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「高校野球100年」の幕開けは、羽織袴姿の男の第一投【高校野球100年物語】

 夏の甲子園の前身である「全国中等学校優勝野球大会」。その第1回が行われたのは1915年。今に連なる高校野球が始まって100年が経過したことになる。『週刊野球太郎』の特集「高校野球100年物語」では、この高校野球史を振り返り、激闘、印象的な選手、感動する話など重要な100の物語を紹介していく。

 6月は戦前の出来事に絞って、物語を綴っていこう。

〈No.001/印象に残った勝負〉
全てはここから始まった!「鳥取中vs.広島中」


 1915年、「第1回全国中等学校優勝野球大会」としてその歴史をスタートさせ、今に続く「夏の甲子園」。その記念すべき第1回大会の開幕試合が、山陰代表・鳥取中(現鳥取西高)vs.山陽代表・広島中(現広島国泰寺高)の間で行われた。第1球を投じたのは鳥取中の鹿田一郎。また、広島中の4番、中村隆元が記念すべき第1号ホームラン(ランニングホームラン)を放っている。試合は14−7で鳥取中が勝利。1回戦を勝ったチームには選手一人一人に万年筆が贈られた。

〈No.002/泣ける話〉
秋田中・9人で挑んだ全国大会


 記念すべき第1回大会で「ダークホース」となったのが東北代表・秋田中(現秋田高)。この時代、野球は都市部のもの、と見なされ、地方チームは軽く見られがちな中、下馬評を覆して見事に決勝戦にまで進出した。ただ、本来部員は11人いたが、「大坂まで野球をやりに行くとは何事か!」と父親に叱られて1人が出場辞退。さらに本大会1回戦でケガ人が出たため、2回戦以降はギリギリ9人で試合に臨んだ。そして決勝は延長13回の死闘の末に敗北。満身創痍のなか、史上初めて決勝で涙を流す球児たちとなった。

〈No.003/印象に残った選手〉
黎明期の大スター、和歌山中の「芸術品」小川正太郎


 甲子園球場が誕生した1924年に初出場。以降、当時最強を誇った和歌山中(現桐蔭高)のエースとして春・夏あわせ8度の出場を果たしたのが小川正太郎だ。長身左腕が繰り出す華麗な投球フォームは「芸術品」とうたわれた。「2階から落ちてくる」と称されたカーブを武器に三振の山を築き、1926年夏の準決勝では8者連続奪三振。この記録は、桐光学園の松井裕樹が更新するまで86年間も破られなかった。1927年春に全国制覇をしている。甲子園通算12勝5敗。

〈No.004/印象に残った監督〉
高校野球の父、佐伯達夫の原点は現場コーチだった


 甲子園大会の歴史を語る上で欠かすことのできない「高校野球の父」こと佐伯達夫。戦後の大会復活に尽力し、1967年から1980年まで高野連会長を務めたこの人物を、高校球界そのものの「監督」と称することもできるだろう。だが、現場指導者としても大会に参加した過去があることは、あまり知られていない。1916年の第2回大会時、当時早稲田大の選手だった佐伯は、大阪代表・市岡中(現市岡高)でコーチを務め、チームを準優勝に導いた。ただ、エースだった松本が準決勝で負傷。「松本が故障しなければ負けなかったんだがなぁ」と悔しがったという。

〈No.005/知られざる球場秘話〉
高校野球発祥の地として語り継ぐべき「ゆりかごの豊中」


 100年の歴史を誇る高校野球。その第1回大会が開催された場所は、今の大阪府豊中市にあった豊中グラウンドで、大会6日間で1万人の観衆が詰めかけた。1913年、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が沿線の集客のために建設したもので、赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方メートルと広く、当時としては日本一の設備を誇るといわれた。この地で高校野球が産声をあげたことから「ゆりかごの豊中」とうたわれ、グラウンド跡地には現在、「高校野球発祥の地」のレリーフが掲げられている。

〈No.006/時代を彩った高校〉
今も昔も野球名門校。初代優勝候補、早稲田実業(東京)


 100年前、1915年に開催された「第1回全国中等学校優勝野球大会」に出場したのは東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区で予選を勝ち上がった9校。そして、春に東京都下大会で優勝した早稲田実業の計10校だった。当時、中等球界No.1バッテリーと称された臼井林太郎・岡田源三郎を擁し、優勝候補の呼び声も高かった早稲田実業だったが、伏兵・秋田中に準決勝で敗退。その後、夏の大会で全国制覇を果たすのが2006年のこと。悲願成就に約90年もかかるとは、この時誰も予想できなかったことだろう。

〈No.007/世相・人〉
「高校野球100年」の歴史の幕を引いた、羽織袴姿の男の第一投


 1915年8月18日午前8時30分。羽織袴に身をただした人物が大阪府・豊中グラウンドのマウンドに登り、白球を投じた。その人物こそ、「第1回全国中等学校優勝野球大会」を主催した朝日新聞社社長の村山竜平だ。山高帽にモーニング姿の京都大総長、荒木寅三郎審判委員長が後ろから見守る中、村山が投じた始球式の球は、鳥取中の松田のミットにおさまり、今に続く「高校野球」の歴史が幕を開けた。

▲イラスト:横山英史

 100年後の今年、2015年大会では、王貞治氏(早稲田実業OB)が始球式を務めることが発表されている。


■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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