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指導歴50年・渡辺元智監督の「最後の夏」――スパルタから対話へ、指導法転換のきっかけは愛甲猛

【この記事の読みどころ】
・愛甲、川戸との出会いで変化した渡辺の野球観、指導観
・高校野球界でいち早く選手との対話型指導を取り入れる
・指導者に徳がなければ教え子を育てることなどできない


☆今夏の横浜情報
 前評判は高くなかった横浜だが、4回戦で第1シードの相模原に勝利。投打が噛み合い、いい流れが作れている。

 愛甲猛(元ロッテほか)が横浜高校に入学した1978年。1年生ながら県大会でノーヒットノーランを演じた怪物左腕の活躍もあって、渡辺は自身初の「夏の甲子園」出場を果たした。

 だが、愛甲は地元では札付きの問題児。野球の指導以上に私生活での指導にも苦労するようになる。

二人の「失踪投手」の存在


 愛甲が1年生冬の頃。夏の酷使がたたって左腕を故障していた愛甲だったが、1年生ゆえに素直にケガを申告することができず、不甲斐ない投球が続いた時期があった。ところが、渡辺はそんな愛甲を「甲子園に出て天狗になっている」と叱責。わかり合えない失望から愛甲は野球部を離れ、不良グループとの付き合いを再開してしまう。

 すぐに問題を起こして補導された愛甲を警察署にまで迎えにいった渡辺は、以降、愛甲の実家を何度も訪ねて説得。愛甲を野球部に復部させるとともに、自分の家に住まわせて私生活の面倒も見るようになった。後に愛好は渡辺への感謝の言葉を述べている。

《自分を開花させてくれるのは渡辺さん以外にいなかったでしょう。俺の性格や才能を見抜いてくれて、我慢しながら育ててくれた》
(『横浜高校野球部 白球の軌跡』より)

 だが、愛甲にばかり目を向けると、今度は他の部員との関係が疎かに。その象徴的な例が愛甲と同学年の控え投手・川戸浩だ。普段の練習や試合でぞんざいな扱いを受けることが多かった川戸は3年の春、遂に合宿所を抜け出し、実家に引きこもってしまった。

「夏制覇」を生み出した、スパルタ一辺倒からの脱却


 当時を振り返り、渡辺は自著『育成力』でこう記している。

《私の心に自責の念が込み上げてきた。私がこれまで川戸にしてきた仕打ち、常に愛甲の陰になりながら黙々と練習してきた川戸の辛い胸の内が、今さらながらに思いやられ、私は指導者としての自分の愚を悟った》

 必死の説得で川戸を復部させた渡辺。愛甲と川戸の失踪という経験を経て、スパルタ一辺倒だった指導方法から、選手との対話を意識したものに少しずつシフトしていったのがこの頃だった。

 愛甲、川戸が最終学年となった1980年夏、2年ぶりに甲子園に帰還した横浜は愛甲の快投もあって決勝の舞台に辿り着く。決勝の相手は1年生エースとして世間の注目を集めていた荒木大輔擁する早稲田実業。そして、この試合の趨勢を決めたものこそ、愛甲との対話と、控え投手・川戸の奮闘だった。

 愛甲が4点を失い1点差に詰め寄られた5回終了後、渡辺は「川戸に代えてください」という愛甲の意見を聞き入れて川戸にスイッチ。川戸はその期待に応えて早稲田実業打線をシャットアウトし、横浜が6−4で勝利を収めた。渡辺は念願だった「夏の全国制覇」を遂に達成したのだ。

指導者に徳がなければ、教え子を育てることなどできない


 1973年のセンバツ優勝に続き、1980年夏の全国優勝ですっかり「名将」と呼ばれるようになった渡辺。だが、以降しばらくは甲子園で勝てない日々が続いた。

 1981年から1997年までの17年間、甲子園には春夏あわせて9度も出場しているが、そのほとんどが初戦敗退。勝ち上がっても2回続けて勝つことは一度もなかった。

 だが、この雌伏期間が指導者としての更なる成長につながったのは間違いない。

「教え子を成長させるには、まず指導者が人間的に成長していかなければならない」という恩師・白幡憲佑の紹介で、以前から各界の第一人者から知己を得ていた渡辺。さらに地元の名士・藤木幸夫の計らいで「横浜100人の会友達会」という毎月一度の勉強会に出席するようになり、異業種との交流によって人間としての幅を広げていった。

《分野こそ違えど、人を育てるということの根底にある考え方に違いはないということも分かった。指導者に徳がなければ、教え子を育てることなどできないということである。(中略)それぞれの分野で研鑽を重ね、人間性を磨いてきた方々の言葉だからこそ、価値があるのであり、聞く者の心に沁みていくのである》
(渡辺元智『育成力』より)

 もちろん、専門の分野においても変化を恐れず、渡辺は指導者として前進し続けた。アメリカ野球留学を経て「自分で考える野球」の重要性を認識。実戦を想定した「量より質」の練習が(といっても、量もハンパないのだが)、さらに徹底されるようになっていく。

 そんな「横浜野球」と「渡辺の指導力」が結実するのが、春夏連覇を達成し、さらには秋の国体まで制して史上初の「高校三冠」を達成することになる1998年だった。

(次号に続く)


■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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