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炎上したのは投手じゃなかった!? ナゴヤ球場「炎上」事件簿


 3月22日、ウエスタン・リーグ中日対広島戦が行われていたナゴヤ球場近くで火災が発生。幸いケガ人は出なかったものの民家1棟が全焼となった。アングルによってはバックスクリーン後方から煙が出ているようにも見え、スタンドのファンは一時騒然となったという。

 このニュースを聞いて、「またナゴヤ球場で!?」と思ったオールドファンもいるかもしれない。なぜかナゴヤ球場では過去に何度も火災にまつわる事件が起きているのだ。これまでの「ナゴヤ球場火災事故史」を振り返ってみよう。

死者4人、負傷者318人の大惨事


 今年、球団創設80周年というメモリヤルイヤーを迎えた中日。球団創設は1936年だが、当初は本拠地がなく、試合はもっぱらロードばかりだった。

 そんな中日に悲願の本拠地「ナゴヤ球場」ができたのが球団創設から12年後の1948年のこと。開場当時は「中日スタヂアム」と呼ばれ、ファンには「中日球場」の愛称で親しまれた。収容人数は2万5000人。全て木造でつくられ、完成までわずか1カ月半しかかからなかった。

 しかし、完成から3年後の1951年8月19日に悲劇は起きた。対巨人戦の3回裏、中日の4番・西沢道夫が打席に入った際、バックネット裏の指定席上段あたりから火の手があがったのだ。強風であっという間に火は燃え上がり、木造スタンドは全焼。死者4人、負傷者318人という大惨事となった。もっとも、手当を受けずに帰宅した人も大勢いたと見られ、実際の負傷者はもっと多かったといわれている。出火原因は、観客によるタバコの火の不始末だった。

 だが、ここからの再建が実に早かった。同じ年の11月15日に再建工事が始まると、翌1952年3月中旬には完成。簡単に火災など起きないよう、今度は鉄骨・鉄筋コンクリート製で、収容人数も3万人に増設された。

野球界での「炎上」にはご注意


 こうして再建したナゴヤ球場だが、以降も2度、火災にまつわる騒動が起きている。

 1990年9月11日、中日対大洋の試合開始直前に、右翼照明灯下の清掃具置き場から出火するボヤ騒ぎが起きた。出火原因はまたもタバコの火の不始末。ライトスタンドにいた観客をグラウンドに一時避難させ、消火活動にあたった。幸い、すぐに消火に至り、試合も定刻からわずか23分遅れただけでプレイボールに。ただ、この試合はすでに優勝が決まったあとのゲームということもあって、「ナゴヤ球場でとんだ“消火試合”」と揶揄される格好となった。

 昨年2015年7月18日には、ナゴヤ球場のすぐそばで車両火災が起き、死者も出る騒動があった。火災は18日午前中に発生。球場東側の市道で普通乗用車の助手席から炎上し、消防車など4台が出動した。火災が起きた時間帯は、室内練習場で2軍選手がウオーミングアップを開始するタイミング。当時は山本昌や吉見一起も2軍にいたため、ファンを一層やきもきさせた。


 野球界では、投手が打ち込まれることを「炎上」と呼び、さらに最近ではSNSでの発言をきっかけに「炎上」してしまう選手も少なからずいる。それらも問題だが、くれぐれも物理的な炎上は今後もう起きないよう、関係者にはより一層の注意喚起をしていただきたい。

文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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