週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

押忍!これが超名門ヤンキースである!

 日本時間5日の朝8時半、いよいよメジャーのマウンドに登った我らが田中将大。先頭打者にいきなり本塁打を浴びたものの、7回を3失点8奪三振に抑えてメジャー初白星をマークした。

 田中が戦いの場を移したメジャーリーグの「知っているようで知らなかった」知識をお伝えするこのコーナー。第2回目は所属するヤンキースを徹底紹介。レジェンド選手の意外な真実やエピソードを交えて、MLBの魅力を再認識しよう!


その歴史は100年以上!


 ヤンキースの歴史は、1901年のアメリカンリーグ創設と同時に発足するところから始まる。メリーランド州ボルチモアで誕生したこのチームは「ボルチモア・オリオールズ」(※現在のボルチモア・オリオールズとは無関係)と名乗り、1903年にニューヨークへ。1910年まで「ニューヨーク・ハイランダーズ」という名称を経て、その後は現在まで続く「ニューヨーク・ヤンキース」と名称を変更した。

ベーブ・ルースと強力打線の第1次黄金期


 発足当時はそれほど強いチームではなかった。ワールドシリーズはおろか、地区優勝すらできず、八百長疑惑にも巻き込まれたこともあったという。

 しかし、1920年にベーブ・ルースをボストン・レッドソックスから獲得してから、ヤンキースは一気に強豪チームへと変貌を遂げた。

 120万5000ドルに加え、レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークの抵当に付された借金30万ドルも肩代わりして、ルースを獲得したヤンキース。ルースは他の選手と比べものにならないくらい本塁打を放った。1919年に29本で2位に19本差をつけて本塁打王に輝いたルースは、1920年には54本、1921年には59本を放って、それぞれ2位の選手と35本差つけるなど、圧倒的な本塁打数を記録。こうした傾向が10年近く続いた。

 ルースが活躍した1920年代はアメリカが繁栄を謳歌し、世界の中心へと登り詰めていく時代でもあった。ルースとルー・ゲーリック、トニー・ラゼリ、ボブ・ミューゼルらは「殺人打線(Murderer's Row)」を形成し、ヤンキースは第1次黄金期を迎えることになる。


▲ベーブ・ルース(イラスト=横山英史/『ベースボールイラストレーション』連載中)

無類の強さが生み出したミュージカル映画


 さらに1930年代に入ると、ジョー・ディマジオやフランキー・クロセッティ、レフティ・ゴメスらが活躍し、1930年代後半にはワールドシリーズ4連覇という当時としては前人未踏の大記録を達成。さらに1950年〜60年代にかけてケイシー・ステンゲル監督が就任し、ヨギ・ベラ、ミッキー・マントル、ロジャー・マリスらが大活躍。1949年から58年の10年間で9度のリーグ優勝、うち7度も世界一に輝くなど、世界のプロスポーツ史上でも前代未聞の強さを誇った。

 当時ヒットしたミュージカル映画「くたばれ!ヤンキース」には、「我々はヤンキースを嫌う一方で、同じくらいヤンキースを必要としている」という一節が出てくる。「嫌いだけど、いないと物足りない」という屈折したアンチ心理を表すものであり、これはアンチ巨人ファンが、強敵を相手チームに求めるものと同じものだ。日米関係なく、野球界に「アンチ○○」の概念を作り出したのはヤンキースだろう。

暗黒時代を救い、再度暗黒時代をもたらした名物オーナー


 そんなヤンキースにも、いわゆる暗黒時代は存在した。1964年、オーナーが全米3大TVネットワークのCBSに変わった途端に、弱小球団へと成り下がってしまう。1966年にはヤンキースと名称変更してから初めてシーズン最下位に転落。ジャッキー・ロビンソンの活躍以降、黒人選手を起用することが一般的になってきた風潮に最後まで逆らい、ヤンキースの伝統から黒人選手に門戸を開かなかったことも低迷の一因として挙げられている。

 そして1970年代中盤に入ると、ジョージ・スタインブレナーがヤンキースを買収。ここから大幅なチーム改革が始まった。老朽化したヤンキースタジアムを改装し、オークランド・アスレチックスからレジー・ジャクソンを獲得。監督を務めたビリー・マーチンとは何度も確執を生んだものの、1977年にはワールドシリーズに進出。このシリーズでレジー・ジャクソンは3打席連続初球本塁打という伝説を残してチームは世界一に登り詰めた。翌年もワールドシリーズ連覇を達成するなど、名門復活を予感させた。

 しかし1980年代になると、その豊富な資金力をデーブ・ウィンフィールドなどの大物FA選手の獲得ばかりにつぎ込むようになる。日本のプロ野球でもどこかで聞いたような話だが、そのチーム強化方針は実を結ぶことはなく、1981年を最後にヤンキースはワールドシリーズ進出から遠ざかってしまう。

 1990年、スタインブレナーが2年間のオーナー停職処分を受けて、チーム強化方針策は、ジーン・マイケルGMとバック・ショーウォルター監督に委ねられた。マイナーで才能をもった生え抜きの選手を育てる方向にシフト。これが後のチーム復活に多大な影響を与えたのだった。

新世紀の4人のレジェンドたち


 “CORE4(コアフォー)”という言葉をご存じだろうか。4とはデレク・ジーター、マリアノ・リベラ、ホルヘ・ポサダ、アンディ・ペティットの4人を指す。1990年代中盤あたりからの常勝ヤンキースを支えてきた4人を指す言葉だ。


▲マリアノ・リベラ(イラスト=横山英史/『ベースボールイラストレーション』連載中)

 前述したチーム方針変更の賜が、この4人である。彼らの共通点はヤンキース育ちの選手であること。1996年にはワールドシリーズに進出し、18年ぶりに世界一の座についた。ヤンキースは再び黄金時代を築き、1994年から11年間で9度の地区優勝。ワールドシリーズ3連覇を含む4回の世界一を達成する。その立役者がCORE4であり、彼ら4人は今後も続くだろう長いヤンキースの歴史のなかに、しっかりと刻み込まれた。

 しかし、最後のCORE4となった、ジーターも今季限りでの引退を発表している。これは、ヤンキースのひとつの時代が終わろうとしているサインなのだろう。そんなタイミングで7年総額163億円の大型契約を結んだのが、田中将大なのだ。

 これまで記してきた大いなる歴史や伝統を背負い、アンチヤンキースはもちろん、メディアやファンともときには戦わなければならない。そして、新たなヤンキースの歴史を刻むことも託されたようにも見える田中。ただ活躍する投手になるのか、新時代のヤンキースを牽引する投手になるのか、それとも……。その答えは、田中自身が出すしかない。


■ライター・プロフィール
鈴木雷人(すずき・らいと)/会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。“ファン目線を大切に”をモットーに、プロアマ問わず野球を追いかけている。Twitterは@suzukiwrite

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方