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東海大相模・菅野智之は1番・田中広輔、4番・大田泰示とともに決勝敗退。あと一歩で甲子園を逃した投手

文=勝田聡

東海大相模・菅野智之は1番・田中広輔、4番・大田泰示とともに決勝敗退。あと一歩で甲子園を逃した投手
 夏の甲子園を目指す地方大会が終わり、49地区の代表を除く高校が涙を飲んだわけだが、決して敗れた選手たちのプロ入りの道が絶たれるわけではない。甲子園に出場できなかったとしても、プロ野球の世界で大活躍をする選手は多い。今回は高校時代に、あと一歩で甲子園を逃したプロ野球の投手を紹介したい。

球界のエース・菅野智之は甲子園出場経験なし


 今や球界を代表するエースとなった菅野智之(巨人)。菅野は東海大相模高時代に甲子園へ出場した経験はない。2年春(2006年)の甲子園にチームは出場したが、菅野自身は登録メンバーに入ることができなかったのである。ちなみに同級生の田中広輔(広島)は出場を果たしている。

 3年夏(2007年)の神奈川大会準決勝では、高校野球史に残る「振り逃げスリーラン」時の打者としても勝利に貢献。しかし、決勝の桐光学園高戦では、同点で迎えた9回に勝ち越しを許し、最後の最後で甲子園への切符をつかむことができなかった。

 この年の東海大相模高はエース・菅野だけでなく、1番が田中、そして4番は1学年下の大田泰示(日本ハム)と後のプロ野球界を代表する選手を擁していた。その戦力を持ってしても神奈川の壁は厚かったのである。

田口麗斗は山岡泰輔との投げ合いに敗れる


 今シーズン、中継ぎとして復活しつつある田口麗斗(巨人)は、広島新庄高時代から侍ジャパンU18代表に選出される逸材だったが甲子園には出場していない。

 1年夏(2011年)、3年夏(2013年)と2度に渡り広島大会で決勝に進出した。しかし、甲子園行きの切符を勝ち取ることはできなかった。

 その2度の決勝のうち、2013年夏の広島大会決勝は今でも語り草になっている。現在オリックスで活躍する瀬戸内高・山岡泰輔との投げ合いである。

 広島新庄高対瀬戸内高の決勝は0対0で延長15回引き分けとなり、1日休養日を挟んで行われた再試合も0対1と僅差での敗戦。勝負は紙一重の差だった。田口と山岡は両試合とも完投。まさに死力を尽くした2連戦だった。

 田口はプロ志望届を提出し、同年のドラフト3位で巨人に入団。一方の山岡は東京ガスを経て2016年ドラフト1位でオリックス入団を果たした。

 プロ入り後の投げ合いはこれまで1度だけ。2018年6月2日に行われたオリックス対巨人の試合である。田口は5回途中1失点、一方の山岡も6回1失点とほぼ互角の内容だった。試合は2人が投げたからなのか、延長戦へと突入し最後はオリックスがサヨナラ勝ちを収めている。

 プロに入っても2人の勝負の行方は紙一重が続いている。

多和田真三郎は沖縄大会決勝で涙


 昨シーズンのパ・リーグ最多勝投手・多和田真三郎(西武)は富士大からプロ入りを果たしていることもあってか、高校時代のことは多く語られていない。そんな多和田は沖縄県の中部商高出身。同校は2002年と2004年に夏の甲子園へ出場しているが、いずれも初戦敗退と全国的な強豪校とは言いがたい。

 中部商高でエースとなった多和田は3年(2011年)夏の沖縄大会で決勝まで勝ち進む。勝てば7年ぶりの全国大会だったが、糸満高に1対2と逆転負け。最後の最後に夢破れたのである。ちなみにこのとき糸満高の1番・中堅は神里和毅(DeNA)だった。

 多和田はプロ志望届を提出したものの、指名はなく富士大へと進学。4年後にドラフト1位指名を勝ち取り、プロ入り後にタイトルも獲得した。高校時代の成績や実績だけで選手の実力を推し量ることは難しい、という一つの例だろう。

 このようにプロ野球の世界で実績を残していても、高校時代に甲子園へと手が届かなかった選手はいる。地方大会で涙を飲んでも決して諦める必要はないのである。

文=勝田聡(かつた・さとし)

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