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記録よりも記憶よりも記述に残る男・前田智徳

 「孤高の天才」と呼ばれ続けた前田智徳が、遂に今シーズン限りでバットを置いた。

 1990年の入団以来、広島東洋カープ一筋24年。だがこの間、一度も打撃タイトルを獲得することはなく、2年目(91年)にリーグ優勝を果たすものの、その後は一度も勝利の美酒に酔えぬままだった。

 多くの場合、プロ野球選手は、個人タイトルを獲得するか、もしくはチームを優勝に導ける選手かどうか、ということで評価されていく。ではなぜ、この男は「天才」と呼ばれ続けたのか……。それは周囲のプロ野球選手からの評価がひと際高く、様々な場面で語られることが多い選手だったからだ。そこで、現役選手、評論家、OBたちの「前田智徳評」から、改めてこの「最後の侍」の輪郭を浮き彫りにしてきたい。

デビュー当時の前田智徳評


 ドラフト4位で広島に指名され、当然、高校から入団したこともあり、最初は2軍スタートだった前田智徳。しかし、その2軍時代の前田を見た対戦相手の監督が、こんな感想を残している。

福本豊「なんでこんな選手が2軍におるんや!?」

 福本は当時、同じウエスタンリーグのオリックス2軍監督。敵チームの選手をこのように評価するのは、それだけ別格な存在だったということだろう。では、その2軍スタートを命じた張本人はというと……

山本浩二「こういう子を天才というんだと思いましたね」

 自軍の監督にも「天才」と呼ばれた男はほどなく1軍昇格を果たし、すぐに外野のレギュラーも獲得。入団3年目の1992年から1994年まで、3年連続でベストナインを受賞した前田智徳を、90年代前半における最高の打者の一人として推す人間は多い。


対戦投手から見た前田智徳評


 90年代前半における最高の打者である証として、当時の球界を代表する投手たちの評価も見てみたい。

今中慎二「僕の中で特別な存在は前田と落合さんの二人だけ」「“ヒットなら仕方がない”と諦めにも似た気持ちで投げていました。僕を“コノヤロー!”という気分にさせたのは後にも先にも彼だけ」

山本昌「(アウトローを)引っ張ってホームランにされた事は今まで無かった。その時に天才だなと思いましたね」

伊藤智仁「僕が対戦したバッターではナンバーワン。バットコントロールが天才的で全く弱点がなかった」

 今中慎二(元中日)は1993年、山本昌(中日)は1994年の沢村賞投手。そして伊藤智仁(元ヤクルト)は1993年の新人王にして野村克也監督が「史上最高の投手」と評した存在だ。当時最も勢いがあった3人が揃って「天才」「特別な存在」と述べたのが前田智徳だったのだ。


天才からみた前田智徳評


 同じ打者視点で見た前田智徳はどうだったのだろうか?

落合博満「今の日本球界に、オレは二人の天才打者がいると思っている。一人がオリックス・イチローで、もう一人が前田なんだ」

イチロー「僕なんて天才じゃない。真の天才とは前田さんのことを言うんですよ」

 天才は天才を知る、という格言がこれほど似合う例もないだろう。特に落合博満(中日新GM)の前田智徳評価は高く、監督になってからも「前田の打撃フォームはシンプルで無駄がない。これから野球を始める子どもたちがぜひ参考にすべきフォーム」とコメントし、実際に自チームの選手にも前田智徳のフォームを参考にするようアドバイスしたという。


果たして前田智徳は、天才か否か


 この二人の天才からの評価に、前田智徳自身は「本当の天才だったら、4割打ってますよ。だいたい、落合さんやイチローのようにタイトルを獲った経験がありませんから」と謙遜しているのが何とも前田智徳らしい。

 だが、これほどプロから認められた男が一度も打撃タイトルを取らなかった、というのはやはり意外でもある。惜しむべくは、1995年5月に負った右足アキレス腱の断裂。アレさえなければ球界の歴史も、広島の順位も……というタラレバはどうしても言いたくなってしまう。

 しかし、前田智徳のプロ野球人生はそこからのほうがもちろん長い。アキレス腱断裂以降の18年間で安打数は1500本超。ただの天才では、24年間の長きに渡ってプロ野球生活を歩むことも、2000本安打を達成することもできなかったはずだ。

 前田智徳が真に凄いのは、度重なるケガでも腐ることなく、努力を怠らず、その時できる最高のプレーを貫き通したからだろう。この「努力する才能」こそを評価する球界関係者も実に多い。

衣笠祥雄「今の前田があるのは練習の賜物」

達川光男「あいつは天才じゃない。研究熱心で、相手が自分をどう攻めるかを考えながら練習している」

長嶋茂雄「彼は野球がすべて。頭の中は野球だけで、女性のことなどはこれっぽっちもない」

金本知憲「これだけ(練習を)やったのは僕と前田智徳だけ」

 前田智徳自身も、野球に全てをかけてきた24年間を振り返り、引退会見でこんなことを述べている。

「結果を出すために、いろんな日常生活をすべてやってきました。そのことに関しては、真っすぐに自分ではできたつもり。たいした結果は残せていないんですけど、志は高かったんです。そういう気持ちでまっとうできたと、思っています」

 才能にかまけた天才ではなく、「努力し続けた天才」。打撃タイトルを一つも取れなかった前田智徳が唯一獲得した個人タイトルが「カムバック賞」だった、というのも、なんだか前田智徳らしいエピソードである。




文=オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。また「幻冬舎WEBマガジン」で実況アナウンサーへのインタビュー企画を連載するなど、各種媒体にもインタビュー記事を寄稿している。ツイッター/@oguman1977

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