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昭和から平成へ、沖縄、埼玉、東北勢の惜敗の歴史も《夏の甲子園全決勝戦レビュー・第68回〜第75回大会》

【この記事の読みどころ】
・これがPL学園最強世代!春夏連覇達成!!
・時代は平成へ! 吉岡雄二と大越基の息詰まる投手戦
・吹き荒れる沖縄旋風も、2年連続決勝で涙!

1986年(昭和61年)
――第68回大会決勝

天理 |000|201|000|3
松山商|100|001|000|2

ヒジ痛のエースを野手陣が援護! 奈良県勢初の全国制覇!


 夏の甲子園12回目の出場となった天理が、決勝戦で松山商を下して奈良県勢初優勝を飾った。優勝の瞬間、マウンドで笑顔を見せていたのはエース・本橋雅央だ。実は本橋のヒジは限界を超え、肩も上がらなくなり、痛み止めの注射を打って、決勝戦のマウンドに立っていた。

 試合は松山商が1回裏に先制するも、3回表に天理が逆転。痛みをおして投げる本橋を天理ナインが必死で援護。その姿は、日本中に感動を与えたと同時に、本橋の酷使に異論を唱えるファンも多かった。

1987年(昭和62年)
――第69回大会決勝

PL学園|110|200|001|5
常総学院|000|000|110|2

歴代最強! PL学園のスゴすぎるメンバーたち


 1985年、“KKコンビ”最後の夏に全国制覇を果たしたPL学園。卒業後も、1986年はセンバツに出場。そして、1987年には史上4校目の春夏連覇を達成した。

 当時のメンバーがこれまたスゴい。立浪和義(元中日)を筆頭に、橋本清(元巨人ほか)、野村弘樹(元大洋)、片岡篤史(元日本ハムほか)、1つ下の学年には宮本慎也(元ヤクルト)がいた。

 試合は序盤からPL学園が試合を有利に進める。先制、中押し、ダメ押しとなる得点を重ねて完勝。春は関東一、夏は常総学院と関東勢を撃破したことで、「PL学園最強説」を不動のものとした。

1988年(昭和63年)
――第70回大会決勝

広島商 |000|000|001|1
福岡第一|000|000|000|0

「九州のバース」も、“広商野球”の前に敗れ去る


 この年の決勝戦は、古豪・広島商と、夏の甲子園出場2回目の新鋭校・福岡第一の間で争われた。

 高校通算48本塁打の福岡第一の主砲・山之内健一(元ダイエー)は、当時、阪神最強助っ人として活躍したバースを彷彿とさせる体型から、「九州のバース」と呼ばれ、一躍有名になった。

 伝統ある広島商との試合は、細腕左腕・前田幸長(元ロッテほか)の好投もあり、8回まで0−0。しかし9回表、広島商の伝統でもある足を使った攻撃で前田を揺さぶり、1点をもぎ取った。広島商のエース・上野貴大がこの1点を守り切って、伝統校の貫禄をみせたのだった。

1989年(平成元年)
――第71回大会決勝

帝京  |000|000|000|2|2
仙台育英|000|000|000|0|0

三度目の正直! 吉岡雄二の力投で帝京が初優勝


 まさに「三度目の正直」だ。甲子園で3回目となる決勝戦に駒を進めた帝京が、初の全国制覇を成し遂げた。

 後に巨人や近鉄で活躍する吉岡雄二と、仙台育英の大越基(元ダイエー)の息詰まる投げ合いは、決勝戦では史上3度目となる0−0のスコアのまま、延長戦へ突入。10回表、ようやく試合が動いた。帝京の鹿野浩司が1死二、三塁から決勝の2点タイムリーを放ち、均衡を破った。東京勢としては13年ぶりの優勝、東と西に分かれてから、初めての東京勢の優勝であった。

 敗れたとはいえ、大越の投球も見事。その後、ダイエーに入団し、現役選手を引退した現在は早鞆高の野球部監督を務めている。

1990年(平成2年)
――第72回大会決勝

天理  |000|100|000|1
沖縄水産|000|000|000|0

吹き荒れる沖縄旋風! 止めたのは189センチの巨人エース


 沖縄県勢初の決勝戦進出を果たした沖縄水産。一戦ごとに力をつけてきた印象で、この大会では沖縄旋風が吹き荒れた。

 しかし、その勢いを止めたのが、天理のエース右腕・南竜次(元日本ハム)だった。決勝戦のマウンドでは189センチの“巨人”が躍動。120球の完封劇で、天理が4年ぶり2度目の全国制覇を達成した。

 犠牲フライで挙げた1点を守り切った南。強打の沖縄水産に8安打を浴びるも要所を抑える投球をみせ、無四球完封勝利で優勝に花を添えた。

1991年(平成3年)
――第73回大会決勝

沖縄水産|015|100|100|8
大阪桐蔭|202|062|01X|13

創部4年目の最速優勝! 沖縄水産は大野倫の右ヒジ痛に泣く


 この大会が夏の甲子園初出場だった大阪桐蔭。1回戦の樹徳戦は11−3で圧勝。準々決勝では帝京を11−2で下すなど、初出場とは思えない勝ち上がりをみせて、決勝戦までコマを進めた。

 対するのは2年連続で決勝戦進出を果たした沖縄水産。しかし、沖縄大会から痛みを抱えながら投げていたエース・大野倫(元巨人ほか)の右ヒジはいつ投げられなくなってもおかしくない状態だった。大阪桐蔭は手負いの大野に16安打を浴びせて13点を奪い、沖縄水産を下して優勝を成し遂げた。初出場初優勝は1976年の桜美林以来、15年ぶりの快挙だった。

1992年(平成4年)
――第74回大会決勝

拓大紅陵  |000|000|000|0
西日本短大付|010|000|00X|1

福岡に森尾あり! 福岡勢が27年ぶり全国制覇達成


 この大会のMVPは間違いなく西日本短大付のエース・森尾和貴だ。この大会での失点は、5試合でわずか1。決勝戦も、6安打無四球完封で優勝を決めた。

 試合は2回裏1死二、三塁の場面で西日本短大付がスクイズを敢行し、先制点を挙げる。一方の拓大紅陵は、7回表1死三塁でスクイズを試みるも、相手バッテリーに外され万事休す。スクイズが大きく試合を左右した。

1993年(平成5年)
――第75回大会決勝

春日部共栄|000|110|000|2
育英   |200|000|01X|3

徹底したバント攻撃! 悪送球で得た決勝点


 地元校の優勝に沸いたこの年の大会は、育英が春日部共栄を3−2で破り、初の全国制覇を成し遂げた。

 試合は同点で迎えた8回裏、育英は1死二、三塁からスクイズ。ここで相手投手の土肥義弘(元西武ほか)が悪送球、勝ち越し点を奪った。

 徹底的にバント戦法を貫いた育英打線は、今大会6試合でバントを40回試み、7安打30犠打(1犠飛)を記録。失敗はわずか4と、犠打の大会記録を打ち立てたのだった。

★★★次回は第76回〜第83回大会の決勝戦の模様をお伝えします。

(文=編集部)

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