週刊野球太郎 野球の楽しみ方が変わる野球サイト

2年8億円、ゲレーロ獲得に見た盟主・巨人の本気。その未来を過去の「高額移籍型」助っ人から紐解く!

2年8億円、ゲレーロ獲得に見た盟主・巨人の本気。その未来を過去の「高額移籍型」助っ人から紐解く!

 12月15日、巨人が今季の本塁打王・ゲレーロの獲得を発表。かねてから去就を巡る報道が先行し、中日を退団することは決定的だったため大きな驚きはなく、むしろ数年ぶりに見せた他球団の主力の引き抜きに「巨人らしさ」すら感じてしまった。

 近年はソフトバンクに金満球団のイメージを奪われていたが、2年契約の総額8億円といわれる契約内容を見ると、盟主・巨人にはまだまだ底力があると感じる。

 そこで今回は、過去に巨人が獲得してきた他球団の主力助っ人たちをプレイバック。ゲレーロの未来の指針として示したい。

起用方法で折り合いがつけば……


■ロベルト・ペタジーニ(2003年〜2004年)
(※カッコ内は巨人在籍年)

 1999年から2002年にかけてのヤクルト時代に本塁打王を2回、打点王を1回獲得。毎シーズン、打率3割オーバーと他球団の投手を震え上がらせてきたペタジーニ。

 もちろん打ちまくるのはありがたいのだが、ヤクルト入団時に6000万円だった年俸が上昇し続け4年目に4億5000万円に達すると、さすがにヤクルトは5年目の契約を諦め、ペタジーニを自由契約に。

 そんなときに声をかけたのが、同オフにヤンキースへ移籍した松井秀喜の穴を埋めたかった巨人。なんと2年総額14億4000万円という今回のゲレーロなら2人雇えるほどの高年俸を提示した。

 ただ、当時の巨人の一塁には清原和博がおり、ペタジーニは慣れない外野手として起用されることに。それが原因か、巨人1年目の2003年は規定打席に到達せず。それでも打率.323、34本塁打、81打点と高水準の成績を残して存在感を発揮した。

 しかし、翌2004年は打率.290、29本塁打と成績が下がってしまう。その結果、提示された年俸は3億円。さらに来季の起用法にも同意できなかったことから、巨人のユニフォームを脱いだ。

ビッグマネーが水の泡に


■李承Y(2006年〜2010年)

 メジャーへの足がかりをつかむべく、2004年にサムスン(韓国)からロッテにやってきた「アジアの大砲」李承Y。しかし、バレンタイン監督の起用法に不満を抱き、2005年オフに退団。夢だったアメリカへ渡るかと思いきや、巨人を新天地に選んだ。

 ロッテでは2005年に30本塁打を放つものの、本領発揮まだもう少しという状況だった李は、巨人では2006年シーズン開幕前のWBCで好調だったこと、高橋由伸や小久保裕紀ら主力野手の故障が重なったことで、開幕から盟主の4番を任される。

 すると意気に感じたか、143試合に出場して打率.323、41本塁打、108打点と大暴れ。「ちゃんと試合に出られれば、これくらい打てるんだ!」と言わんばかりの成績を残した。

 この結果を受けて球団は、単年1億6000万円からなんと4年総額24億円とも言われた巨額の契約を提示(年俸は推定、契約内容は諸説あり)。しかし、翌2007年は前年オフに手術した左膝の影響もあり、打率.274、30本塁打、74打点という、高額年俸の「アジアの大砲」としては微妙な成績に終わる。

 2008年以降は左手親指などの故障が重なり、出場試合数が激減。給料泥棒状態に業を煮やした巨人が、入団5年目の2010年オフに契約打ち切りを通告すると、「読売は後悔する」と言い残して、オリックスへ去っていった。


突如ガタがきた160キロストッパー


■マーク・クルーン(2008年〜2010年)

 160キロを超える剛腕という触れ込みで、2005年に横浜(現DeNA)に入団したクルーン。佐々木主浩の後釜として抑えを任され、毎年30前後のセーブを挙げる活躍を見せた。

 しかし、横浜3年目となる2007年オフに年俸を巡って球団と衝突。その後、巨人と契約するのだが、横浜を自由契約になった直後に自身のホームページに東京ドームの写真を載せるなど、思わせぶりな行動も様々な憶測を呼んだ。

 そんなお騒がせ男だったが、巨人でも先発復帰した上原浩治の後任ストッパーとして活躍。巨人1年目の2008年には41セーブを挙げ、最多セーブに輝いた。

 翌2009年は故障もあり、27セーブに留まったが、防御率1.26と安定感を発揮。CS、日本シリーズでも役目を果たし、チームの日本一に貢献した。

 2010年は25セーブを挙げたものの、乱調を繰り返し、防御率は4点台に悪化。ほかの投手に抑えの座を明け渡す場面が増え、この年限りでお役御免となった。


酸いも甘いも味わったNPB生活


■セス・グライシンガー(2008年〜2010年)

 韓国プロ野球での活躍が目に留まり、2007年にヤクルトに入団。いきなり最多勝(16勝8敗)を獲得したグライシンガー。ロボットヒーローのような名前と相まって人気者になった。当然、ヤクルトは2年目の契約も結ぼうとしていたのだが……。

 しかし、阪神、ソフトバンク、巨人といった「マネーゲーム上等」のチームがヤクルトとの再契約を許さず。札束攻勢による争奪戦が繰り広げられ、最終的に巨人へ移籍となった。

 年俸がヤクルト時代の4000万円から2年総額5億円へ跳ね上がったことで、外国人選手特有のモチベーションの低下が一部で懸念されたものの、フタを開けてみれば、翌2008年も17勝(9敗)をマークして再び最多勝をゲット。

 2009年は13勝(6敗)。2010年は、来日してからの3年間で576イニングに登板した影響か、右ヒジを痛め未勝利に終わる。オフには巨人残留が決まったものの、年俸は2億6000万円から8000万円までダウンした。

 2011年も状態は上向かず1勝(5敗)。契約は更新されず退団、ロッテに移った。ただ、NPBでの終の棲家となったロッテでは、1年目の2012年に12勝(8敗)と復活。外国人投手として初の両リーグ12球団から勝利を挙げ、あらためて実力を見せつけた。


巨人で最も活躍した「移籍型」助っ人


■アレックス・ラミレス(2008年〜2011年)

 外国人選手との交渉で、焦点になりがちなのが契約年数。単年か複数年かで折り合いがつかず……というケースが多い。ラミレスもそれが引き金でヤクルトを退団することに。2007年オフのことだった。

 ここで、2年総額10億円という条件でラミレスにアプローチしたのは巨人。ただ、巨人入りした先輩助っ人たちの苦労を知っているラミレスにとって、巨人は「一番行きたくない球団」だった。しかし、複数年契約に惹かれて入団を決意する。

 その慎重さが功を奏したのか、巨人では2008年から3年連続でフル出場を果たし、首位打者1回、本塁打王1回、打点王2回と打撃の主要タイトルを軒並み獲得。同じ年に入団したクルーン、グライシンガーとともにリーグ3連覇に貢献した。

 しかし、巨人4年目の2011年は、導入された「統一球」の影響か、23本塁打、73打点と来日以来ワーストの成績に終わる。

 守備に重きを置くスタイルに転換するチーム方針も重なり、必要とされていないと悟ったラミレス。あっさり退団してDeNAに移籍を果たす。現在、そのDeNAの監督とし旋風を巻き起こしているのはご存知の通りだ。


「3年目のジンクス」に打ち勝てるか


 ほかにも2011年オフにソフトバンクからホールトンを、2015年オフにロッテからクルーズを獲得しているが、今回は特に大きな話題となった5人を取り上げた。

 彼らにほぼ共通しているのは、巨人移籍直後には活躍を見せたものの、2、3年目になると成績を落としていること。巨人を取り巻くプレッシャーにさらされ続けることの大変さを物語っているようだ。そのなかで3年目も活躍できたラミレスが日本球界に残り、監督としても成功できたのは偶然ではないだろう。

 ゲレーロも1年目は、満足の契約でハッスルするはず。しかし「給料泥棒」と呼ばれずにビッグマネーをつかみ続けたいのなら、過去の例を見ると、巨人での3年目が勝負だ。

 ゲレーロがどこまでやれるのか。楽しみがまたひとつ増えた。


文=森田真悟(もりた・しんご)

記事タグ
記事をシェアする
本誌情報
おすすめ特集
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方