週刊野球太郎
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第1回:長嶋茂雄とは何だったのか?

 新年度がスタートした4月1日、野球ファンのみならず日本国民が驚くようなニュースが日本中を駆け巡りました。そうです、日本政府はあの長嶋茂雄氏(77)と松井秀喜氏(38)の両人に国民栄誉賞を授与する方針を決めた、というニュースです。日本のプロ野球とMLBで大活躍した松井秀喜氏も立派ですが、選手時代と監督時代、さらには野球の現場から離れた「浪人時代」にも、圧倒的存在感を放った長嶋茂雄氏。日本野球のシンボル的存在と言ってもよい「永久に不滅」の国民的ヒーローをである「長嶋さん」をまずは取り上げないわけにはいきません。

今週から数回にわたり、週刊野球太郎で「クローズアップ得点圏内」や「ベースボールビブリオ」を連載しているライターの鈴木雷人氏(以下「雷人」)とオグマナオト氏(以下「オグマ」)がズバリ、長嶋さんの魅力の秘密を紐解いていきます。




■エイプリルフールのジョークか?
雷人:いや〜ビックリしました。長嶋さんが国民栄誉賞を受賞って、4月1日だったのですっかりエイプリルフールの冗談かと思いましたよ。

オグマ:そうですね〜。確かにtwitterなどでも同じように「ウソかホントか?」というつぶやきも見られましたね。

雷人:とはいえ、そういったところも「長嶋さんらしい」というか…。野球界のみならず、日本国中でその名を知らない人はいないであろう、もはや説明不要の人物です。現役時代は「燃える男」、「ミスタープロ野球」と呼ばれ、その野性的なプレーで多くの野球ファンを魅了しました。今回の受賞理由は「日本の野球発展に貢献した」というものですが、野球以外の「おもしろ」アクションで、野球を知らない人々も魅了した人物でもあります。

オグマ:そうですね。1977年生まれの自分には、長嶋茂雄の現役時代(1958〜74年)は当然のこと、第一次監督時代(1975〜80年)の記憶もまったくありません。長嶋茂雄をはじめて認識したのはいわゆるひとつの「浪人時代」。テレビ番組でおかしな発言や行動でまわりを盛り上げる(まわりが勝手に盛り上がる)“面白おじさん”という立ち位置でした。特に1991年の世界陸上東京大会で、陸上界のスーパースター:カール・ルイスを「ヘイカールヘイカールヘイカール」と呼び止める映像が何度となく流れたのは忘れられません。

雷人:わかります、それ。自分もハッキリ言って、現役時代の記憶はありません。監督時代もどちらかというと第二次監督時代の印象が強いですね。


■いわゆるひとつの「長嶋語録」
オグマ:巨人軍の監督に復帰した1993年ですね。折しも、Jリーグ開幕年。野球人気の危機が叫ばれていたちょうどその時に登場した姿は、“面白おじさん”から一転、“野球界の救世主”と呼ぶべきものでした。あの時の宮崎キャンプは復帰した長嶋さん、今回同時に国民栄誉賞を授与する松井秀喜がドラフト1位で入団、さらに息子の一茂がヤクルトから移籍と、空前にして絶後の大フィーバーでしたね。

雷人:その大フィーバーだった宮崎キャンプ中も、あるルーキー選手に「キミ、まだ童貞?」と話しかけたり、オグマさんのいう「ヘイカール」もそうですが、おもしろ発言は数知れず…。例えば「失敗は成功のもと」という名言を「失敗は成功のマザー」と言ったり、開幕ダッシュについて聞かれると「開幕10試合は9勝2敗でいきたいですね(キッパリ)」と断言したり、同僚の王選手がバースデーホームランを打ったと聞かされると「俺はまだ打ったことないんだよな〜」と言い放つ長嶋さん。いやいや、本人の誕生日は2月20日でプロ野球はオフでしょ…といった感じで。

オグマ:しかし、長嶋さんほど、言葉のセンスにあふれた野球人もいなかったのではないでしょうか。英語(ミスターイングリッシュ)を交えた迷言・珍言のイメージが強いですが、その一方で94年の中日との10・8決戦の前に発した「国民的行事」、ペナントの行方を最後まで盛り上げる「メークドラマ」('96)、「メークミラクル」('99)「メークミラクルアゲイン」('01)、そして「ミレニアム打線」といった長嶋造語の数々は、どんな名コピーライターをもってしても生み出すことができない魅力的な響きを持っていますよね。

雷人:確かにそれぞれの言葉を聞くと、当時の状況が思い出されますね。「国民的行事」なんて、あの日のナゴヤ球場で行われた熱戦に日本中の野球ファンが釘付けになった状況が思い浮かぶフレーズです。

オグマ:その言葉たちによって、スポーツ紙やニュース報道が賑わい、野球人気の一助になっていたのは疑いようもありません。監督退任記者会見の際に残した「野球というスポーツは人生そのものです」は、「我が巨人軍は永久に不滅です」とともに、ひとつの時代の終わりを告げる言葉として後世に残したいフレーズですよ。



イラスト/ながさわたかひろ



■記録や勝敗を超えた長嶋さんの魅力とは
雷人:我々は選手時代をあまり知りませんが、現代のプロ野球では考えられないような立派な記録を残しています。打っては「シーズン最多安打」を現役時代に合計10回も記録。守ってはセ・リーグの三塁手として1シーズン連続守備機会無失策記録を保ち、33歳だった1969年7月17日から69年10月9日まで214守備機会でノーエラー。走っては1958年9月19日広島戦でホームランを打つも、一塁ベースを踏み忘れて本塁打をフイにする…。といったオチもつけながら、とにかく「絵になる」「話題になる」今で言う「持っている」選手だったのでしょうか。

オグマ:監督時代も、当時高校生で、それなりに野球観が出来つつあった自分にとって、“長嶋野球”はまったく未知で、そして目が離せないものでした。バントの構えをみせながらのピンチヒッター(「代打、バント!」と審判に告げたことも)、投げる球種を迷っているピッチャーにフォークの握りを大アピール(そして打たれる!)、4番だらけの打線(そしてつながらない!)などなど…、 いわゆるひとつの「カンピューター野球」は、勝敗を度外視した野球の面白さを再認識させてくれました。

雷人:監督時代の通算勝利数は1034勝889敗59分で勝率.538と、その戦力の割には「もっと勝てたのでは」という声も聞こえそうですが、確かに勝敗を超えた、インパクトある野球を見せてくれたような気がします。

オグマ:そんな長嶋采配を、長嶋さん自身が評したのが「私の采配はジャズみたいなものだ」。はじめてこの言葉に触れた時、素直に「なんてお洒落なんだろう」と思ったものです。当時、王朝を築いていた西武ライオンズ・森監督の野球を「譜面通りに音楽を奏でるオーケストラ」とし、それと比較するように自らの野球を「演奏のノリの中で様々なアドリブが飛び交うジャズ」に見立てたところに、長嶋茂雄という男の“センスの良さ”を感じずにはいられません。


■「僕」の「私」の長嶋さん
雷人:例えばオグマさんが長嶋さんを「言葉のセンスが素晴らしい」と評したように、野球ファンもそうでない人々からも、ひとりひとりがそれぞれの「長嶋さん」を持っているような気がします。老若男女問わず、みんなに愛された伝説の野球選手であることは間違いないでしょう。

オグマ:益々、「長嶋さん」が魅力的に見えてきました。

雷人:長嶋さんのことについて振り返ってみると、その人その人が育った時代背景だったり、家庭環境だったり、様々な外的要因によって、長嶋さんへの「思い」や「印象」が人それぞれで変わってくるのではないでしょうか。オグマさんの野球観が出来つつあった高校時代にその采配に出合って、いろいろな意味でいろいろな意味でインパクトを受けたのもそういうことだと思います。

オグマ:自分はたまたま、第二次監督時代に長嶋さんと「遭遇」しましたが、その人がいつ遭遇したのか? で長嶋さんから受けたモノは異なるでしょうね。現役時代なのか、浪人時代なのか、監督時代なのか…。

雷人:そこで「みんなの長嶋茂雄ラボ(研究所)」で、長嶋さんの魅力を解剖していきましょう。「長嶋さんと私」といった人それぞれのドラマを、日本中の野球ファンが持っているのだと思います。その「長嶋語録」だったり、「野球選手としての記録」、さらには長嶋さんをとりまく「周辺人物」…。次回からは数回に分けてスーパースター長嶋さんを徹底的に研究していこうと思います。お楽しみに!

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