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file#010 大松尚逸(外野手・ロッテ)の場合

◎ロッテでは数少ない中軸候補の大松尚逸

 2008年には24本塁打、91打点と活躍し、走者満塁で無類の勝負強さを発揮していた大松尚逸。ここ2年間は満足のいく成績を残せてはいないが、今のロッテ打線の中では、数少ない中軸候補のひとりである。



◎最初に見たのは東海大2年の大学選手権だが…

 大松を最初に見たのは、彼が東海大時代の2002年6月。神宮球場で行われた大学選手権でのことだった。この時の相手は九州共立大で、先発は新垣渚(現ソフトバンク)である。東海大のエースは久保裕也(現巨人)。2人とも02年秋のドラフトで上位指名が確実な有望投手の投げ合いだったが、当時、まだ前職の会社を辞めた直後だった私はまだライターを目指そうとは思っていたものの、まだ何をしたらいいやら、というフリーターのような状態であった。この日は朝から小雨模様だったこともあり、半信半疑で足を運ぶと、試合は何事もなく行われており、前半お互い2点ずつ取って試合は4回に差し掛かっていた。
 大松はこの時まだ2年生だったが、すでに4番に座っていた。ただ、実際のところを言うと、この試合の東海大打線は私が見た4回以降は、新垣の荒れ球に翻弄されっぱなし。打てる気配などまったくなかった。
 新垣は、150キロ近いストレートに143〜145キロのカットボールと120キロ台後半のスライダー、そして110キロ台前半の抜いたカーブに110キロ台後半のチェンジアップと、当時から球種は多彩だったが、この日の状態は抜け球あり、引っ掛かった球ありと、荒れに荒れてまくっている。だが、ストレートとカットは轟音唸るような力強さがあり、スライダーはこの頃から驚くほど曲がりが大きく、そして鋭く横に曲がっていた。これは、さながらこの時期になると新垣の出身地・沖縄を度々襲う初夏の台風のようである。明らかなボールがあったとしても、しっかり投げ、ストライクゾーンの枠内に入ってさえいれば、まともな打球が飛ぶことはなかった。
 そのような中にあっては、東海大打線は凡打を繰り返すひ弱な打線にしか見えず、その年のドラフトで広島から指名されることになる1番打者の鞘師智也ですら大した選手には見えなかった。4番に入っていた大松も例外ではなく、正直に言うと記憶にはほとんど残っていない。書き留めたノートには「5回ウラ、センターフライ→ライナー性のいい当たりも伸び足りず」「8回ウラ、148キロ外低めショートゴロ、当たり悪い」という言葉が走り書きされているだけだった。

◎04年に首都大学リーグで改めて見る

 その後、私が大松のプレーを見たのは、およそ2年後となる04年の5月の連休時のこと。首都大学リーグの公式戦を見るため平塚球場に行った時のことだった。といっても、この連載でお決まりの言葉になりつつある表現だが、別に大松が目的だったわけではない。故障でこのシーズン登板していなかった当時の東海大の大エースで、2000年に東海大相模でセンバツ優勝投手となった筑川利希也(現Honda)が、現在どのような状況なのかを確認しておくことが一番であった。だが、筑川は大方の予想通りベンチには入っておらず。私の目線は日本体育大の先発左腕・小笠原ユキオ(元住友金属鹿島)に対して、リーグでは頭一つ抜けた破壊力を持つ東海大打線がどう挑むかの一点に絞られていく。

 この時になって、初めて大松のことをしっかりと見ることとなった。その印象は「やっぱ、デカイな」というもの。特に構えた時に背筋をピンと伸ばした姿勢になるせいか、上半身の胸の膨らみが豊かなイメージが印象的だった。……何も考えずに素直に活字にしただけなのだが、よく読むと妙にいやらしい書き方になってしまったか? いや、誓って他意はない。そのまま進めようか。
 とにかく、体格が恵まれていることは一目瞭然である。打席の外で素振りをする姿も大変力強く、右足を高々と上げた一本足打法からブルン! と振る様は、まるで三塁側のベース付近の客席にいる自分のところまでその風圧が届いたかのように錯覚するほどだった。「これは、当たれば飛びそうだ」と思った反面、このタイプによく見られる“弱点”についてももれなく付いてくるのでは? という不安も同時によぎった。まあ、それは実際に打つところを見ればわかるだろう…。そんな思いで小笠原との勝負を見守った。


◎良し悪しの差が激しかった大学時代

 結論から言うと、私の不安は大体のところは当たっていた。大松が実際に打席に入った時のスイングは、鋭さよりも重さを武器とするものだったのだ。日本刀のように「スパッ!」と切れ味がよいのではなく、中国刀のように「ゴン」と衝突させていくようなスイング。このタイプのバッターは、中途半端なコースの変化球を拾ったり、外寄りの甘い速球をうまく左中間に運ぶのは上手いが、インコースの速い球に対しては体を鋭く回しきることができない。にも関わらず、若いうちはボールを強打したい気持ちが優っているのか、よせばいいのに強引に打ちに行って差し込まれる傾向が強かった。私が見た大松も、そのパターンにハマってボテボテのゴロを打っている。
 また、当時の東海大には、大松の同級生に落合成紀(現JFE東日本)という柔らかいバッティングで安打を連発する逸材がいたのも不幸であった。大松と同じく下級生時代から活躍し、足もそこそこ速かったことで、1番ないし3番を打っていた落合。その打撃イメージは、まるでゴム状にしたマントを広げて、投手のボールを受け止めると、その反動を利用して闘牛士がマントを翻すように打球をフェアゾーンに戻すようだった。ちなみに落合は今でもJFE東日本の中軸として活躍を続けている。落合の存在は、大松が印象の悪い倒れ方をした場合に、それをさらに助長する効果があった。
 もちろん、いい印象を持ったこともある。04年の夏に行われた日米大学選手権では、将来のメジャーリーガー候補となるアメリカ人投手の豪快なストレートを、見事左中間に打ち返す打撃を目撃していたのだ。甘いコースなら、むしろ力勝負に負けない重さがある。それを再認識した一打であった。

◎来年こそ復活を!

 そんなアマチュア時代を見てきただけに、04年のドラフトでロッテから5巡目指名を受けてプロ入りした大松のその後は、当然、気になっていた。果たしてやっていけるのだろうか? と、一人で勝手にハラハラしながら見ていたのだが、1年目、2年目でファームの4番に定着すると、3年目途中から1軍で頭角を表し、以降はその存在を確固たるものにしていった。
 その後、11年、今年と低迷しているが、長打が期待できる選手が現状少ないロッテにおいては貴重な存在であることには変わりがない。来年こそは見事復活を果たして、4番打者のホワイトセルを脅かすとともに、新加入のG.G.佐藤らと破壊力のある打線を作り上げてくれることを望んでいる。



文=キビタキビオ/野球のプレーをストップウオッチで測る記事を野球雑誌にて連載つつ編集担当としても活躍。2012年4月からはフリーランスに。現在は『野球太郎』を軸足に活躍中。

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