えた。
 なおかつ、見た目で気を惹くだけでなく、ファンと選手が接する機会を増やそうと、シーズンオフには主力選手をサイン会に連れ出すこともあったそうです。

 今では球団の広報もしくは営業が行うようなことも、ファン拡大、人気向上のためならと、監督自身が率先して動いていた――。
 僕はその行動の根底に、佐野氏からの手紙に返事を書いただけの、ファンを大事に考える気持ちがあったのではないかと思いました。まして、現在のように球団とファンの距離が近くなかった時代、西本さんにはかなり“進取の気性”があったようです。

 たとえば、選手たちの体力向上を目指して、日本陸上競技連盟から筋力トレーニングのメニューを仕入れたり、いち早くボディビルを採り入れたりした先進性。
 そうして体力がついたら、今度は技量を高めるべく、運動の理屈と、人間の体の構造の理屈を知ったうえで猛練習させていく。その点、森脇監督も「ランニングの姿勢には厳しかった」と話していたとおり、スポーツにおける姿勢の大事さに関しては相当に熱く語っていました。

▲監督時代は「頑固一徹な練習の鬼」にして「情熱の権化」と言われていた。

 ただ闇雲に猛練習させるのではなく、合理的な方法でチーム強化に取り組み、結果を残していた西本さん。良いも悪いも、ただ先輩から受け継いでいただけの昔の野球界を、「実に封建的な世界」と喝破しました。そして、その「封建的な世界」は今でも若干、残っているのだと言う西本さんは、こう続けました。

「そういう意味じゃあ、実は日本の野球、プロ野球の歴史なんて、すごく浅いのよな」

 当時81歳の西本さんに「歴史が浅い」と言われた衝撃、今でも脳裏に残っています。簡単に「80年近くも歴史がある日本プロ野球」などと書けないんだな、と思います。
 だから僕は、野球の歴史を大事にするということは、西本さんのような考え方を大事にすることだと思うし、西本さんを理想像とする新監督の奮闘、大いに期待したくなります。(※西本幸雄さんのインタビューは、現在発売中の文庫に収録されています)

撮影/高橋安幸(禁無断転載)


<編集部よりお知らせ>
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2)facebookページ『伝説のプロ野球選手に会いに行く』を開設しました。プロ野球の歴史に興味のある方、復刻ユニフォームを見ていろいろ感じている方、ぜひ見ていただきたいです。

文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会し、記事を執筆してきた。『野球太郎 No.001』では、板東英二氏にインタビュー。11月には増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)を刊行した。ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント @yasuyuki_taka

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