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ケガに苦しんだ米国時代を乗り越えて……。 ソフトバンク・和田毅の波瀾万丈な野球人生を振り返る


 4月12日の西武対ソフトバンク。ソフトバンクの先発・和田毅は6回1失点と好投し、今季3度目の先発で初白星。日本球界では2011年以来5年ぶり、日数で換算すると1643日ぶりの勝利となった。

 和田といえば、早稲田大時代に進化して大学球界を代表する左腕に成長。ダイエー・ソフトバンク時代は、杉内俊哉(現巨人)とともに、先発左腕としてチームを支えていた。

 その後、アメリカでは手術を経験し、思ったような結果を残せない苦しみも味わった。そんな和田のこれまでの野球人生をプレイバックしてみよう。

早稲田大時代はリーグ通算奪三振記録を樹立


 島根・浜田高時代は2年夏、3年夏と、2度甲子園に出場。特に3年夏は、2回戦で加藤健(巨人)を擁する新潟・新発田農業高、3回戦で森本稀哲(元日本ハムほか)擁する東東京・帝京高を倒してベスト8に進出。卒業後は早稲田大に進学した。

 ここで和田は学生トレーナーの土橋恵秀と出会う。和田は土橋と二人三脚で、投球フォームの修正やトレーニングに取り組み、球の出所がわかりづらいフォームと、それまでとは段違いの球速を手に入れた。

 大学2年には先発の一角に名を連ね、著しい成長を遂げる。4年時にドラフト上位候補となった和田は、奪三振数を積み重ね、法政大・江川卓が持っていた東京六大学通算奪三振記録の443に迫った。

 そして2002年10月2日、法政大戦の9回に後藤武敏(現DeNA)から三振を奪い、奪三振記録を更新。最終的には476個まで数字を伸ばす。チームも春秋連覇を達成して有終の美を飾った。ドラフト会議ではダイエーを逆指名し自由獲得枠で入団を果たす。


5年連続2ケタ勝利、MVP受賞とリーグを代表する左腕に


 プロ1年目の2003年、和田は14勝5敗とルーキーながら先発陣の一角を担う活躍。リーグ優勝に大きく貢献し、日本シリーズでも胴上げ投手となった。

 2年目にはアテネ五輪日本代表に選出され、先発として2勝を挙げる。プロ4年目の2006年にも、第1回WBC日本代表に名を連ね、世界一のメンバーとなった。

 2007年には12勝を挙げて入団以来5年連続2ケタ勝利をマーク。チームはもちろん、日本野球界にもいなくてはならない存在として投げ続けた。

 しかし2008年8勝に終わり、2ケタ勝利が途切れると、翌2009年はヒジの故障もあってわずか4勝と成績が下降。しかし、巻き返しを図った2010年に17勝を挙げ、初めて最多勝のタイトルを獲得。さらにリーグMVPも手にして、不死鳥のごとく復活する。2011年も16勝とリーグ優勝、日本一に大きく貢献。これを置き土産にFA宣言し、メジャーリーグのオリオールズへ移籍する。

ケガに泣かされたアメリカ時代


 海を渡った和田。しかし順風満帆だった日本時代とは一転して苦難が続いた。最初の春季キャンプ中に左ヒジの痛みを感じると、5月にはトミー・ジョン手術を行い、メジャー1年目は登板なしのシーズンに終わる。

 翌2013年は、マイナーリーグで登板するも、メジャー昇格には至らず自由契約に。カブスとマイナー契約を結んだ。

 カブスでは7月にメジャー昇格を果たして、2014年7月28日のロッキーズ戦では7回1失点の投球内容で、メジャー3年目にして初白星を挙げる。その後は先発ローテーションに加わり、4勝4敗の成績を残した。だが、2015年は故障の影響でわずか8試合の登板に終わり、オフには自由契約となった。

 そして迎えた今シーズンは、ソフトバンクに復帰。以前同様に背番号21を身にまとった。35歳となりベテランとなった和田。この初勝利を足がかりに、かつて見せた輝きを期待せずにはいられない。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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