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現役最多18勝をあげた東都大学リーグのエース! DeNA1位・今永昇太の苦悩の1年に迫る


『野球太郎 No.016 2015ドラフト総決算&2016大展望号』で好評の「野球太郎ストーリーズ」。ドラフト指名を勝ち取った選手の野球人生ドキュメントを描いた同コーナーは『野球太郎』の名物企画だ。

 今回はDeNAが1位指名した左腕・今永昇太を紹介。高校1年時に10回の腕立て伏せすらできなかった野球少年は、大学球界を代表するエースとなり神宮で戦い続けた。


普通の野球少年が急成長


 今永は体育と音楽の中学教諭だった両親の間で、福岡県北九州市に生まれた。

 生誕時の体重は2500グラムにも満たず(男児の平均は約3000グラム)、大きく育って欲しいという想いから「太」という文字が名前に入れられたという。

 その後は、小学校時代にソフトボール、中学時代に軟式野球をプレーするも、際立った実績はなかった。相変わらず体も小さかったため、野球強豪校からの誘いなどはなく、近隣の進学校である北筑高校に進学した。

 入学当初は、腕立て伏せが10回もできない平凡な野球少年だったが、小学校時代から授業と部活の練習双方でほぼ皆勤を続けていた今永は、コツコツと地道な練習に日々励んだ。

 すると2年冬から3年春にかけての数ヶ月で、なんと球速を10キロも上げ、一躍「速球派左腕」として県内の高校野球関係者はもとより、プロ球団のスカウトにまで注目される存在となった。

 さらなるレベルアップを目指して入学した駒澤大では、大学1年春から登板機会をつかむ。

 大学2年春からはエースとなり、積み上げた東都大学リーグ通算勝利「18」は現役最多の数字だ。

 昨秋には7勝、シーズン歴代5位の89三振を奪い、個人賞三冠(最高殊勲選手・最優秀投手・ベストナイン)に輝いた。

 続く明治神宮大会でも14回を投げて自責点1という好投で日本一に導き、古豪・駒澤大に復活をもたらした。


悩み抜いた志望届提出


 しかし、名実ともに「大学ナンバーワン左腕」として、さらなる活躍が期待された昨年は、リーグ戦未勝利に終わる。

 3月の投球中に、左肩の腱板を構成する筋肉のひとつである棘下筋の肉離れをおこしてしまい、その症状が長引いたのだ。

 それでも今永は「ケガをしたことは、自分にとっても、チームにとってもマイナスでしたが、それをマイナスのまま、終わらせたくはありませんでした。ケガをする前よりも、もっと強靭な体を作ろうと思ってやってきました」と話し、復帰や復活ではなく、「進化」を求めて秋に備えた。

 だが、現実は厳しかった。オープン戦から復帰を果たしたが、昨秋に見せた安定感は消え、要所で痛打を浴びた。リーグが開幕し、神宮球場のマウンドに戻ってからも、勝てない日々が続き、チームは波に乗れず黒星を重ねた。

 周囲が、そして自分が思い描く投球をできないなか、プロ志望届の提出が6日後に迫っていた2015年10月2日の亜細亜大戦で、今永はついに感情を抑えきれなくなる。

 8回、1点ビハインドの1死満塁で救援登板した今永は、先頭打者を詰まらせたものの打球は三遊間を抜け、ダメ押し点を献上してしまう。だが、続く打者を併殺に斬ってとるなど、決して内容の悪い投球内容ではなかった。

 試合後の今永は当然のごとく、報道陣に囲まれていた。

 そこで投げかけられた「監督は今永君の調子はあがってきていると言っていたけど、自身の感覚はどうですか?」という質問に、今永は「まだ“調子”で野球をしてしまっています」と言った後、うつむき、言葉が出てこない。

 これまでの取材では、敗戦後でも言葉を丁寧にスラスラと並べる今永だったが、うつむいたまま長い沈黙が流れ「4年生なのに情けないです」と口を開くと、ついには頬に涙がつたった。ここまで追い詰められた今永を見たのは、大学入学以来初めてだった。4年生としてチームを勝たせられない歯がゆさのなか、自身の将来に関わる大きな決断をしなければいけない。その苦悩がのしかかった。

 この状況を伝え聞いた両親も「人前で悔し涙など見せたことないのに」と大きく驚いたという。

 そして普段はあまりかかってこない電話が数日後に、今永から両親のもとにかかってきた。

 これまでも今永は、「プロは入るだけの場所ではなく、活躍しなければいけない場所」と話しており、ときには「その自信がなければ、社会人でステップを踏むのも考えている」と話すこともあった。

 それはすべてプロを念頭に置いて話していたことであったが、この時期にここまで悩むのは本人にとっても、周囲にとっても、想定していないことだった。

 その後、西村亮監督とは3日連続で話し込んだ。また電話で相談を受けた父・孝司さんは、普段は「野球に関して私たちは素人。監督さんらにお任せしています」というスタンスだが、このときは「生かせるチャンスが目の前にあるのなら、生かした方がよいのではないか」とだけ、アドバイスを送ったという。

 そして、今永は締め切り2日前の2015年10月6日にプロ志望届を提出した。

徐々に本来の今永に


 プロ志望届提出翌日に行われた中央大戦で、今永は5回からマウンドに上がった。味方の失策で勝ち越し点を献上したが、4回2安打6奪三振で、自責点はなしと、吹っ切れた印象を残した。西村監督も「ストレートで押して行くのが彼のウリ。志望届を提出し“やるしかない”という状況で、彼らしい投球をしてくれました」と一定の評価を与えた。

 翌週の國學院大戦でも5回から中継ぎ登板し、4回2打無四球無失点で抑えた今永は、チームの最下位が確定したこともあり、ここから入替戦に向けての調整に入った。

 その間には前述のドラフト会議も終わり、彼本来の明るい笑顔も戻って、「モヤモヤがひとつ晴れた」と話した。一方で「大学4年間で最も苦しかっ時」を尋ねられると、「今かもしれません」と即座に答えた。

 だが、その表情は3週間前に見せたうつむいての涙ではなく、決戦に向け、自らを奮い立たせているような凛々しいものだった。

 こうして迎えた入替戦の初戦。今季不調に陥った打線と対戦相手・東洋大のエースである原樹理の力量を考えれば、1点が重くのしかかる試合になることは、試合前から誰の目にも明白だった。

 重圧のかかるマウンドで、今永は躍動した。

 初回に先頭打者から145キロのストレートで空振り三振を奪うと、その後も球持ちのいいストレートを軸にした投球で東洋大打線を寄せ付けない投球を見せる。

 チームも8回にスクイズで虎の子の1点を奪うと、今永はそのまま3安打完封。奪った三振は、復帰後最多となる12個。四死球もわずかに2つで、「これでは勝機がない」と漏らす東洋大OBがいたほどの完璧な投球を見せた。

 今永獲得を担当したDeNAの武居邦生スカウトも「ケガが治ればこれくらいの投球はできると思っていましたが、ひと安心です」と笑顔を見せて、球場を去った。


悔しさを胸に憧れの舞台へ


 チームが2回戦に敗れ、3回戦で再び原と相まみえたが、結果は無情にも原に軍配が上がった。

 今永は入替戦に向け、投げ込みと走り込みを十分にしてきたつもりではあったが、久々となった実戦での、短い間隔の登板では本来のキレは鳴りを潜め、甘く入った投球をことごとく東洋大打線に弾き返された。5回3分の1を投げ被安打11、大学入学後の自己ワーストとなる9点を失い、マウンドを降りた。

 試合後、号泣する原(東洋大→ヤクルト1位)とは対照的に、今永は毅然とした態度で、学生生活最後となる、試合後の囲み取材に現れた。

「いち選手として、1回戦から修正してきた東洋大を上回ることができませんでした。後輩に何も残すことができず、申し訳ない思いでいっぱいです」

 と悔しさを押し殺して潔く敗戦の弁を語り、最後はいつもと同じようにハッキリとした口調で前を向き「ありがとうございました」と頭を下げ、チームバスに乗り込んでいった。「プロ野球選手になるなんて思いもしなかった」と両親が語るように、高校の途中までは、ごく普通の左腕。たくさんの敗戦を重ねたが、涙は人前で見せず、悔しさを糧にたくましくなっていった。

 昨年は敗戦することが、もの珍しい投手にまで成長したが、今年は再び敗戦の怖さ、悔しさを感じた1年だっただろう。

 この苦難の1年が、プロでのジャンプアップに必要な深い踏み込みの時期だったと思えるような活躍を期待したい。そして、それを実現できるだけの素質は、身体にも心にも宿っている。
(取材・文=高木遊)


この記事は『野球太郎 No.016 2015ドラフト総決算&2016大展望号』の「野球太郎ストーリーズ」よりダイジェストでお届けしております。


野球太郎No.016
2015ドラフト総決算&2016大展望号
発売日:2015/11/28
価格:1500円
ISBN:9784331803196

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