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2軍メンバーで甲子園に出場!?《夏の甲子園全決勝戦レビュー・第8回〜第14回大会》

 今年もアツい夏がやってくる。夏の甲子園の前身である「第1回全国中等学校優勝野球大会」がスタートして100年が経った今夏。『週刊野球太郎』では無謀にも、100年間に行われた決勝戦の全試合レビューをすることになった。

 今回は1922年に行われた第8回大会から、第14回大会の決勝戦の模様をお伝えしよう。

1922年(大正11年)
――第8回大会

和歌山中|000|000|053|8
神戸商 |300|100|000|4

大会史上初の連覇を果たした和歌山中


 前年に続き、和歌山中が全国制覇を成し遂げた。神戸商との決勝戦は、7回まで0−4と劣勢を強いられていたが、8回に和歌山中の打線が爆発。連続安打で5点を奪い逆転すると、9回にも3点を取ってダメ押し、8−4で勝利した。こうして和歌山中は、大会史上初となる2年連続優勝の偉業を成し遂げたのだった。

1923年(大正12年)
――第9回大会

甲陽中 |000|400|001|5
和歌山中|100|000|001|2

和歌山中の3連覇ならず……


 3年連続日本一を目指して、決勝戦までコマを進めた和歌山中。対するのはそれほど前評判の高くなかった甲陽中だった。

 試合は1回裏に和歌山中が先取点を奪い、3連覇に向かって好発進。このまま勢いに乗って、和歌山中が勝つのでは、とみられていた。というのも、この試合の1カ月前に両校は試合をしており、その時は和歌山中が勝利していたのだ。

 ところが4回表、甲陽中は四球からチャンスを広げ、一挙4点を挙げて逆転。試合はそのまま甲陽中が勝利して、初優勝。番狂わせを演じた甲陽中によって、和歌山中の3連覇は夢と消えたのだった。

1924年(大正13年)
――第10回大会

松本商|000|000|000|0
広島商|000|000|03×|3

新装開店! 甲子園球場で開催された初の決勝戦


 この年から、甲子園球場で夏の大会が開催されるようになった。前年まで開催されていた鳴尾球場では、押し寄せる観客を収容できなくなったのがその理由。1924年3月に起工して、わずか4カ月という期間で甲子園球場は完成したのだった。

 記念すべき甲子園球場で開催された初めての大会決勝戦は、広島商が優勝。大会史上、初めて中学校を抑えて、商業学校が日本一に輝いた。さらには神戸より西の地区に、初の優勝旗が渡った。

1925年(大正14年)
――第11回大会

高松商 |050|000|000|5
早稲田実|000|000|030|3

高松商が史上初の春夏優勝経験校に!


 剛球自慢の宮武三郎、後にプロで活躍する水原茂(元巨人)、強打の左打者・本田竹蔵を擁する高松商が、念願の夏の優勝を果たした。

 東山中、静岡中、大連商に勝利して、決勝戦では早稲田実を5−3で破り全国制覇。宮武、本田の左右の投手を併用したのが勝因で、当時では珍しい継投策が光った。

 高松商は1924年春、第1回のセンバツでも優勝しており、初めて春・夏の優勝旗を揃えたチームとなった。また、初めて四国の地に夏の大会の優勝旗を持ち帰った学校にもなった。

1926年(大正15年)
――第12回大会

静岡中|000|100|001|2
大連商|010|000|000|1

劇的勝利を重ねた静岡中が初優勝!


 この大会は、波乱の連続であった。優勝候補筆頭の和歌山中が準決勝で大連商に敗れ、同じく有力視されていた早稲田実も、下馬評の低かった静岡中に敗れて2回戦で姿を消した。

 その静岡中は、準々決勝で前橋中と対戦。なんと延長19回の死闘を演じた末、サヨナラ勝ち。準決勝でも高松中に勝利して、決勝戦では和歌山中を破った大連商と対戦。

 1−1の同点で迎えた9回表。無死一、三塁のチャンスを掴んだ静岡中はスクイズを敢行。これが成功して勝ち越し点をもぎ取り、初優勝を果たしたのだった。

1927年(昭和2年)
――第13回大会

広陵中|000|000|001|1
高松商|010|030|01×|5

春の王者・和歌山中が主力抜きで出場!?


 優勝した高松商の道程は険しいものだった。準々決勝では福岡中(東北・岩手)に延長戦の末、1−0で辛勝。準決勝の愛知商戦も1−0で逃げ切るなど、苦しみながら決勝戦にコマを進める。しかし、エース・八十川胖(やそがわ・ゆたか)を擁する広陵中と戦った決勝戦では、序盤に先制、中盤に相手のエラーに乗じて追加点を奪い、終盤にダメ押し点を取る、といった安定した試合運び。高松商が5−1で勝利し、全国制覇を成し遂げた。

 ちなみに、この大会に出場した和歌山中は、センバツ優勝のご褒美として、主力選手はアメリカ遠征の真っ最中だった、という。そのため、夏の大会に出場したのはいわゆる2軍メンバー。甲子園の1回戦で鹿児島商に0−8で敗れたものの、地方大会を勝ち抜く実力の持ち主たちだった。ファンの間では、主力組が出場していたら、優勝の行方はどうなっていたのだろう、と話題になった。

1928年(昭和3年)
――第14回大会

松本商|102|000|000|3
平安中|000|000|001|1

まさかの本塁憤死! 意外な幕切れで優勝決定


 決勝戦は松本商と平安中との間で行われ、意外な幕切れで松本商の優勝が決定した。

 松本商は初回、スクイズで先制点を奪うと、3回にも連続安打で2点を取り、試合を優位に進める。3点を追う平安中は最終回、最後の気力を振り絞って反撃。1点を返して、なおも2死満塁と、サヨナラのランナーを出すまでに詰め寄った。1ストライクをとられ、松本商の捕手が投手に返球するその瞬間、なんと三塁ランナーがホームスチールを敢行。しかし、あえなく失敗に終わって試合終了。意外な結末を迎え、松本商の優勝が決定したのだった。

★★★次回は第15回〜第21回大会の決勝戦の模様をお伝えします。

(文=編集部)

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