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第19回 「春の珍事を演出した」選手名鑑

「Weekly野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア野球選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
 毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第18回のテーマは「春の珍事を演出した」選手名鑑です。

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 社会人、WBC、高校野球に続き、3月29日にプロ野球が開幕。昨季のチャンピオン・巨人が7連勝の好発進を見せ、またDeNAや楽天など新戦力を補強した球団がなかなかの戦いぶりを見せています。ただ、無論開幕直後の好調が最終的な結果と結びつくとは限りません。「スタートダッシュ」として優勝の要因とされることもありますが、その後一気に失速するケースも、何度もありました。下位常連チームであれば、春先の頑張りも「珍事」として処理されてしまったり…。
 とはいえ、チームの好調期間には、それを支えた選手が必ずいるもの。今回は珍事扱いされた結果、活躍が正当に評価されることがなかなかない彼らで、名鑑をつくります。


1992年<>河本育之(ロッテ)

 80年代後半から90年代にかけてのロッテは、球団史上最悪の低迷期だった。85年の稲尾和久監督時代に2位になって以来、14年間でAクラスは1度きり。6位が6度、5位が5度と優勝争いからは見放され続けた。
 そんな低迷期真っ只中にあったロッテにも「珍事」を演出した春があった。1992年、4月を11勝8敗の貯金3で乗り切り、黄金期の西武、近鉄やオリックスらを抑えて首位で終えたのだ。打者の立役者には打率.397を残した捕手・青柳進らがいたが、投手ではなんといってもこの年のドラフト2位ルーキー・河本育之だった。開幕3試合目のダイエー戦でリリーフとしてデビューすると、173センチと小柄な身体から繰り出す快速球を低めに決め三振を奪うピッチングを披露。この試合は敗れたが、4月中は自責点ゼロ、2勝4セーブを記録する。チームが4月に挙げた11勝の半数以上に絡む活躍を見せた結果、新人選手ながら月間MVPに選ばれた。
 しかし、5月に入ると近鉄、西武が順当に力を発揮し2強状態に。ロッテは6月までは3位争いを演じたが、その後は順位を下げ最下位で終戦。河本は計40試合に登板し、76回2/3で91三振と9イニング換算で10個を超えるペースで三振を奪い、2勝4敗19セーブ、防御率2.58の新人王級の成績を残した。

[河本育之・チャート解説]


 2ケタ勝利投手不在の先発陣を、平沼定晴らとブルペンから支えた。チーム牽引度は5。軟式出身で話題になったが、硬式に転向し社会人5年のピッチングを評価されての入団。即戦力としての期待は持たれていた。嬉しい誤算度は4。河本は低迷期のロッテで奮闘。1998年に肩を痛めてからはピッチングを変えたが、計17年プレー。一瞬の輝き度は3。

チャートは珍事演出にどの程度貢献したかの「チーム牽引度」、それが計算外の活躍だったかどうかの「嬉しい誤算度」、その活躍が一過性のものだったかどうかの「一瞬の輝き度」を5段階評価したもの(以下同)。


1998年小林幹英(広島)

 前年まで4年連続Aクラス入りしていた広島の春先の快調を珍事と見られていたかどうかは微妙だが、1998年の広島は4月を14勝8敗と勝利を重ね順調なスタートを切った。さらに5月に入っても6連勝し貯金を12まで増やしている。この年の「横浜38年ぶりの優勝」というニュースの陰に隠れがちだが、最高のスタートダッシュを見せていたのだ。これを支えたのが4月に打率.370を残した前田智徳や野村謙二郎、江藤智、金本知憲、緒方孝一といった強力打線と新人投手・小林幹英の活躍だった。
 小林は開幕戦で救援勝利を挙げると、4勝1敗4セーブ、防御率1.16という記録を残し月間MVPに。140キロ中盤で、さらに低めにもよく伸びるストレートで三振を数多く奪い、リリーフとして大車輪の活躍を見せた。しかし5月10日の横浜戦で3連続四球により塁を埋め、駒田徳広に満塁弾を浴びて敗戦。このあたりから圧倒的だった小林のパフォーマンスはチームの調子とともに落ちていく。チームは6月7日に巨人に首位を奪われ、その後も中日、横浜、ヤクルトに抜かれて5位でシーズンを終えた。
 とはいえ小林は9勝6敗18セーブ、9イニング換算で平均11.5個のペースで三振を奪うピッチングを続け、中日の川上憲伸、巨人の高橋由伸、阪神の坪井智哉らとともに新人王候補に名を連ねた。

[小林幹英・チャート解説]

 新人投手とは思えない存在感で、三振を獲りまくった。チーム牽引度は5。小林はドラフト4位。ベンチ入りも中継ぎ要員として果たした。本人もプロ1年目の球速アップには驚いていたとも。嬉しい誤算度は5。小林は2005年まで現役を続けたが、1年目、特にその序盤が最も輝いていたことは認めざるを得ない。一瞬の輝き度も5。


2004年嶋重宣(広島)

 1998年以降、長らくの低迷から脱せない広島だが、2000年と2004年の春には“プチ珍事”を起こし、4月中に貯金をそれぞれ7、5まで増やしている。2000年の珍事は打線と佐々岡真司や一本立ちした黒田博樹らの活躍によるものだった。そして2004年は何と言っても嶋重宣の“突然変異”だ。
 投手として入団して10年目、野手転向6年目のシーズン、金本知憲の移籍で空いた右翼のポジションでレギュラーの座をつかむと開幕から打撃が絶好調。10試合で36打数20安打、5本塁打を放つ。チームは開幕4連敗を喫したがその後4連勝。1敗を挟んで6連勝する原動力となった。4月は13勝12敗、首位と1ゲーム差の2位で戦い抜いたが、5月以降は息切れ。終盤は横浜と5、6位争いを演じることとなった。
 しかし、珍事を終えても嶋の調子は落ちることはなかった。3割3分台の打率をキープし続け、9月には球団新の174安打を達成。192本のリーグ最多安打にも迫ったが、腰痛の影響と首位打者獲得優先の判断から試合を欠場したこともあり、189本(.337)に終わった。さらに長打力も発揮し32本塁打。10年の鬱憤を晴らす大爆発だったのは間違いない。

[嶋重宣・チャート解説]

 前半戦は2番打者、中盤以降は3番を打ち、1試合だけだが4番にも座った。首位打者獲得、本塁打は日本人でセ・リーグ3位。チーム牽引度は文句無しで5。10年間で51安打、3本塁打の選手の突然の活躍はチームもファンも驚いた。嬉しい誤算度は5。嶋はその後2004年以上の成績は残せていないが、広島の顔の1人として活躍。代打としても力を見せている。一瞬の輝き度は3。


その他「春の珍事を演出した」選手

1981年田尾安志(中日)
 近藤貞男監督の初年度は、4月を15勝4敗でスタートダッシュ。投打の歯車が噛み合い、中でも田尾は月間の打率が.450と打ちまくった。しかし藤田・王・牧野のトロイカ体制を敷く巨人が5月に首位浮上。中日はじりじりと順位を下げ5位に。8月には宇野勝のヘディングも。翌年は優勝した。

1994年 カズ山本(ダイエー)
 この年のダイエーは打率.431とよく打った山本らの活躍で12勝7敗、4月を西武と同率の首位で終えた。さらに5月後半にも6連勝し首位浮上。その後はオリックスと近鉄を交えた2〜4位争いに参加するも僅差で4位に。

1996年三浦大輔・斎藤隆・佐伯貴弘(横浜)
 4月は15勝6敗の貯金9で滑り出したこの年の横浜。当時23歳の新鋭・三浦が3勝0敗、防御率1.58と好成績を挙げたほか、ともに26歳だった斎藤、佐伯も月間MVPに輝く活躍を見せ、好成績を支えた。しかしその後は失速。借金20の5位に沈む。

1997・99・2000年和田豊(阪神)ほか
 春の珍事といえば、暗黒時代の阪神だ。4月を11勝11敗の3位をキープした1997年、開幕直後はつまずくも5月後半に貯金を7まで増やし6月には首位にも立った1999年、4月に広島と首位争いした2000年が代表的なケース。1997年は開幕から24試合連続安打を記録した和田らの活躍が光った。1999年は新人・福原忍や敬遠球を打ってサヨナラ安打にした新庄剛志などが、2000年は遠山奬志、葛西稔が交互にマウンドに上がって好調を支えた。

1998年小宮山悟(ロッテ)
 18連敗や最下位など暗い記憶の多いこの年のロッテだが、春先(と連敗後の後半戦)は好調だった。小宮山は4月に4勝0敗、防御率1.05を記録し、11勝5敗で首位に立ったチームを支えた。

2000年オバンドー・金村曉(日本ハム)
 4月を15勝9敗で首位に立った日本ハムを支えたのが、4勝(2完投)の金村曉と打率.343、9本塁打と爆発した怪人・オバンドー。その後もビッグバン打線は好調を維持し得点力を武器に首位争いに参加。春先の勢いを珍事で終わらせない戦いぶりを見せ3位に。

2008年山ア武司(楽天)
 開幕4連敗の後、球団初となる7連勝を記録し、今年は違うぞと感じさせたこの年の楽天。年間21勝を挙げた岩隈久志と若き田中将大らの活躍も光ったが、4月に打率.374、7本塁打を記録し得点力の源泉になった山アの活躍は大きかった。ただ最終的にはチームは借金11の5位に終わる。


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 ざっと見渡してみて感じたのは、戦力的に苦しいチームが、圧倒的な新鋭によって一時的に浮上した結果の「珍事」と、整備途中のチームが潜在能力を垣間見せることでチームが機能した結果の「珍事」があるのでは? ということです。
 河本登場時のロッテや嶋登場時の広島は前者ですが、それ以外のほとんどの珍事は、チームが強くなっていく前兆であったように映ります。1981年の中日は失速しましたが野武士野球で見事優勝。1994年のダイエーも、Bクラス常連から脱皮し常勝球団になっていく最初のステップでしたし、1996年の横浜も2年後に優勝を引き寄せています。
 ただ、阪神が繰り返した「珍事」については、どうにも説明がつきません。もちろん活躍を見せた選手はいますが、どれも圧倒的なものとは言いがたく…。監督の戦い方で勝利を引き寄せていたのだとすれば、なぜそれが春先にばかり起こるのか…。選手のモチベーションなどとの兼ね合いもあるのかもしれません。
 今年はDeNAの善戦が話題となっていますが、これが最終成績にもつながる実力によるものなのか。今後の浮上の前兆なのか。はたまた単発的な珍事に終わるのか……? 興味深く見ていきたいところです。

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