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練習場の隣に監督の自宅が?次の100年に向けて改めて振り返りたい高校野球部監督像

熱戦に終止符が打たれた甲子園大会。全国3,096校の頂点に立ったのは、神奈川県代表の東海大相模だった。


日本一の監督の座に就いたのは、母校のOBでもある門馬敬治監督。「アグレシッブ・ベースボール」を掲げ、常に攻める姿勢を貫いて、チームを45年ぶりの頂点に導いた。

高校野球は、選手が主役ではあるものの、監督の明確な意向や方針、戦術があってこそ、強いチームとなる。甲子園大会が終わったこの時期、改めて高校野球部の監督像についてふれてみたい。

徹底的なスパルタ教育時代


野球部の監督と聞けば、どんなイメージを持つだろうか。戦前はもちろん、戦後もしばらくの間、全国の野球部で慣例となっていたのが、徹底的なスパルタ教育だ。野球部の練習といえば、長時間の練習は当たり前で、ミスをすれば容赦なく鉄拳が飛び交う時代。野球部の監督は「怖い」「厳しい」というイメージが今なお、続いているのではないか。

過去には練習中に水を飲むことも許されず、精神修行のような練習も取り入れられていた。驚きの精神修行といえば、広島商野球部の「日本刀の刃渡り」だろう。1970年代、同校野球部の迫田穆成監督(当時)は、機動力野球を標榜する一方、精神統一のために、日本刀の刃の上を歩かせたという逸話もある。


指導方法の変化


しかし、こうしたスパルタ指導が当たり前という風潮に変化が生まれたのが1980年代だ。PL学園の中村順司監督(当時)は、練習時間を短くするなど、合理的な練習方法を取り入れながら、名門チームを作り上げた。特に技術指導には定評があり、後にプロへ送り込んだ選手たちは口々に「(高校時代に)プロでも通用する指導をしてくれた」と語っている。

同時に、過度な練習や体罰などが問題視されるようになった2000年代には、強制する練習方法に対して、次第に選手たちも従わなくなった。理論的かつ選手のメンタルに訴えかける練習方法が浸透し始め、ベテラン監督たちも選手のモチベーションを上げるための指導方法を模索するようになった。


選手と家族同然のつきあいも


たとえば、野球部監督でありながら、単身赴任で学校の寮に住み、選手たちと家族同然のつきあいをする監督もいる。

一昨年の夏の甲子園で優勝した、前橋育英の荒井直樹監督は、家族で神奈川から移転し、妻に野球部の寮母を任せている。今大会では、あの大阪桐蔭を破って甲子園初出場を決めた大阪偕星学園の山本?監督が、選手たちと寝食を共にする指導方法に注目が集まった。

そして、今大会の優勝校・東海大相模の門馬監督の自宅は、学校敷地内の野球部寮の横にある。学校の敷地内に、野球部専用グラウンドと寮が完備されているのは、私立高校ならよくある風景。しかし、東海大相模の場合は、寮の正面入口の右斜め前に、白い一軒家が建てられている。この家こそ、歴代の東海大相模野球部監督が住む家なのだ。

東海大相模の選手たちにとっては、朝から晩まで、門馬監督と顔を合わせることになるだろう。また監督にとっても、野球部から離れようにも離れることができない、そんな環境で生活しているのだ。

「高校野球100年」節目の大会となった、今夏の甲子園。これから次の100年を迎える高校野球の理想の監督像は、どのように変化していくのだろうか。

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