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糸井嘉男は阪神でも活躍できるか!? 過去にもいた「オリックス→阪神」の選手たち


 オフシーズンの話題のひとつには、FA宣言をした選手の動向が挙げられる。その渦中の1人だったオリックス・糸井嘉男は、同じ関西の人気球団である阪神への移籍を決意。25日には入団会見が行われた。

 今年は史上最年長で盗塁王獲得と変わらぬ身体能力の高さを見せた糸井。阪神ファンが思い描くのは2003年、同じようにFAで広島から阪神へ移籍し18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した金本知憲(現監督)の再来だろうか…。

 しかし、オリックスから阪神への移籍といえば、大きな期待を受けてタテジマのユニフォームに袖を通すも、その期待に応えられなかった選手たちの姿があった。歴史は繰り返されるのか、それとも、糸井がその負の歴史を断ち切るのか…。

1年で阪神を去った松永浩美


 阪急、オリックス時代の松永浩美は強打のスイッチヒッターとして、パ・リーグを代表するサードとして活躍。1993年に野田浩司との交換トレードで阪神に入団した。

 中日との開幕戦に「3番・サード」でスタメン出場すると、いきなり5打数5安打と大暴れ。阪神ファンの松永に対する期待は一気に膨らんだ。しかし、開幕直後にケガで戦線離脱すると、一度は復帰するも、再び試合から遠ざかってしまう。

 そんな松永は6月下旬に背番号を「2」から「02」という前代未聞の番号に変更し、心機一転を図った。オールスター戦後に1軍復帰すると1番打者として打席に立ち、8月20日からのヤクルト3連戦では3試合連続先頭打者ホームランという離れ技を打ち立てる。

 しかし、その後は3番打者に定着するも、終わってみればわずか80試合の出場と大きく期待を裏切る結果となった。さらに交換トレードの相手だった野田は17勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。両者の明暗がくっきりと分かれた。

 松永は1年で阪神を去り、この年に制度導入されたFA権を行使しダイエー(現ソフトバンク)へ移籍。移籍1年目の1994年は打率.314と再び輝きを取り戻した。

2ケタ本塁打が途絶えた石嶺和彦


阪急、オリックスで長距離打者として活躍し、オリックス・ブレーブス時代には門田博光、ブーマーとともに「ブルーサンダー打線」の中軸を形成した石嶺和彦。1990年には106打点で打点王を獲得。1993年にFA制が導入されると、同年オフにはFA権を行使して阪神に移籍した。

 阪神での1年目となった1994年は、本塁打数こそ前年の24本から17本と減らしたが、5番打者として6年連続のフル出場を果たす。しかし翌1995年、わずか9本塁打に終わり、10年間続けてきた2ケタ本塁打がストップ。さらに1996年には出場機会が減少し、この年限りでユニフォームを脱いだ。

 なお、石嶺が移籍した翌年には山沖之彦がオリックスからFAで阪神へ入るも、1軍のマウンドに立つことなく自由契約となっている。


2年連続開幕投手を務めるも低迷した星野伸之


 細身ながら緩急を使ったピッチングで長年にわたり活躍してきたサウスポー・星野伸之。1987年から11年連続2ケタ勝利を挙げ、1995年、1996年にはオリックスのリーグ連覇にも大きく貢献した。
 1999年オフにFAで阪神へ移籍した星野は、移籍1年目から開幕投手を任されたが、5勝10敗と負け越してしまう。さらに2001年も2年連続で開幕投手を務めたが、わずか1勝と低迷。先発陣では井川慶がこの年から台頭し、その成長を見届けるように2002年限りで18年間の現役生活にピリオドを打った。


リーグ制覇に貢献したアリアス


 最後に移籍先の阪神で大活躍した選手を紹介したい。アリアスは2000年から2年間オリックスに在籍し、2002年から阪神でプレー。開幕から4番に座り、チームトップの32本塁打を放った。

 18年ぶりのリーグ優勝となった2003年は金本、桧山進次郎に続く5番打者としてチーム二冠となる38本塁打、107打点をマーク。主砲として優勝に大きく貢献し、「ジョージ」の愛称で阪神ファンから愛された。


文=武山智史(たけやま・さとし)

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