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第12回「日本にやってきた超大物外国人選手」名鑑

「野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア野球選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
 毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第12回のテーマは、「日本にやってきた超大物外国人選手」名鑑です。

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 12月末となり、国内12球団のドラフト、FA、トレードによる戦力補強は一段落。今はMLB各球団の構想から漏れた、実績のある外国人選手との契約に向けた交渉が活況です。目立ったところではソフトバンクが獲得した、今年カブスで16本塁打、オールスターにも出場した内野手のブライアン・ラヘアー。楽天が獲得した、メジャーリーグ通算434本塁打の大物外野手アンドリュー・ジョーンズ。やはり楽天が巨人との争奪戦に勝ち、契約合意に持ち込んだ元ヤンキースの内野手ケーシー・マギー。また噂で終わったようですが、かつてカープアカデミー、広島で育ち、MLBで大化けしてビッグネームとなったアルフォンソ・ソリアーノの獲得にソフトバンクが動いたとも報じられました。
 この中でも、楽天と契約したA.ジョーンズは、過去、日本にやってきた外国人選手の中でもトップクラスの実績を誇る超大物。日本でどこまでやれるのか、多くのファンが注目しています。今回はそんなA.ジョーンズの来日にちなみ、日本にやってきた大物外国人選手で名鑑をつくります。


レジー・スミス(1983〜84年 巨人 外野手)
 メジャーリーグでは17シーズンで2020安打、314本塁打。オールスターに7度、ワールドシリーズには4度出場という掛け値なしのスター。その来日は話題になった。70年代末、メジャーの試合が日本のテレビでも放送されていた時期があり、ドジャースの主軸を打っていたスミスはその頃の看板選手。それもあって当時のファンにとっては「本物のメジャーリーガーが来日した」という実感が強かった。
 来日前年もサンフランシスコ・ジャイアンツで106試合に出場、18本塁打とパワーを発揮。ただ、肩と両膝に故障を抱えていた。それが原因でメジャーでの契約を勝ち取れなかったとされている。38歳という年齢もネガティブな要素だった。
 日系人を除けば、長く日本人だけでチームを編成してきた巨人だったが、ONが引退以降はその方針を変えていた。しかし、ノウハウに欠け、外国人選手獲得競争では遅れをとっていた。ただ人気球団ゆえの資金力で大物獲りは可能で、メジャーでの実績重視の獲得も多く行っていた。スミスの獲得はそうした“ブランド志向”の典型的な例だ。
 1年目、主にライトを守り、打順は4番を打つ原辰徳の後の5番。102試合に出場して打率.285、28本塁打 72打点と責任を果たした。この年巨人はリーグ優勝する。
 外野手のウォーレン・クロマティが加入した翌84年は84試合と出場機会を減らした。打率.255、17本塁打 50打点と成績も下降。この年をもって現役引退した。
 入団前の期待感からすればインパクトに欠ける成績ではある。だが、漂わせたメジャーリーガーのオーラは、それまで日本でプレーした外国人選手誰よりも強烈だった。
 コーチを差し置いて若手選手に指導する“教え魔”としても知られた。煙たがられもしたが、当時チームメートだった堀内恒夫は2004年の監督就任時にスミスにコーチ就任を打診しており、評価も得ていた。他者に積極的に関わっていくからこそ、愛されも、ぶつかりもする。人間らしいスターだった。

[レジー・スミス チャート解説]

 実績は申し分なし。日本に来るまでのメジャーでの通算安打数は歴代3位、本塁打は2位。実績は5。メジャーリーガーとしてのプライドも十分。球団も許容しジョン・シピンに剃らせたひげも剃らず。プライドは5。ケガも響き、守備で魅了できなかったのでインパクトは4

チャートはメジャーリーグで残してきた成績のレベル「実績」、世界最高レベルのMLBのスター選手としての誇りの高さ「プライド」、プレーや存在感で見る者を理屈抜きで圧倒したかどうかの「インパクト」を5段階評価したもの(以下同)。


ボブ・ホーナー(1987年 ヤクルト 内野手)
 来日前年の1986年、アトランタ・ブレーブスで打率.273、27本塁打、87打点を記録し、当時30歳という脂の乗り切った年齢での来日は、それまでのピークは越えた、実績は「大物」の来日とは一線を画す、本当の意味での「現役メジャーリーガーの来日」だったといえる。
 86年のオフ、ブレーブスとの交渉がうまくいかずFA宣言したホーナーは、オーナー側の圧力を受ける。目指していたレンジャーズ移籍どころか、どの球団からのオファーも届かない事態に追い込まれ、ブレーブスに戻る意思を固めた。ところが今度は大幅な減俸を打診される。反発したホーナーは浪人状態となり、87年のシーズンが始まっても所属先が決まらずにいた。そこに声をかけたのがヤクルトだった。
 ヤクルトは1973年にメジャーで219本塁打を放った大物ジョー・ペピトーンと2年契約をしたが、わずか14試合、7安打、1本塁打という惨憺たる成績で大金をドブに捨てている。その記憶を振り払い、14年ぶりに獲得した大物外国人がホーナーだった。
 4月末に日本にやってきたホーナーは、5月5日の阪神戦に3番サードでデビュー。その試合の第3打席で初本塁打を放つ。翌6日には1試合3本塁打の離れ業。来日直後からマスコミの集中取材を受けていたが、報道はさらに過熱。バブル景気の最中、神宮球場の観客動員は前年を約7000人上回り、平均3万4000人に達し、甲子園の阪神戦を超える異常事態に。広告代理店もこの存在を見逃さず、薬師丸ひろこと缶ビールのCMに出演させた。「ホーナー現象」の経済効果は50億円以上という試算もある。四球攻めに遭いながらも我慢強く打席に立ったホーナーは結局93試合に出場し、打率.327、31本塁打、73打点。四球は50個稼ぎ出塁率は.423に及んだ。全試合に出場していれば51本塁打していたペースだった。
 翌年もヤクルトと年俸約4億円の3年契約に合意したと報じられた。しかし、アメリカに一時帰国すると態度を翻し、アメリカでのプレーを希望するコメントを出す。結局、年俸1億2350万円と出来高払い約6500万円の単年契約、という日本よりかなり悪い条件でカージナルスと契約した。ヤクルトでの2年目のシーズンは幻に終わった。

[ボブ・ホーナー チャート解説]

 アリゾナ州立大学で活躍し、ドラフトではブレーブスより全米1位指名を受ける。その期待に応え1年目から23本塁打、新人王を獲得。以降も主軸打者として活躍。実績は5。マイナーリーグでのプレーを拒んだり、不誠実なブレーブスの対応に「ノー」を突きつけた。プライドも5。来日2試合で4本塁打など期待に違わぬ実力に日本は震撼。「ホーナー現象」を巻き起こした。インパクトも5


フリオ・フランコ(95年、98年 ロッテ 内野手)
 ロッテが広岡達朗氏をGMに招聘し、立て直しを図った1995年に来日。メジャーリーグでは94年の中盤から選手会がストライキを起こしており、日本球界にプレーの場を求める形での移籍だった。巨人なども、より高い年俸で獲得に動いていたと言われているが、ロッテにはかつて所属したレンジャーズでボス(監督)だったボビー・バレンタインの監督就任が決まっており、それがロッテ入りを後押しした。
 37歳になってはいたが、91年に首位打者を獲得し、初来日までのMLB13シーズン通算成績は1922安打、打率.301という巧打者の加入はロッテファンの期待を集めた。バットのヘッドを頭の上で投手側に向ける独特のフォームも、いかにもメジャーリーガーらしく印象的だった。
 キャンプ中はやや身勝手な行動も見られたが、シーズンが始まると見違えたかのような優等生に。全力疾走を怠らず、ピンチには投手に駆け寄る気遣いも見せた。3番、もしくは4番を打ち、守備は一塁(もしくはDH)を務めた。145安打を放ち、打率は.306を記録。これは当時オリックスのイチロー(.342)、同僚の堀幸一(.309)に続くリーグ3位の成績だった。一塁の守備の評価も高くゴールデングラブ賞を受賞。チームは投打が噛み合い2位に躍進。しかし、同年オフに広岡GMと衝突したバレンタイン監督とともにフランコはチームを去った。
 ただ日本でのプレーにはやりがいを感じており、広岡氏がロッテを去ると再び来日し、ロッテでプレーした。この98年シーズンは外国人選手ながら主将に就任。近藤昭仁監督の下でチームをまとめた。序盤は40歳ながらセカンドを守ってみせ、健在ぶりをアピール。
 打率は.290(リーグ10位)と下がったが、95年は10本だった本塁打は18本に、打点も58から77へと増やし、得点に絡む働きを見せた。ただこの年はチームは最下位。この結果を受け、近藤監督は退任。40歳となっていたフランコは、貢献不足と評価されチームを去った。その後はプレーする場を求め、韓国にも渡る。アメリカに戻ると、43歳にしてメジャー復帰し、ブレーブスやメッツで現役を続ける。なんと2008年、50歳になるまでプレーした。

[フリオ・フランコ チャート解説]

 メジャー屈指のアベレージヒッターとして活躍。来日する段階で2000本に迫る安打を放っていた。ストさえなければ日本で見ることはできなかったであろう選手の1人。実績は5。シーズン中、チームの方針をとがめる行動や言動はせず、存在感は無比のものだったが、悪目立ちするようなことはなかった。プライドは4。95年はバレンタイン監督とともにチームの顔だった。だが、今のような人気球団ではなかったロッテだったこともあり、話題となるにも限界が。インパクトは4

そのほかの「日本にやってきた超大物外国人選手」たち

フランク・ハワード(74年 太平洋 外野手)
 73年に西鉄から球団を買収した太平洋クラブが、集客力アップを狙って、年俸2800万円を投じ獲得した超大物。メジャー通算382本塁打はNPBでプレーした選手では、今オフにA.ジョーンズが楽天への入団が決めるまでは長らく最多だった。38歳で来日したが実は膝を故障しており、わずか1試合で帰国。あわてた太平洋は6月にやはり大物のマティ・アルーを獲得。アルーは3シーズンプレー。まずまず活躍した。

ウィリー・デービス(77年 中日 外野手)
 ドジャースなどでプレーしワールドシリーズ3度、オールスター2度出場。メジャー通算2544安打はNPBでプレーした選手では現在でも最多。中日と契約し37歳で来日。8月にケガするまでの72試合で25本塁打、打率.306と大活躍。しかしトラブルメーカーであったことからその年限りで契約終了。翌年はクラウンライターへ。一定の力は発揮したが1年で日本を去った。日蓮宗の信徒だったことでも知られる。

ロイ・ホワイト(80年 巨人 外野手)
 名門・ヤンキースで15年プレー。36歳で巨人入りした。年俸は約3500万円。メジャーでは通算1803安打、160本塁打を放っており、実績は申し分なかった。1年目は29本塁打を放ち、翌年以降も王貞治引退後の主軸としての活躍が期待されたが、思ったほど成績を伸ばせなかったが、3シーズン在籍。その後、巨人はレジー・スミスを獲得に動いた。

ベン・オグリビー(87年 近鉄 外野手)
 パナマ出身、71年から86年まで16シーズン、メジャーでプレー。80年に本塁打王になっていた。38歳となった87年、年俸約1億2000万円で近鉄入りすると2年間で46本塁打、打率.306の成績を残す。帰国後にメジャー復帰を目指したが叶わなかった。

ビル・マドロック(88年 ロッテ 内野手)
 メジャー15シーズンで2008安打。首位打者4度、生涯打率は.305というメジャーを代表する巧打者。前年チームを去ったレロン・リーの穴埋め役を期待されるが、37歳という年齢もあり、狭い川崎球場でもパワーも発揮できず打率.263、19本塁打という成績に終わり、1年で日本を去った。年俸は1億5000万円程度だった。

ラリー・パリッシュ(89年 ヤクルト 内野手)
 ホーナーの後、大物路線をとったヤクルトがダグ・デシンセイ(メジャー通算237本塁打)に続いて獲得したメジャーの大物選手。年俸は約1億1000万円。メジャーでは通算打率.263、256本塁打と長打力が売りだった。36歳で来日し、ヤクルトと阪神それぞれ1年ずつプレーした。ヤクルト時代は42本塁打でタイトル獲得。阪神時代は28本塁打を放ったが、膝を痛め8月に帰国。そのまま退団した。ワニを食する特異なキャラクターとしても知られた。

ジェシー・バーフィールド(93年 巨人 外野手)
 86年にブルージェイズで本塁打王を獲得するなど通算241本塁打。30代半ばに入るとメジャーでの出場機会が得られなくなりFAに。34歳で来日、巨人入りを決めた。年俸は約1億8000万円。第二次長嶋巨人のライトもしくはセンターを守り、打順はクリーンナップを任されたが、手術した右手首の状態が思わしくなく期待に応えられず。終盤は下位を打つこともあった。本塁打は26本放ったが、打率.215と確実性を欠き、1年で日本を去った。当時ともに外野を守ったロイド・モスビーもメジャーで12年プレーし、169本塁打を放った大物。

ロブ・ディアー(94年 阪神 外野手)
 ランディ・バースの退団後、外国人で当たりを引けず暗黒時代に突入していた阪神が約2億7000万円を投じ獲得。34歳と大物にしては少しだけ若かった。メジャーではリーグ最多三振を記録すること4回。それでも226本塁打を放ってきた豪快なバッターだったが日本では不発。70試合で打率.151、8本塁打、76三振と期待はずれな成績に終わった。8月に故障して帰国。そのまま退団した。

ケビン・ミッチェル(95年 ダイエー 内野手)
 89年には47本塁打、125打点で、本塁打王、打点王、ナ・リーグMVPも獲得、来日前年となる94年にはわずか90試合の出場ながら30本塁打。ストのためシーズンは途中で終わったが、オールスターにも出場し4番を務めた。現役生活のピークに近い33歳で時期の来日を求めるために、ダイエーは年俸約4億円を提示。開幕戦初打席に満塁本塁打を打つなど、派手なデビューを飾ったが、懸念されていた素行の悪さは噂通り。膝の治療を理由に無断帰国し、一度は復帰するも再び帰国したところで球団は解雇を決定。年俸が全額支払われるかに注目が集まり、身勝手な“ガイジン”に非難が集中した(伝えられるところによると、全額を受け取ることはなかったようである)。日本での成績は34試合に出場し8本塁打をふくむ39安打。打率は.300だった。

トニー・フェルナンデス(00年 西武 内野手)
 メジャーで16年、タイトルの獲得こそなかったが4度の3割超えを記録。通算2240安打はNPBでプレーした選手では歴代で2番目だった。また38歳ながら来日の前年に.328とキャリア最高の成績を残していたこともあり期待され、西武は約3億5000万円を投じたとされる。フェルナンデスはこの期待に応えリーグ4位の打率.327を残した。だが契約延長はならなかった。

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 通算成績と主要タイトル獲得者を中心に拾いましたが、他にもドラフト1位でパドレスから指名を受けたエリート、シェーン・マック(95年〜96年 巨人 外野手 年俸約4億円)、レッドソックスで12シーズンプレーし、MVP候補にもなったことのあるマイク・グリーンウェル(97年 阪神 年俸約3億円)、来日前年ブルワーズで21本塁打していたオーストラリア人メジャーリーガー、デーブ・ニルソン(登録名ディンゴ 00年 中日年俸約2億円)も大物の来日として注目されました。
 投手に目を向けると、エンゼルスで22勝を挙げるなどメジャー通算100勝の実績があったクライド・ライト(76〜78年 巨人 年俸約2000万円)、エクスポズから1位指名(全体でも2番目)を受け入団、来日時に101勝を挙げ、29歳で日本にやってきたビル・ガリクソン(88〜89年 巨人 年俸約2億円)、4球団を渡り歩き133勝を挙げていたフロイド・バニスター(90年 ヤクルト 年俸約1億4000万円)などがいます。
 307セーブを挙げたリッチ・ゴセージ(90年 ダイエー 年俸不明)、201セーブのボビー・シグペン(94〜95年 ダイエー 年俸約1億2000万円)ら抑え投手も来日時には話題に。記憶に新しいところではブラッド・ペニー(2012年 ソフトバンク 年俸約2億2500万円)も。メジャー通算119勝、06年には最多勝も獲得していた大物でした。
 外国人枠が今に比べ小さかった時代は、出場機会が限られる投手に外国人枠を使うという発想がされにくかったこと。また、日本人投手の需要が絶えないことからもわかるように、エクスパンション、規模拡大を続けてきたメジャーリーグは投手が慢性的に不足していたこと。大物投手が日本でプレーするケースが打者に比べ少ない理由は、そのあたりにあると思われます。
 選手を並べてみると、多くの選手が来日時の年齢が計ったかのように30代後半であることがわかります。36歳というA.ジョーンズの来日は、長打力に難を抱える楽天を救うのでしょうか? チーム状況を踏まえると、大爆発までいかなくとも、年相応の長打力を発揮するだけでも十分な活躍になると考えられますが、いかに…。この話の続きは来シーズンにいたしましょう。

※次回更新は1月15日(火)になります。

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