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【高校野球 あの記録を作ったのは俺です!】武内晋一(ヤクルト)は智辯和歌山100安打打線の主軸。

文=勝田聡

武内晋一(ヤクルト)は智辯和歌山100安打打線の主軸。高校野球 あの記録を作ったのは俺です!
 連載企画『高校野球・あの記録を作ったのはオレです!』では、2回に渡って現役プロ野球選手が甲子園で達成した投手記録、野手記録を紹介してきた。

 今回は個人記録ではなくチーム記録をご紹介したい。あの選手が所属していた高校はどんな記録を作っているのか。

1試合最多本塁打:智辯和歌山対帝京(2006年夏)


 本塁打は野球の華。それは高校野球でも同じだ。1試合における本塁打数を見ると、プロ野球においては両チーム合わせて13本塁打(※)が最多記録。甲子園では7本塁打が最多となっている。

 その記録は2006年、夏の甲子園準々決勝・智辯和歌山対帝京の一戦で生まれた。そして、7本のアーチが乱れ飛んだこの試合は、その数もさることながら、最終回の表裏に起こった逆転劇の記憶が強い。

 この試合で智辯和歌山は7回までに4本塁打を放ち、8対2と帝京を大きくリード。高校野球といえども残り2回で6点差はセーフティーリードに見えた。しかし8回表、帝京にチーム初本塁打の2ランが飛び出して4点差。試合は9回の攻防を迎える。

 勢いに乗る帝京は中村晃(現ソフトバンク)、杉谷拳士(現日本ハム)らの5連打で9対8と逆転に成功。さらに沼田隼がとどめとばかりに、3点本塁打を放った。帝京は12対8と4点ビハインドから4点リードへと試合をひっくり返したのだ。

 しかし、そのままで勝負は終わらなかった。意地を見せたい智辯和歌山は2つの四球で無死一、二塁のチャンスを作ると、橋本良平(元阪神)が両軍合わせてこの試合7本目となる3ラン。3点を返し1点差に迫る。その後、適時打も飛び出し同点に追いつくと、最後は満塁から押し出しを選び大逆転。13対12で激戦に終止符が打たれた。

 1試合最多本塁打記録が生まれたにもかかわらず、その影が薄いのは、9回表裏に起こった逆転につぐ逆転の印象が強いからだろう。


※プロ野球における1試合最多本塁打記録:13本塁打
1949年4月26日:巨人対大映
巨人:5本塁打/大映:8本塁打

1980年10月3日:近鉄対ロッテ
近鉄:4本塁打/ロッテ:9本塁打

大会最多安打:智辯和歌山(2000年夏)


 甲子園での1試合における最多安打は、1985年夏の甲子園・PL学園対東海大山形の一戦で生まれている。PL学園・桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が最後の夏に見せた伝説の試合だ。

 この試合は29対7とPL学園の打線が爆発。打ちまくった32安打は大会記録で、未だ破られていない。また、東海大山形も9安打、7得点と健闘。両軍合わせての41安打も大会記録となっている。

 また、1大会における最多安打記録となると、2000年夏の甲子園で智辯和歌山が積み上げた100安打(6試合)が最多だ。この記録は、甲子園史上唯一の3ケタ安打となっている。

 猛打で恐れられたこの年の智辯和歌山で2年生ながら、3番・一塁でスタメンを張っていたのが武内晋一(現ヤクルト)だ。武内はこの大会で打率.538(26打数14安打)、2本塁打、6打点の成績を残し、チームの優勝に貢献した。

 武内は早稲田大を経て、2005年の希望入団枠でヤクルトに入団。今シーズンは畠山和洋の離脱後に一塁での出場機会を得ている。

 「史上最強打線」とも称された2000年の智辯和歌山からプロ入りを果たしたのは武内ただ1人。ベテランにさしかかっている年齢だが、1年でも長く現役を続けてもらいたい。

 来年には100回大会を迎える夏の甲子園で100安打に到達したのは、わずかに智辯和歌山のみ。それぞれの時代に最強チームがあったが、3ケタの壁はそれほど厚いのだ。今後、2度目の100安打超えが生まれるだろうか。各チームの猛打爆発に期待したい。

文=勝田聡(かつたさとし)

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